古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

19日の駅ちか

2017-03-20 | 旅行
<19日の駅ちかウオーキングの報告です。
午前9時半、地下鉄鶴舞線の原駅に着きました。ウオーキングの受付は超満員、1000人を超える参加者でしょう。高齢者が増え、健康寿命を延ばすべく手ごろな運動としてウオーキングの人気が高くなっているのですね。今日は、原駅から日進市を横断しリニモの長久手古戦場駅まで11.4kmを歩きます。健脚者向けのコースです。
1番出口を出て右へ。名古屋環状自動車道に沿って散歩道が整備されています。2kmほど歩いて、牧野が池緑地に入ってきます。緑地の最初に竹の小道。竹の並木道、この辺りは竹が多いのか、「筍堀禁止」の札がたっていた。
牧野が池緑地は約150ha、都会のオアシスとして親しまれる公園、池を背景に「森林浴を楽しみながら散策してください」と案内の地図にある。

緑地を抜け県道に出る。5km地点が岩崎台の信号。案内標識に「しばらくまっすぐに」とあるので、2km県道に沿って歩くと岩崎の信号になる。左、北に曲がると、岩崎城址公園だ。
階段の小道をえっちらおっちら上がると山頂に徳川慶喜書の「忠義の碑」があった。

岩崎城は、戦国時代の平山場で織田信秀(信長の父)の支城でした。天正12年の小牧・長久手の戦いの際、豊臣方の池田恒興隊の岡崎中入れを狙った動きを阻止して城代丹羽氏重以下300余名が討死した。関ヶ原の戦い後、丹羽氏は万石の大名に展封され、城は廃城となった。山頂の慶喜の碑はこの小牧の戦いの丹羽氏の働きを顕彰するもので、その旨の文章がきさいされているのだが、写真の写りが悪く読み取れない。
家康の天下どりは、関ケ原よりも小牧長久手の勝利のおかげと説く歴史家も多い。
城は昭和62年(1987)展望塔として5重構造の天守閣(模擬天守)を築城。「岩崎城址公園」として整備されたという。

昭和62年と言えば、竹下内閣が各自治体に1億円を配布したバブルの頃だ。その1億円をつかったのかな?など思った。歴史記念館に入ると1Fに騎馬姿の銅像があった。討死した丹羽氏重。当時16歳だったそうだ。

日進市の歴史、文化遺産の展示があり、市の花あいさいの写真も展示されていた。
天守閣の最上階に上がって展望を見ようとしたが、転落防止の金網に覆われていて展望が良いとは言い難い。

お城の見学は終えて、県道に降りる。
北へ歩くと、愛知学院大学、名古屋外国語大学などの看板が見える。ひところ郊外に広い場所を得て大学のキャンパスを創る動きが流行したので、その折これらの大学も作られたのであろう。しかし昨今は逆に市内に土地を求めてキャンパスを作る流行だ。
時代の変化を思った。歩き続けて10㎞地点、口論議運動公園が右手に広がる。ここのプールで時々水泳大会があり、小生も3年前の2月出場した。私の最後の水泳大会だった。
間もなくリニモ(東部丘陵線)が見えてきた。
ゴールの長久手古戦場駅横の公園に着いた。記念品はリニモの絵入りバッジ。13時30分、4時間も歩いたことになる。1およそ12㎞だから時速3㎞。80歳を超えて歩く速度が遅くなった。1時間に3kmしか歩けない。駅の横にイーオンの新しい店ができていたので、一寸のぞきたいとおもったものの疲れ果てていて、のぞく元気はなく、すぐリニモに乗車、藤が丘で地下鉄乗り換え家に2時半帰りました。









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