白雲去来

蜷川正大の日々是口実

来し方を切実に反省しつつ、今日も酒。

2017-06-16 12:46:24 | 日記
六月十一日(日)曇り。

のんびりと起きて、朝食は、お弁当用の豚肉が沢山残っていたので、朝から薄切りの豚肉を重ねたポークカツ。青さのスープ。キャベツの千切り。昼食は、自宅の近くのラーメン屋「たつ屋」にて、餃子に小ラーメンのセットに、ビール一本。夜は、お友達と待ち合わせて、「やまと」から「一休」へ。

今日は、サリーから、横浜の天王町と言う所のお祭りに誘われていた。知り合いばかりが集まって楽しいのだが、機関誌の編集が終らず、断念した。

毎日、少しずつ野村先生の本を読み返している。特に『獄中日記』を主に読んでいる。

昭和四十二年五月二十七日の日記。昭和四十二年と言えば、西暦で一九六七年、もう五十年も前だ。私は十六歳。先生は、昭和十年生まれだから三十二歳だ。「今週も一週間、びっしりと座禅を組んだ。苦節十年と言う言葉もあるが、最近ではついに公案(こうあん=禅宗において修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題のこと)の徹底を得るようになってきた。Y君、U君と商量(しょうりょう=どうすべきかについていろいろな場合を考えること)する。日々実に好日なり。雑念を捨てて心静かに、自然を知ることのできる、歓喜の人生を養うべし」。

刑務所などにいても先生のこの姿、この姿勢、求道の日々。金が無いだの、人づきあいが面倒だの、酒が飲みたいなどと言っていたら、先生からどやされそうだ。

前日の日記には、こうある。「連日、黙々と道を求めてやまぬ。いつ立っても良い肚をつくるために。いつ死んでも良いために。いつでも死ねるために。吾が修業は黙々と続く」。嗚呼、師は偉大なり。来し方を切実に反省しつつ、今日も「黒霧」で酔う。数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん。とは、兄と慕った阿部勉さんのものだ。
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