白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ナンキン町は死語になった。

2017-03-07 17:27:40 | 日記
三月五日(日)晴れ。

森友学園の問題は困ったものだ。理事長の資質は別として、子供たちに、日本的な礼儀や躾をすることが、あたかも悪いことのようにマスコミは報じ、教育勅語が軍国主義の代名詞のように、連日繰り返し報道している。いつまで続くのやら。保守派にとってはかなりの打撃になっているのではないか。

「この間、久しぶりに横浜の中華街へ行って見て、キレイになったのに驚いた。正直なところ、中華街なんていっても、私にはピンと来ない。横浜生まれの私には、ナンキン町といい慣れてる。敗戦後はシナもナンキンもいけないことになって、昔の名称を書いては、慌てて消す始末である。昔のナンキン町には、独特の臭気があったが、今は大変衛生的である。その上、近代的建築になって、銀座あたりと変らぬ冷暖房完備のキレイな料理店が、大部分である。アメリカあたりの中華料理店は、きっとあんな風だろう。まったくナンキン町だの、シナ料理だのといっては、申し訳ないようなものである。」横浜生まれの作家、獅子文六の『食味歳時記』(中公文庫)の中の「中華街」と題した一文である。奥付を見ると、これが女性誌『ミセス』に掲載されたのは、昭和四十三年のこと。今から四十九年も前の中華街の風景である。

東横線が、中華街まで通じたせいもあって、連日にぎわっている。特に土、日曜日などは馴染みの店さえ入るのが難しくなった。過日、長年通っているお店に行ったら、入口に「土、日曜は予約の無い方は、入れません」というようなことが書いてあった。獅子文六の言うように、今では、中華街を「ナンキン町」や「チャン町」などと言う人は、皆無だろう。まして「シナ(支那)」などと言う言葉は、若い人には通じないかもしれない。私が子供の頃は、女の子の三つ編みに結った髪形を「ナンキン編み」と言っていた。恐らく、その昔の支那の弁髪の名残で、そう呼んだのだと思う。

折角、中華街に来ても、焼きそばや春巻きなどを食べて帰っては、中華街に来た意味がない。美味しいものを食べるのにも勉強が必要だ。平日にのんびり行ってみるか。
 
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