白雲去来

蜷川正大の日々是口実

一斗飲めば無為自然の境地に合致する。

2017-08-10 12:55:02 | 日記
八月一日(火)雨。

台風の余波か朝から風雨強し。酔狂亭と名づけたわが陋屋は、風雨が強いと雨漏りがする。諸般の事情で、修理するのは二年後。何とか、台風や大雨が避けてくれるように祈るばかりである。以前、人の苦労も知らないくせに、顔を見ると「楽そうだね」「随分と稼いでいるんじゃないの」とか、嫌味を言う男がいた。そいつに対して、「ええ、大楽ですね。何と言ったって、私の家の庭には、築山があって、周りには川が流れているくらいですからね」。と話したら、「すごいね」と感心したので、「何言ってんの、質の流れに、借金の山だよ」。と言ってやったら、すごすごと帰って行った。

朝食は、竹輪のカレー味揚げ、冷奴、小納豆。昼は、下の子供と「ビックボーイ」でハンバーグランチ。夜は、平塚の憂国の社長、I氏が横浜に来訪。牛タンの名店「たん右衛門」で一献会。その後、関内に転戦して帰宅。

酒とズブズフの関係となって久しいが、何と言っても、気の置けない人たちとの一献会に勝るものはない。憂国談義、正に時局を肴にして語り合うことこそ、健康の基本。生憎の大雨だったが、楽しい時間だった。李白は「月下独酌」の中で、こう言っている。

天がもし酒好きで無いなら、
酒星という星が天にあるはずがない。
地がもし酒好きで無いなら、
地上に酒泉という場所があるはずがない。
天地はそもそも酒好きなのだから、
酒を愛することは天地に恥じることではない。
魏の曹操が禁酒令を出したが、人々は
清酒のことを「聖人」、
濁り酒のことを「賢人」となぞらえて、
酒を飲み続けたと聞いている。
このように、酒は聖者・賢人も飲み込んでしまうのだ。
べつに仙人になろうとする必要は無い。
三盃飲めば道教の根本原理に通じ
一斗飲めば無為自然の境地に合致する。
私はただ、酒の情緒を楽しみたいだけなのだ。
飲めない奴にこの楽しさを教えてやることは無い。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 復た呉下の阿蒙にあらず。 | トップ | 中華街のことなど。 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL