白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お祭りと誕生祝。

2017-09-20 11:58:57 | 日記
九月十七日(日)雨。

明け方に、寒くて目が覚めた。もっとゆっくり秋になって貰いたいものだ。朝食は、昨日の鍋の残りにスープを足して、インスタントのラーメンを入れた。もう一品は、鍋に入れるつもりで買った鶏肉が残ったので、から揚げにした。昼は、伊勢佐木町のお祭りで、同級生が仕切る町内会で軽く一杯。夜は、下の子供の誕生日と言うことで、南太田の駅前にある「南苑」という焼肉屋で食事。その後、子供たちを帰してから、愚妻と「やまと」へ。

夕方まで機関誌の編集を行い、終了後に伊勢佐木町へ。今日は、お三宮のお祭り。同級生二人が隣接する町内で世話役をやっている。外は、雨なので、自宅で仕事を済ませてから、お祭りの直会の席に家族で顔を出す。サリーファミリーや、ほとんどの人たちが知った顔。一時間ほどいてから、お暇した。

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旅愁。

2017-09-20 11:08:38 | 日記
九月十六日(土)晴れ。

良い天気ではあるが、吹く風に秋の装いを感じる。前期高齢者となってから、一日一日が大切に思える。そんな訳で、一日の食も大切である。と言いながら、朝食は、冷蔵庫にある冷ご飯を使ってチャーハンを作った。それにしじみの味噌汁。昼は、そのチャーハンのおにぎり一つ。夜は、ちょっと寒かったので、鶏肉と白滝をたっぷり使った「鍋」にした。もう一品は「タコネギ」。これは薄目に切ったタコと薄斜め切りしたネギを、ごま油、醤油、七味唐辛子で和えたものだが、酒の肴には絶品である。ただし、ごま油は、最後に入れること。

過日、展転社の荒岩宏奨さんのフェイスブックに、秋の落日の写真が掲載されていた。冬から春になるのは、気持ちが華やぐが、夏から秋に季節が移る時は、なぜか寂しく感じるものだ。私は、荒岩さんのその写真に、「旅愁」の歌が浮かぶ、とコメントを入れさせて頂いた。その「旅愁」だが、私は、これまで、ずーっと日本人による作品と思っていた。久しぶりに、その歌を聞きたくなってPCで検索してみたら、何と、アメリカ人のオードウェイと言う人の曲と知った。彼は、アメリカ民謡の父フォスターと同時期のアメリカのソングライターであるとのこと。

作詞は、犬童球渓(いんどう きゅうけい、1879年4月20日 - 1943年10月19日)は、日本の詩人、作詞家、教育者。熊本県人吉市出身。1901年、熊本師範学校を卒業し、宇土郡網田小学校に勤務する。1905年、東京音楽学校卒業。本名は「犬童信蔵(いんどう のぶぞう)」というが、球磨川の渓谷に生まれたことから「球渓」というペンネームをつけた。新潟高等女学校赴任中に訳した『旅愁』、『故郷の廃家』が明治40年(1907年)の「中等教育唱歌集」に取り上げられ、現在でも広く歌われている。犬童球渓はこれらの代表作も含めて、生涯に250曲ほどの西洋歌曲の翻訳作詞を残した。彼の訳詞の特徴として、英語からの直訳を嫌い、日本語らしい表現にこだわった点などが挙げられる。1943年、人吉市で自殺。(ウイキ)

旅愁(明治四十年発表)

ふけゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む 
恋しやふるさと なつかし父母 夢路にたどるは さとの家路
ふけゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む

窓うつ嵐に 夢もやぶれ はるけきかなたに 心まよう
恋しやふるさと なつかし父母 思いに浮かぶは 杜のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ はるけきかなたに 心まよう

夜は、これまでの自身の来し方を反省しつつ、酔狂亭で月下独酌。お供は、ちょっと贅沢をして、随分前に岐阜の怪人H川先生より頂いた「農林二号」の四合瓶の封を切った。

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