王政→共和制→帝政
ポエニ―戦争BC270~146
ローマとカルタゴの戦い マケドニア戦争
グラックス兄弟の改革
「SPQR」の文字は、「元老院並びにローマ市民」という意味。
古代の国家ローマとその市民の栄光と誇りを現すものであり、
当時ローマ帝国の領域であった現在のヨーロッパや北アフリカにいたる
あらゆる地域で公共物に全て刻まれ、軍団の軍旗などにも使われた。
ローマ時代の遺跡やそれを基にした建造物、
ローマ市の盾形の紋章に見て取ることができる。
第1回三頭政治 ポンペイウス、クラッスス、カエサル
第2回三頭政治オクタヴィアヌス、アントニウス、レピドゥス
五賢帝の時代・ローマ最盛期 トラヤヌス
ローマの領土は最大
マルクス=アウレリウス=アントニヌス
哲人皇帝 映画 グラディエーターの時代背景
ローマ帝国にも崩壊
ゲルマン民族大移動やササン朝ペルシアなどによる外圧
これらに対抗するためには膨大な予算が必要となるわけです。
では、その財源はどこからくるのか?そう民衆からの税です。
さらに税をどこからとるのが手っ取り早いのか?
商業活動の活発である都市に重税を課しちゃえば早いですね。
しかし、そんなことをすれば都市は衰退し、やがてローマ全体の商業活動にも影響がでてきてしまうのです。
また、都市の有力者は税金が高いから地方に移っていきます。
すると有力者はローマの支配から逃れ広大な土地や人民を私有していくようになります。
そして最後の皇帝テオドシウスの時代がやってきます。
彼は、キリスト教を国教化しキリスト教以外の宗教を異教として禁止します。
まぁ、国がボロボロなので精神面だけでもひとつにまとめ上げようと考えたのでしょうね。
その他にもテオドシウスは古代オリンピックを廃止したり、
建国以来絶えることなく燃やされ続けていた聖なる火を消してしまったりしているのですが、
死の間際にとんでもないことをやってしまいます。
395年、ローマ帝国を東西に分けて2人の息子にそれぞれ分け与えてしまったのです。
東ローマはコンスタンティノープルを首都とし、西ローマはミラノを首都とします。
その後、西ローマは476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルにより滅亡され、
東ローマはビザンツ帝国として1453年まで続くことになるのでした。
歴史時代別 №2 飛鳥・奈良~昭和・平成 海外編 索引
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