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読書記事 クリミア戦争2014.03.02~03.08 [134]

2017-02-09 08:49:06 | 読書記事

読書記事 2014.03.02~03.08  岸田吟香・劉生・麗子~知られざる精神の系譜~展  

俳人芭蕉の言葉

「俳諧は三尺の童にさせよ」  門人の土芳が俳論『三冊子』

ひな祭り 結婚するなと父が言う

日本国憲法

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

時間も空間も絶対ではないという相対性理論

 

クリミア戦争(クリミアせんそう、英: Crimean War、仏: Guerre de Crimée、露: Крымская война、土:KırımSavaşı)は、1853年から1856年の間、クリミア半島などを舞台として行われた戦争である。

クリミア戦争(Crimean War)は、衰退したトルコを食い物にするロシアと、ロシアの進出を嫌うイギリスやフランスとの戦いである。その発端はトルコ領エルサレムの聖地管理権問題で、カソリック(フランス)とギリシア正教(ロシア)の宗教問題が絡んでいた。

 

1853-
1856
ロシアと連合国(オスマン帝国・フランス・イギリス)との間でクリミア戦争。連合国 の勝利に終わった。

 

1853 ペリー提督が日本を開国させるために浦賀に来航、大統領の親書を幕府に提出。翌年、江戸湾に 再航、横浜で日米和親条約を結ぶ。

 

1861-
1865

南北戦争。連邦政府が南部にある駐屯軍を増強し始めると、それを見た南部諸州がサムター要塞 を攻撃し、南北戦争の幕が切って落とされた。

最初は南軍が優勢だったが、戦争が長引くにつれ、産業と人口で まさる北部が戦況を逆転した。

 吉田松陰

嘉永6年(1853年)、マシュー・ペリーが浦賀に来航すると、師の佐久間象山と黒船を視察し、西洋の先進文明に心を打たれ、外国留学を決意。

同郷の金子重之輔と長崎に寄港していたプチャーチンのロシア軍艦に乗り込もうとするが、ヨーロッパで勃発したクリミア戦争にイギリスが参戦した事から同艦が予定を繰り上げて出航した為に失敗。

 

 



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