ダンナのぼやき

あられダンナの日々のぼやきです。
色んな事を思い、考えぼやいてます…。

GODZILLA

2014-08-03 12:30:03 | 映画
『GODZILLA ゴジラ』を観た。

思えば、このブログにおいて。
ハリウッド版再リメイクの噂が立った時から、ずっと追い掛けていた作品。
それがやっと作品として完成し、観れたと言う事実は感慨深い。
生誕60周年、劇場公開の新作としては10年ぶりとなる本作。
日本の「ゴジラ」シリーズを全て観たファンとして、冷静に色々語るには時間が必要でした(苦笑)。
今、やっと自分なりに本作に対する冷静(?)な評価が出来ると思うのブログに感想を挙げます。



結論を先に言ってしまうと…。
本作を最初に観た直後に言いましたが、個人的には本作が傑作である事は変わりありません。
正直「こんなゴジラが観たかった!」と言う想いは強かったです。
しかし何度か本作を観て、確かに突っ込みたくなる要素もあるのも事実です(苦笑)。
ただ、その突っ込みたくなる要素も猛烈な勢いで木っ端微塵にしてくれるのが、今回のレジェンダリー版『ゴジラ』の大きな魅力です。
昨年の『パシフィック・リム』と同じく。
やっとハリウッドでも、正統派の「怪獣映画」が作られる事実は嬉しくもあり、複雑な気持ちでもあるのも事実です。
ってな訳で本作について語っていきます。




※注意:ネタバレ炸裂!!



公開直後の感想として。
本作に関して「良い意味で裏切られた」と言い、巧みなミス・リードが効いていたとも言いました。
ソレはこれまで公開された予告篇やヴィジュアルにあった、圧倒的な「絶望感」に起因します。
ソレを観たファンならば、その圧倒的な「絶望感」は“破壊神”であるゴジラと人類の攻防によるものと連想します。
しかし、実際に本作を観れば明らかなのが“ゴジラ”という存在の解釈でした。



この“ゴジラ”への解釈が良い意味での「裏切り」であり、「ゴジラ」というシリーズが呪縛から解放されて再生される要因です。
「核の申し子」、「戦争のメタファー」という要素は、最高傑作である『ゴジラ(’54年版)』によるモノです。
良くも悪くも、この要素が「ゴジラ」と言うシリーズにおいて作る側にも観る側にも“呪縛”として存在し続けました。
その“呪縛”は「ゴジラ」と言うキャラクターの可能性を制限し、強迫観念的に「ゴジラとは人類の敵であるべき!」と思わせて来たと思います。
本作において、その“呪縛”を上手く逆手に取って王道通りながら新しい「ゴジラ」として再生させる事に成功させました。



ゴジラという存在は「大自然の象徴」である事。
正にソレは地球にとって、その存在は人智を超越した「荒ぶる神」であるのが本作のゴジラ。
ゴジラにとって、人類の存在は全く眼中にはない。
世界の頂点に君臨する神として、世界の調和を乱そうとする脅威を狩る為にゴジラは登場します。
世界の調和を乱そうとする存在が、本作における敵怪獣ムートー。
ムートーと戦う為にゴジラは登場しますが、決して人類を守る為ではないのがポイント。
ハワイ上陸では大津波が起き、サンフランシスコでの死闘でも人類は巻き込まれる哀れな存在です。
この「地球の守護神」的な要素が、平成ガメラっぽいと言われる要因かもしれません。
個人的には平成VS/ミレニアム・シリーズよりも、昭和シリーズのゴジラの要素が強いかと感じています。



本作は人間側のドラマ・パートが多いと指摘されます。
ただ個人的にはそう思えません。
クライマックスに用意されている、文字通りの人智を遥かに越えた「神々の戦い」による地獄絵図を描く為に必要な要素です。
特に「鍵」となるのが、事件の発端から巻き込まれてしまうブロディ家の悲劇。
父ジョーと母サンドラは日本の原子力発電所の技術者でした。
しかし復活したムートー(幼生)の襲来によって、原発は事故を起こし周辺は汚染地域として隔離されます。
この原発の描写、そしてハワイ上陸で起きる大津波の描写は我々日本人にとって観ていて痛々しいモノがありました。
唯一の被爆国である日本、そして自然災害により甚大な被害に負った今の日本にとって大きな問題提起でもあります。
さすがに僕でも観ていて、胸に複雑な思いが駆け巡りましたが…。



ジョーは妻を失ったショックから立ち直る事が出来ず、事件の真相究明に躍起になります。
それが結果として息子フォードとの関係において、大きな埋め難い溝を作ってしまう。
狂気スレスレのジョー(演:ブライアン・クランストン)の存在が大きい。
事件の真相に気付き、政府がひた隠す事実を暴く事に執念を燃やすジョー。
フォードから過去を乗り越えて、関係を修復して新たな人生を歩もうと提案されるも自身の喪失感から逃れる事が出来なかった。
事件の真相を暴き自身が正しかった事、そして自身も被害者であった事が明らかになるも、それは次の悲劇につながるのは皮肉としか言えない。



そして主人公フォード(演:アーロン・テイラー=ジョンソン)が大きくなる。
彼も本作においては、実に「被虐的」な主人公であります。
肉親をムートーの為に失い、自身の家族を守る為に必死になるも事態は悪化する一途を辿る。
このフォードの存在はある意味「歩く災厄」と化し、行く先々で怪獣と遭遇して家族の元に戻れなくなってしまう。
コレは強烈なブラック・ジョークに思えてしまうし、逆に典型的な「ゴジラ」シリーズに登場する“巻き込まれ型主人公”とも言える。



主人公を科学者やジャーナリストではなく、軍人(爆発物処理班)にした事も大きい。
自身の職権を使って帰国しようとすれど、事態の悪化に伴いフォードは「神々の戦い」の最前線に駆り出される。
フォード自身、自らの復讐心を余り見せずに大切な家族の元に一刻でも早く戻ろうとすればする程、事態は悪化の一途を辿る(苦笑)。
この強烈な「負の悪循環」によって、決してフォードという主人公が典型的なヒロイックな活躍を見せないのも良い。
ここでヒロイックにゴジラやムートーに立ち向かってしまうと、ハリウッドの典型的なアクション・ヒーローとなる。
しかしフォードは望まない作戦に参加し、自身の家族を守ろうとする「1人の普通の男」という描写がドラマでは際立っている。



だからこそクライマックスでの、あるお馴染みとなった決死の「ヘイロー・ジャンプ」作戦。
退路を絶たれてしまった事によって、遂に覚悟して自身で死地に赴き家族を守る為に戦おうとする姿が非常に印象的になる。
その事が逆にムートーと言う自身にとっては憎むべき存在と、人類側との類似点を作ってしまうと言う意外な展開にもつながる。
ギャレス・エドワーズ監督は、アーロンには第1作目の「ゴジラ」を観る様に言ったと聞きます。
ソレは本作が故・本多猪四郎監督と同じく、ドキュメンタリー的視点で本作が展開する為かと思われます。
この要素は、ギャレス監督のデビュー作『モンスターズ/地球外生命体』に通じる要素かと解釈出来ます。



本作には芹沢猪四郎博士(演:渡辺謙)が登場する。
コレは1作目で最も重要なキャラであった芹沢博士、そして本多監督へのオマージュ的なネーミングです。
ただキャラとしては、1作目の山根博士に通じる存在かと思います。
謎の秘密組織「モナーク」に所属、伝説の存在である「ゴジラ」を追い続ける芹沢。
物語の展開において非常に重要な存在ながら、芹沢博士もまた先に登場したフォードと同じ存在でもあります。
本作で起きるような事態を予測はしていたものの、実際に起きてしまうと何も出来ない無力な人類側の視点で観る側を導きます。
芹沢博士はゴジラやムートーに関して、科学者として見解を述べる事によって物語は観る側にとって観易くなります。
一方では物語の展開と共に、自身の無力さを芹沢は痛感します。
ただ彼が他のキャラと違うのは、今起きている事が決して人類だけで収束出来るような事でない事。
ある種の達観した視点は、ゴジラやムートーという脅威を際立てます。



本作のドキュメンタリー的要素は、最前線にいる主要人物の視点で物語が展開するからです。
ここに他の一般市民の生活や政治家や大統領の演説等は入りません。
時折挿入される冷淡なニュース映像や、被害現場の映像によって事態がいかに深刻なものかが判ります。
ただドラマは、あくまでもゴジラとムートーの戦いの最前線に巻き込まれた人々の視点で描かれます。
ゴジラとムートーの登場によって、世界中がいかに混沌としているのか、どれだけ甚大な被害を被ったのか。
決して具体的に描かれず、非常に冷酷な視点で人類側が静かに滅亡の危機に瀕している事を表現します。
このドラマを描く手腕は秀逸であり、残酷ながらも鮮烈なものでありギャレス監督の意図する事が明確になっていきます。



もはや単なる傍観者と化した人類。
挙げ句の果てにゴジラとムートーに対して、軍は核攻撃を決定します。
60年以上前、幾度も核攻撃を生き延びたゴジラ。
おまけに核をエネルギーとして生きるムートー。
この愚かな決定に芹沢は猛烈に反発しますが、「当時の核兵器は今のモノと較べて爆竹程度のもの」として一蹴するアメリカ軍。
それに対して失望し指揮官であるステンツ提督に、自身の父の形見である止まったままの懐中時計を見せる芹沢。
その懐中時計を見て、重々しい口調で「広島…」と答えるステンツ提督。
このシーンこそ、ある意味ドラマ・パートのハイライトと言えるかもしれません。



そして怒濤のクライマックスに物語は突入します。
ここから俄然映えて来るのが、敵怪獣であるムートー。
最初は原子炉で繭のまま放射能を餌として吸収し続け、成体として雄が登場。
このムートーのデザインを見た時、最初は「アレ?」という違和感があったのも事実です(微笑)。
ただ空を飛び、海に潜ってはロシアの原子力潜水艦を襲撃。
派手さこそないものの、武器としてEMP攻撃まで仕掛ける見事な怪獣っぷりに圧倒されました。



更に雌のムートーまで登場。
飛翔型の雄よりも更に巨大、かつ獰猛な怪獣っぷり。
1匹だけでもどうしようもないのに、2匹登場して繁殖しようとしている事も判明。
こんな最悪な巨大生物が繁殖に成功したら?
それは人類の滅亡を意味しています。



このムートーという怪獣に、ギャレス監督の個性が充分に発揮されていました。
かの『モンスターズ/地球外生命体』でも、怪獣の求愛と繁殖が重要なキーワードでした。
この雄と雌の「夫婦」としてのムートーは、皮肉にも主人公フォードとエルに裏返しでもある事は明らかです。
つがいとしてゴジラに襲いかかった時、フォードによってせっかく生んだ大量の卵を爆破され全滅された時。
それまでとは違い、実に悲痛な叫びを上げて巣に戻る雌ムートーの姿は今までの怪獣とは一味違います。
ここに少々フェティッシュなギャレス監督の拘りを感じます。



もうラスト20分のゴジラ対ムートーの戦いは壮絶!
ここで明らかになるのが、このレジェンダリー版ゴジラが実に着ぐるみっぽいアクションをする事。
実はゴジラに関して、かのアンディ・サーキスを招いてモーション・キャプチャーで撮影されたと聞きます。
着ぐるみっぽい質感と、アクションはギャレス監督の拘りだった様です。
時期的(『猿の惑星/新世紀』の撮影と被る)に、サーキスがどれだけゴジラを演じたか不明。
サーキスは、キングコングとゴジラの2大怪獣を演じた快挙を成し遂げた事になります。



アクション的にはヒグマ等を参考にしたと言いますが。
飛び回る雄ムートーを両腕で掴み、雌ムートーにパンチを喰らわせ踏みつぶすアクションは非常に人間っぽいです。
そう言ったアクションの壮絶さも、コレが我々の良く知る「ゴジラ」である証明であり。
あと何と言っても背びれを発光させながら、放射火炎を吐く姿はサイコーに痺れました。
エメリッヒ版ゴジラ(何度も言いますが個人的には嫌いではないです:苦笑)が避けた、この放射火炎のシーンは正に圧巻。



雄ムートーを強烈な尻尾の一撃で叩き潰し。
最後、雌ムートーに残ったエネルギーを全て文字通り放射火炎を吐き出す姿は強烈。
この作品に登場するのが単なる“巨大生物”ではなく、人智を超越した「怪獣」である事を観る側に叩き付けます。
残った雌ムートーの首を放り投げるゴジラの姿に、彼が正に「荒ぶる神」である事が象徴的に描かれていたかと思います。
ゴジラ登場まで焦らしまくる展開ながら、いざ登場すると巨大過ぎてその姿が確認出来ない。
そんな状態で好き放題に暴れ回るムートー達の前に立ち塞がって、戦いを挑むゴジラに本作が「怪獣映画」の王道であり再構築であると思いました。



そして訪れる静かなエンディング。
壮絶を極めた死闘の後の割には、実にあっさりした終わり方だったかと思います(笑)。
ムートーと言う脅威は去った。
ド~ンと派手に人類にとって、ゴジラという存在が「救世主」であるのかが問われないのが実に心地良かった。



確かに今回、ゴジラは人類を結果的に救った事になる。
その一方ではゴジラとムートーという人智を越えた存在の戦いは、莫大な犠牲を生んだのも事実であります。
静かに街を去り、海に帰っていくゴジラ。
その姿を、ただ呆然と畏敬の念で見送るしかない人類…そう言った意味で実に相応しいラストだったかと思います。



一番最初にも言いましたが、個人的には本作が傑作である事に変わりないのは事実です。
ただ、やはり幾つか気になる要素もあったのも事実です。
まず本作の上映時間を2時間弱に押さえた、そのテンポが良い編集は良かったと思います。
でもドラマの展開上、不自然になってしまう部分もあったのは事実。



例えば、TVでゴジラとムートーが戦っているニュース中継。
アレって本当はもっと長かったのでは?と思えてしまう。
ネットでもサイトで、目撃者の映像として先行してゴジラとムートーが戦っている映像は流れていた。
あとゴジラ初登場のシーンの後に、いきなり息子の寝顔に切り替わるのは不味い。
あそこは息子がニュースを見ているか、小説通りのヒロイン・エルが「嘘でしょ?」と恐怖に戦くシーンの方が絶対に良かった。



あと核ミサイルの扱い。
原発や津波のシーンに繊細な配慮があったと思うが、やはり核ミサイルの取り扱い方がソレに較べて緩い。
ラスト、フォードは結局起爆装置を解除する事が出来なかった。
そしてサンフランシスコ沖で、核ミサイルはタイマーが機動して爆発する。
確かに核ミサイルに雌ムートーが卵を産みつけていたので、核ミサイルとしての威力は吸収されて激減していたと言う解釈も出来る。
ただ、やはり爆発させてはアカンやろ…と思ってしまう。
フォードの爆発物処理班と言う設定(わざわざアナログに変更したのもフォード自身)も、それでは台無しになってしまう。
この辺りに新鋭ギャレス監督の、演出の粗さと甘さが出てしまったのでは?っと思えてしまう。
しかし本作が監督作2作目である事を考えると、彼が逸材である事実には変わりないと思いますが。



何はともあれ、本作は世界中で大ヒットを記録した。
ここ日本でも初登場1位となった。
早速、ワーナーとレジェンダリーは『ゴジラ』のシリーズ化を発表した。
そして先日のコミコンでも、ギャレス監督の続投とモスラ・ラドン・キングギドラの登場まで予告された。
3部作になると言われる『ゴジラ』、次回作に一気に3大怪獣が登場するのか…ソレもちょっと無理があるのでは?と思う。
それでは単に『三大怪獣 地球最大の決戦』のリメイクになってしまう。



「2」~「3」と、モスラ・ラドン・ギドラが順番に登場するのでは?と思われる。
実は本作、至る所に「モスラ」オマージュが満載だった事実がある(例:主人公が子どもの頃、飼っていた蝶の名前が“モスラ”!)。
「2」でモスラとラドン(どちらが補食対象の可能性大)、「3」で最大の敵としてキングギドラが登場…って展開なら燃えると個人的には思う。
ギャレス監督は、次回作に「スター・ウォーズ」のスピン・オフ作品(詳細未発表)を撮る事が決定している。
更にレジェンダリーと新たにパートナーとなったユニヴァーサルはキングコングのリメイクとして「Skull Island」の製作も決定した。
って事はキングコングとの再戦も可能となった。
今後も、レジェンダリー版「ゴジラ」の周辺は何かと大変な事になりそうな予感がする。
ファンとして楽しみに待っていたい。
何はともあれ、多く方にこの怪獣王の映画復帰作を劇場で体感して欲しい。
超オススメです!!


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