すみれ/ウェリッシュコーギーペンブロークの女の子です。
すみれと私のカントリーライフをスケッチします。
すみれスケッチ
今日のお遊び 内装もいよいよ佳境に

今回の小屋の作業は壁板を貼ること、そして窓の仕上げ。前回までにサンダーを掛けておいた友人宅から来た板を貼っていきます。窓って、そう言えば穴を開けた後、どうやって作るのかしら? まぁその部分を残して貼っていきましょう。古い板は釘の後や、色の変化した所もありますが、全体を貼ってみると、なんとまぁ素敵な風情かしら。こんな古い小屋に新しい板は合わないので、内装にぴったりなチョイスでした。さて、窓は? 時々声がかかります。枠にペンキ塗ってくれる? ハイハイ、ほいじゃお昼までに塗っとくね。ペンキが乾く間、あちこちの窓の網戸も出来ちゃった。網戸の網を買って来て、木で作った窓枠に貼っていきます。これはもうすっかり馴れたホチキス。最後に網を挟む様に薄い板を貼っていって終了。
元々あった窓だけでなく、新しく作った小さな窓にも網戸が着きました。ついでにこちらは開閉も出来るような細工が。開けるためのつっかい棒はゴールデンウィークに海で拾ってきた流木。きゃっカワイイ。いいじゃんいいじゃん。ハイ自画自賛。この小屋自体がそうですが、何とかやっていくとその時々の問題点もクリア出来るようです。って夫がですが。
今回は見学者が二組。日本画家のKさん。そして義妹夫婦。Kさんの個展会場でお互い顔を合わせているので、和気あいあい。楽しいお茶タイムでした。そうそう、Kさんはお茶畑の風景に魅せられて移住して来られたのですが、ご自宅には3列ほどお茶が残っているそうです。そのマイお茶っぱを摘んで作られたお紅茶、頂きました。もうびっくり。ああ、ホントお紅茶の匂い。釜煎り茶より簡単なんですよぅ、って仰有っていましたが、自宅で作れるのですねぇ。早速頂いてみました。おっ本当だ。お紅茶だ。へぇ、すごい。
自称ナンチャッテ農家ですが、いやはや上には上がいます。我が家にも1本お茶の木がありますが、来年やってみようかなぁ。いやぁお茶とはいきませんが、ナスや胡瓜、トマトの葉っぱが風に揺られて、やっぱり素敵な風景ではあります。夏野菜の収穫と小屋の完成とどちらが早いでしょうか。
今日のすみれ お友達がふえた

京都駅八条口で待ち合わせ。息子夫婦と娘夫婦と一緒にお墓参りをかねて京都旅行。駅でレンタカーを借りて、さぁ出発。ご主人の仕事の関係で今大阪に住んでいる姪とナンチャッテ孫たちと一緒にお参りです。残念ながら、我が家の子どもたちの結婚式に両親は出席することは叶わず、今回、婿殿は初お目見え。孫のYも、お嫁チャンのSちゃんのお腹にいたので、出てきてからは初めて。ひ孫たちがきゃぁきゃぁ言いながら歩いて行く姿を見て、こちらは感無量です。
私の祖父母にもお参りし、こうやって、みんなあっちに行って寂しくなって、でもこうやってまたこちら側も増えて賑やかになって、いずれ私たちもあちらに行くのだなぁ、と痛切に感じました。その時々の悲しみや喜びを飲み込みながら人は時間というものを過ごしていくのでしょう。
京都のホテルに戻って、夕飯は外で。じゃロビーで待ち合わせね、といって私は大急ぎで、送っておいた着物を着ました。母の着物の整理をしていたら、ちょうど今着られる単衣も何枚も出てきたので、悪戦苦闘しながら、一人で着られるように練習しました。You Tube ありがとう!! 大汗かきながら何とか習得。着物の相談に乗って頂いてる美容院に着物で出向き、よくできてる! なんて褒めて貰いながら、いくつもコツを伝授して頂きました。最初は1時間くらい掛かっていましたが、何とか30分で着られるようになりました。
満を持して下に行ったら、みんなあんぐり。で、出てきた言葉が、仲居さんみたい、ですって。ホントにもう。でもSちゃんと娘はとっても褒めてくれたから、ま、よかった。小さい時連れられてきた湯豆腐の店かどうかは定かではありませんが、そこに母の着物一式を着て、孫を連れて一緒にお出かけ、なんてこれまた不思議。
次の日はホテルの近くの南禅寺から、父の歩いたであろう、哲学の道。初めて組が多かったのでちょっと散策。銀閣寺まで行きました。幸いお天気にも恵まれ、というか暑いくらいで、Yにはちょっと大変な旅だったかもしれません。みんな忙しい中時間を合わせて貰って、ありがたいことです。
夕方には戻り、すみれを迎えに行きました。彼女の様子は、ワンコ・ワークスのブログで見て安心していましたが、よほど楽しかったのか帰りたがりません。えっェー! 分かった分かった、また遊びに来させて貰おうね。前回は食事を食べなかったそうですが、今回は完食につぐ完食だそうです・・・ヨカッタっていうかぁ・・・
今日のお遊び 木漏れ日の金環日食

と、ところが、ウッドデッキを見ると、木漏れ日の影が水泡のようにポコポコポコポコ見えています。あっ、こっちの方がはっきりしている! まるでサイダーのように、シャボン玉のように、水玉が踊っています。およそすみれが入ったことのない犬小屋の屋根にも水玉がポコポコ。何とも不思議な情景。ちょうど今、お月様の影で金環になっています。ちょっとすると、三日月のように輪が切れて、今度は魚の鱗のような模様。あーら面白い。普段点けないテレビでもライブで日食の様子を写していましたが、まさにその形通りにポコポコが変化していきました。
やがて、お月様が動いたのか、木立の影はいつも通りの姿に戻りました。木漏れ日のポコポコにどれくらいの方が気づいたか分かりませんが、ちょっと不思議で、誰かに言いたくなるような情景ではありました。
今日のお遊び 内装のはじまりはじまり まずは窓

おっと、夫のトラックが。DIYで材料を仕入れてトラックを借りて帰ってきました。まずは物置で材料を調達する、がモットーですが、さすがに足りないものは買って来るしかありません。今回は断熱材、石膏ボードなどなど。石膏ボードをトラックから下ろして小屋に入れるだけで大汗。結構重いのね。これって。壁に断熱材を入れて石膏ボードを打っていきます。まぁざっと言うとこういうことなのですが、天井の梁をそのまま使おうと思ってしまったため、壁の形が四角ではなくなり、初心者には大変な作業となりました。壁一面を終えて一日目は終了。今日は南側の窓のある壁に石膏ボード。この面は、外壁を貼った際、断熱材を入れたので、ちょっとラクでした。こっちは夫一人で大丈夫。私は外で壁材に使う板にサンダーをかけます。これは友人宅で倒壊した塀を片付けて、ついでにいただいたもの。北側の壁一面に貼ろうと思ったらかなりの量。サンダーの振動が手に残っています。
ねぇ、ここに窓が欲しい。えっ窓? ん、窓。友人のYちゃんのエピソードがずっと頭に残っていました。Yちゃんが借家に住んでいた頃、突然、このあたりに窓が欲しいなぁ、と思って壁をほじくっていったそうです。昔ながらの一軒家を借りていたそうですが、その壁をホジホジしていったら、穴が空いて、そこを丸く大きく開けていったというのです。帰ってきたYo さん、彼は何事にも動じない大人(たいじん)の風情があって実に尊敬している方ですが、さすがにこれには驚いて、まずいよ穴あけちゃ、と言って、大工の友人を呼んで来たとか。その後二人は基礎から自分たちで行い、すごい家を建てちゃいました。窓? 好きな所に作ればいいじゃん、なんて軽く言っちゃってくれます。実はこの小屋のリフォームも以前彼ら2人に見に来て貰ったことがあります。
と言うわけで、私もここに窓が欲しい。シンメトリーに真ん中の方に二つ。なんて言ったのですが、今まで貼ってあったベニヤを剥がしてみたら、筋交いがあって、ちょっと真ん中は無理。端っこの方につけることにしました。そうはいってもド素人ですから、一体どうなることやら。この物置の中身を整理したとき、いくつか出てきた木枠の窓、いったいどこの窓だったかは不明ですが、大小取り混ぜていくつも出てきていました。丁度サイズがいいのがあったので、それをはめ込むための木枠を作り、それをはめ込むためにトタン板を切り取り取ることに。ゴーグルをつけた夫の手には金属も切れる電動カッター。秘密兵器だそうですが、いつこんなもの入手したのかしら。火花を散らしながら切り取りに成功。私はその木枠にサンダーを掛け、ペンキを塗りました。もう一面は最初から窓がありましたが、それも腐ってグズグズになっていたので、別のとお取り替え。これもついでにペンキを塗っておこう。
お昼はすみれと一緒に木陰で食べました。この木の名前は分からないのですが、今頃から丁度いい枝振りになり、テントの木、タープの木などと我が家では呼ばれています。真夏は蚊が多い場所ですが、果たしてそれまでに終わるのでしょうか?
今日のお遊び ようやく世の中に

外国民話の会、という研究会ですが、もちろん残念ながら全ての国を網羅することはできません。それでも、イギリス、アイルランド、フランス、オーストリア、ポーランド、チェコ・スロバキア、ドイツ、イタリア、ポルトガル、スペイン、フィンランド、デンマーク、ノルウェー、ウクライナ、ロシア、ブラジル、アルゼンチン、アメリカ(先住民)、オーストラリア、イラン、インド、ベトナム、中国、韓国、アイヌ、などなど、できるだけ広い地域から資料を集めました。この本の中に納められた例話は、いつもと同じように、まだ日本で出版されていない話を中心に選んでいます。今回はとても話数が多かったので訳出した話を全部載せることは出来ません。リストに載せるだけでしたが、そのリストにのせるまで本当に随分時間が掛かりました。
私は中国担当です。今回の本は一応研究書ですので、ただ話だけではなく、先行論文も訳しましたが、いやぁ大変でした。一番苦労した点は資料を入手出来ない、ということです。論文の中に挙げられている資料も、出来るだけ自分で本屋に注文しましたが、なんでこんな時代にこんなに時間が掛かるのだろうというほど、中国から日本に渡ってくるまで時間が掛かります。それでもあればいい方で、もう絶版になりました、なんて返事もしばしば。自分一人ではどうしようもなく、多くの方に助けられました。中国の民話がご専門の先生は快くご自分が持っている資料をコピーしてくださったり、またその中国の論文の中で言及されていた先生(中国の大学で講演された方)には、ご自分の草稿と中国で出版された論文の両方をお送り頂いたり、ある研究所の方は、資料を送って下さった折にいろいろ親切にお教え下さったり・・・また地元の図書館にも通いました、あちこちの大学の図書館のコピーサービスをお願いしたのですが、いろいろな連絡も含めて係の方には随分ご足労を掛けました。そしてもちろん、その資料や論文を訳す度に、中国語の先生にみて頂きました。カリキュラムを全く無視して。文化大革命経験者の先生は、ご自分は昔話を聞いたことがない、と言いつつ、私と一緒に中国の昔話の森に迷い込んでだために、そういえば、おじいちゃんは知っていた気がする、とか、ご自分の子ども時代のことを思い出したり、あれ、この話他でもあったよね、なんて随分精通されてきています。実際のところ、本に書かれているだけでは分からないことが、先生の実体験のなかから理解出来ることなども多く、何ともありがたいことです。
私の書いた原稿なんてページ数で言えば、とても少ないのですが、それでも、たったこれだけの枚数を書くだけでも、どれだけ多くの方々にお世話になったのだろうか、と感謝に堪えません。
もし、ちょっとでも面白そう、なんて思って下さった方には、目を通して頂けると幸いです。
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