連々想 〜日々いきいきと〜

私の目線で日々感じたこと

残したいもの・・・

2011-07-12 18:33:22 | 日記

先日、ある介護付きの高齢者専用施設にお住まいだった方が、急にお亡くなりになられました。

その方の装具が完成し納品する寸前で、装具が完成したらもっと活動範囲が広がると心待ちにして下さっていました。

お会いするといつも私や社員に折り紙細工を下さって、それらの作品はとても素晴らしい出来栄えで、

とても愛嬌があり優しさに溢れていました。

御本人の御人柄が作品に反映されていました。

彼女は若い頃、アメリカで幼稚園の先生をされていたそうで、

きっとアメリカの子供達にも折り紙を教えておられたのでしょう。

 

数週間後、その方のお部屋に施設の方と一緒に訪問すると玄関先の手入れされていた花壇は雑草が生え、

部屋の中は雑然とし、その中で彼女がニッコリと微笑んでいる写真立てがポツンと残っていました。

この写真はきっと御本人の一番のお気に入りだったのだろうなぁ。

彼女の写真を見ると彼女の人生が走馬灯のように頭に巡りました。

ご主人がいなくなった部屋は寂しい空気に包まれていました。

 

きっと今頃彼女は東北の大震災で亡くなった幼子達に天国で折り紙を折ってあげているに

違いない。そう考えると少し気持ちが楽になりました。

心から御冥福をお祈りいたします。

 

↑彼女の作品たちです。

 

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自分の目で事実を知ることの大切さ

2011-06-14 10:20:11 | 日記

震災より7週目に被災地の宮城県の沿岸部と介護避難所を訪問しました。 

テレビや新聞等で見てはいたものの実際にその現場を目の当たりにすると

ニュースでは伝わりきらない様々な事に気付かされました。

石巻市内から車で20〜30分の小高い丘の上にある避難所は介護を必要とされる方々と

その御家族が100名近くで生活をされていました。

私が行った時は段ボールで作られたベッドが支給されており、少し介護が楽になったとのこと。

支援物資としてお送りした杖も役に立っていた。

特に喜ばれたのはビーズクッション類で、膝を曲げたり体位変換にとても欲しい物資だったようです。

 

背上げ、膝上げができればご本人はもとより介護する方ももっと楽になるだろうに・・・。

必要な物の優先順位も刻々と変わっています。

空き地にはブルーシートを掛けた粉ミルクが高く積まれていた。

一輪車(台車)も何百台と積まれ、サビが出ているものもありました。

きっと現場は混乱しているのだろう。本来コーディネートをするべき役所の人達も皆、被災者なのだから。

 

避難所に向かう前に訪れた被災地ではボランティアの人達がバケツリレーをしている光景を見ました。

この積まれた一輪車が海岸沿いの家に行き届いていれば泥を運び出すのも楽だろうに…。

この一輪車の宝の山がもったいなくてたまらなかった。

 

石巻漁港も防波堤には船が何隻も乗り上げたままで、冷凍庫から流出した魚介類が漁港に打ち上げられ、

そこに地面が見えないほどに海鳥が群がっている。

数分立っているだけでも目まいがするほどの悪臭。小型飛行機も道端に放置されている。

道一つ隔てただけで天国と地獄のような別世界。

津波を受けた土地はまるでモノクロの世界でした。

誰もがこの光景を目に焼き付けたほうが良いと実感しました。

受け止め方は人それぞれであっても、心に留めるべき記憶であることは確かだと思います。

 

支援の方法は様々あります。

近所の奥様は裁縫セットを集めて送ることにしたそうです。

避難所のお母さん達は針仕事ならすぐにできるし、また裁縫をしていると気も紛れるのではないかと、

思いついたそうです。

また、住改をしている大工さんたちは大工道具を集めて送りたいと申し出て下さっています。

とにかく最高のボランティアは「関心を持つこと」

相手を思いやる最高の愛情も「相手に関心を持ってあげること」

 

 

610日の朝日新聞にとても共感する記事が載っていたので、抜粋して御紹介します。

「核ノー貫くべきだった」

カタルーニャ国際賞授与式での村上春樹氏のスピーチ

 

東日本大震災と福島第一原発の事故に触れ、

原爆の参加を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と述べた。

 

「非現実的な夢想家」と題したスピーチで

広島、長崎に原爆を投下された日本にとって「2度目の大きな核の被害」として

今回は「自らの手で過ちを犯した」という見方を示し、過ちの原因は「効率」優先の考えだと。

政府と電力会社が「効率の良い発電システム」である原発を国策として推進した結果、地震国の日本が世界第三の原発大国になってしまった。

原発に疑問を持つ人々は「非現実的な夢想家」として退けられたと批判した。

その上で、「我々は持てる叡智を結集し原発に代わるエネルギー開発を国家レベルで追及すべきだった」とし、

それが広島・長崎の犠牲者に対する集合的責任の取り方になったはずだ」と述べた。

 

復興に際し、建物や道路と違って簡単に修復できないのは「倫理や規範」だと指摘。

「倫理や規範の再生は我々全員の仕事だ」とした。

「夢を見ることを恐れてはいけない。『効率』や『便宜』という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはならない。

我々は力強い足取りで前に進んでいく『非現実的な夢想家』でなくてはならない」とスピーチを締めくくった。

 

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東日本大震災が教えてくれたこと

2011-04-27 18:30:18 | 日記

地震発生以来、ブログがピタっと止まってしまった。

「何故だろう?」

そんな事をしている間があったら何か別のことをしなければと思っていたのかもしれない。

ただなんとなく「ブログを書く気分ではなかった」のいうのが本音。

震災直後から肉体的には異常に近い程、体を動かした。

体を動かしている方が気分的には不思議と楽だったのです。

口では偉そうに東北の人達の分も「働かなければ!!」と意気込んでいた。

自分に今出来ることは、「今まで以上に働くこと」そういう思いに、つき動かされていました。

その思いは今も続いています。

 

私の小さな人生史の中でも、とても辛い経験を何度かしました。

その時の最大の特効薬は『働く事』でした。『体を動かす』ことが何よりの救いでした。

絶望から立ち上がるには、人間『体を動かす』『働く事』ことが一番の癒しであり、

生きる原動力になるのではないでしょうか。

 

先日テレビで幼い我が子が行方不明なのに避難所で集められてきた遺留品を

品物ごとに箱に入れ分別している女性を見ました。

写真などは泥を落として綺麗にし、品物ごとに名札を作り、それを体育館に整然と並べる仕事をしていました。

自発的に自分にできそうな仕事を見つけたのだそうです。

 きっと我が子の事を考えれば胸が張り裂ける思いだろうと察せられます。

でも彼女は自分でできる仕事を自分でみつけ行動に移している。

彼女も画面に向かって「体を動かしている方が気が楽なのです」と語っていました。

じっとしているとどうしても気持ちが滅入ってしまいます。

必ず誰でも自分にできる何かがあるはずです。

避難所のお年寄りの肩をもんであげている小学生が結成した「肩もみ隊」

おにぎりを竹カゴに背負い自宅避難民に届けている女の子達。

 

あの子供達は、自分達にできることは何かを幼いながらにも考え、すぐに行動に移しました。頭が下がります。

被災をまぬがれた私達は尚更もっともっと働ける。もっともっと体を動かしましょう。

この子供達は誰に教わった訳でもないのに、人の役に立つことを知っているのです。

そして人に役に立つことは相手にとっても自分にとってもうれしく喜びなのです。

 

日本人は良い意味での無常観を持っています。

起きてしまった事をクヨクヨと思い悩まず、考えを素早くプラスに転じられる民族なのです。

自然に対して常に敬意を払い、人間もまた自然の一部であることを自覚し、

彩りをそえる名脇役でいるためにはどうすればよいのかを改めて思い直していきたいものです。

 

会社でも震災後、2人の新しい生命が誕生しました。

この子供達に美しい日本、自然豊かな地球を残してあげなければ・・・。

 

震災支援第2弾として、被災地に杖を贈る準備を進めています。

今、被災地で高齢者の歩行補助の杖などが必要とされていると聞きました。

ひとつひとつにメッセージを同封します。

被災され、杖を必要とされておられる方に励ましのメッセージをお送り下さい。

責任をもって杖一本ごとにメッセージを同封し、被災地に届けます。

杖を通して「支え愛」が広まりますように。

送って頂いたメッセージはブログで御紹介します。

Let’s try!! メッセージはメール、FAX、お手紙で、あなたの思いをお送り下さい。

お待ちしております。

 

 

 

 〜支え合えば未来は明るい〜

 

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私達にできること

2011-03-14 14:49:34 | 日記

3月11日(金)、東北地方太平洋沖地震が発生しました。

被災地の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

また安否未確認の方の無事ならびに、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。

そして被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

 

3月11日、地震発生時は私は病室で装具の採型中で全く地震の発生は知りませんでした。

夕刻、仕事を終え病院のロビーのテレビの前にいつもより大勢の人が群がっているので、

何だろうとテレビを見ると地震のニュース。

その時は詳細はわからないので、「また地震がどこかで起きたのだ」というくらいの認識だったが、車のテレビをみてびっくり。

びっくりというより、俄かに信じられない光景に身動きがとれなかった。

その日は出張に行くため、京都駅に行くと新幹線がストップし、構内は人であふれ返っていた。

その日の夜は一睡もせず、テレビのニュースに見入った。

現実にこんな事があるのかと目を疑いたくなるような光景が次々に映し出され、同じ日本で起こっているとは到底信じ難かった。

だが現実である。本当にいつ何が起こるかわからない。

子供さんと奥様の手をしっかり握って逃げていたのに水の勢いで二人を失った男性。

お母さんと叫びながら母親を探す女の子。

一人ぼっちになったと嘆く女性。

悪夢としかいいようがない。

その瓦礫と化した町を歩きながら「また一からやり直そう。必ずやり直せる」とつぶやく高齢の男性。

この強さはどこから湧いてくるのだろう。

今まで数々の苦難に出会ってもその度にいつも頑張って乗り越えてきたその経験がこのお年寄りをこんなに強く逞しくしたのだろうか。

とにかく、現実を直視し逃げずに立ち向かうしか救われる道はない。

被災地の人々にエールを送ろう!

「負けないで、この苦難も決して乗り越えられないことはない。

日本中、世界中があなた達を支援しています。」

そして幸いにもこの困難に遭遇しなかった私達に出来ることは何かを個々に真剣に考え、そして行動しよう!

 

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夢は叶う☆(Part 2)

2011-02-17 18:50:13 | 日記

そして夜の宴会のはじまり!!宴会は大盛り上がり

食べきれない程の御馳走の数々。そして、恒例のゲーム。

最初のゲームは、トマトジュースの中に一つだけタバスコが混ざっているのを飲んだ人を当てるのですが、

私が並んだところにたまたまその辛いジュースが置いてあったのです

すかさず、それを見た男子社員さんが、それとなく私と場所を代わってくれ、

何ともない顔でタバスコジュースを一気に干してくれました。

この機転の良さと優しさにほろり 感激

優しくて、思いやりに溢れる社員さん達に囲まれ、幸せはこんな身近にあるものなんだと改めて感じました。

 

 

次の日は、高知城を見学。天守閣から見下ろすと、改めて城下町の良さを実感しました。

お城のすぐ傍に我が母校「土佐女子高校」が昔と変わらぬ姿で在り、懐かしさで一杯でした。

若い頃のセーラー服姿、可愛かったな〜

 

長くて有名な鍾乳洞の龍河洞を見学の後、帰路に着きました

 

太平洋の海はどこまでも広く、雄大で、空は青く澄み渡り、日差しは暖かく、一足早く春を感じる旅でした。私の心も「ぽかぽか」

 

「よさこい よさこい 高知の城下に来てみいや」

是非、皆様も一度は高知へ 

 

 

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