スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

越後の古刹

2014-10-31 07:50:37 | 旅 ~国内

新潟県南魚沼市にある雲洞庵の赤門

ここは越後の一の寺、日本一の庵寺だ

この赤門は、室町時代、永享年間に勅許を得て

官寺として十万石の赤門として建立され、後江戸時代

宝永四年再建され現在に至っている

昔は皇室、大名などの来訪の時と、一年に一日開けるのみであった

両脇の二王尊は江戸時代天保年間の作である

黒門。60年に1回作り直すのが慣例の門

通常はこの門から、出入りする。

今から1300年前、奈良時代、内大臣藤原房前公の母が出家して

当雲洞の地に庵を結び、金城山の雲泉で沢山の病人を救った

その没後房前公は跡地に尼僧院を建立し、

母の菩提を弔った。以来女人救済の庵寺として深く、ここは信仰されてきた

昔から越後の国では「雲洞庵の土踏んだか」と言われてきた

それは、当庵が関東管領上杉家の菩提寺として

開創され、曹洞禅の厳しい大修行道場として知られ

多数の修行者信者が来集したことによる

この参道の下には法華経が一字一石にしるし埋められ

お詣りした善男善女がその有難さに隨喜してこのように云い伝えられてきた

今は字はほとんど読めない状態だった。

本堂は永享元年(1429)上杉憲実公により創建された

縄文時代より続く日本海建築文化の到達点のひとつ

近世寺院建築の傑作としていわれている。

「大方丈」入口を入ると庫裡の隣りにある

縦10間半、横14間の本堂内

本尊は釈迦牟尼仏を安置、典型的な禅寺の様式だ

禅寺の廊下。越前の永平寺をちょっと小さくした様で

将に古刹という雰囲気を醸し出している。

開山堂に行く途中に、かわいらしい12(?)の大将像が飾ってある

位牌堂。この様式も永平寺とそっくり

当庵で一番古い鐘楼堂。建立は元禄4年

鐘は大東亜戦争で供出され、不明との事

宝物殿には数多くの貴重な資料が展示してある

これは武田信玄の書状

これは楠木正成公の遺言状

他にも当庵と縁がありあのNHK大河ドラマになった

直江兼続公の資料もあり、庵の雰囲気と相俟って

歴史の重味を感じさせる。

雲洞庵全体の航空写真

境内1万坪、参道は80Mあり周囲を大杉、ブナ林で被われとても

印象深い古刹でした

新潟は日本でも有数の日本酒の産地。その中でも有名な

「八海山」命名の山がこの山だ

日本200名山のひとつ 八海山(標高1778M)

越後日光 赤城山 西福寺・開山堂の全体案内図

越後三山の麓、雪と稲穂の里、魚沼の禅寺に旧き匠が遺した素晴らしい彫刻がある

屋根は芽葺き二重層、上部は入母屋造り

正面は唐破風向拝を有し、雲蝶の彫刻が施されているのがこの開山堂

江戸幕末1857年に建てられた

曹洞宗 赤城山西福寺は室町時代後期1534年に開山芳室祖春大和尚によって開かれた

その本堂と祭壇

開山堂の天井、欄間に彫られた有名な大彫刻

日本のミケランジェロと言われる幕末の巨匠 石川雲蝶の作品だ

「道元禅師猛虎調伏の図」と呼ばれ

三間四方の吊り天井に透かし彫刻で施された

大彫刻は雲蝶終生の大作

その迫力ある彫刻が岩絵の具で色鮮やかに塗り上げられ

安政年間の華やかさをそのまま伝えている。

昭和9年10年頃の貴重な写真

境内には石川雲蝶の石像が立っている

越後の名匠雲蝶の本名は安兵衛

文化11年(1814)江戸雑司ヶ谷に生まれ

幕府御用勤彫工として苗字帯刀を許された

39才の時、この壮厳の制作に携わった

そして明治16年(1883)享年70歳で生涯を閉じた

日本の米所、越後の原風景

 


最新の画像もっと見る