スミダマンのほのぼの奮戦記

~仕事・家族・自然・経済・趣味~あらゆる出来事をフラッシュバック。

喜望峰

2016-10-18 05:34:49 | 旅 ~海外

テーブルマウンテンから一路、喜望峰へ。

道中、多彩な表現を見せるケープ半島西側の道。

海岸に面して高級な住宅街を抜けていく。

こんなRC造のシンプルな意匠の住宅が続く。ここはアフリカの

イメージから遠く欧米の豊かな人達の住宅エリアの様だ。

この街へ入る道は一本だけ。非常にプライベート性が守られた、

ハイレベルの街らしい。多くの有名人が住んでいて、

なかには欧米人の別荘もあるとの事。(ハリウッドスター、ミュージシャン等)

ここは有名なビューポイント。場所はメモをなくした為わからない。

観光客もバスを停めて絶景の風景をカメラに収めていた。

今南アフリカはサイクリングがブームらしい。数々の競技が行われ、

一般市民も休日にサイクリングを楽しみながら、競技に参加するとの事。

この海岸の名も忘れたが、長く広い波打ち際を乗馬して楽しむエリアだとか。

小さく黒い点に写っているのが乗馬の人達。

いよいよ喜望峰に近づいて来た。このエリアは喜望峰自然保護区になっていて、

世界遺産に登録されている。約1100もの固有種の植物や

約250種の鳥が生息している。ここで野生のダチョウの

親子も見たが、後日この写真はアップします。

ここがアフリカ大陸最南西端のケープポイントだ。

このケープポイントと喜望峰は1488年、ディアスが

最初の発見者で「嵐の岬」と命名した。この写真を撮った後、

中国人の団体が来て、ピャーピャー大きな声を出しながらこの看板を

占領してしまった。世界中からこの地を目指して多くの人が

来ているのに自分の事しか考えていない。マナーも

あったものではない。隣の白人が顔をしかめて苦笑いをしていた。

尖閣諸島もこんな調子なんだろう。

続いてケーブルカーに乗っていよいよ喜望峰へ。

このケーブルカーにフライングダッチマンと書かれているが、

南アではオランダ系移民の子孫をアフリカーンスと呼び、

オランダ語の方言に属しているアフリカーンス語を話す。

因みに白人と黒人などの有色人種のハーフをカラードと呼び、

やはりアフリカーンス語を話す。

大胆なカラーの衣服を着たアフリカ人にどうしてもカメラが向いてしまう。

この人もケーブルカーの所で目立っていた。

因みに南アフリカに暮らしていたといわれる最も古い民族が

狩猟・採集民族のサン族(ブッシュマン)。続いて以前は

ホッテントットという名で呼ばれていた牧畜民族のコイKhoi族が

移住して来たと考えられている。

これがインド洋と大西洋が出合う岬、喜望峰だ。

初めは嵐の岬と命名されたが、ポルトガル王ジョアン2世の時代、

ヴァスコ・ダ・ガマ(2013-7-8付ブログ大航海時代参照)の

当方航路(インド航路)発見を記念し、ポルトガルに希望をと

願いを込めて「喜望峰(Cope of Hope)」と名付けた。

喜望峰が望める灯台へ。本当のアフリカ大陸最南端は

喜望峰から南東150㎞にあるアグラス岬だ。

灯台の標識には世界の主要都市への距離が書いてある。

(ロンドンまで9623㎞、ニューヨークまで12541㎞)

それよりもこの写真では全く分からないが右側ブルーの

女性のおりしがすごかった。ケーブルカーを待っている時から

我々のグループが気になっていて、その中の勇気ある女性が

「私のお尻を触ってもいいから、あなたのお尻触らせて」と

頼んでいた。たぶんこの女性は昔のホッテントット族の血を

引いた人ではないか?セクハラになったかも

しれないが、このスーパー尻を撮ればよかった。

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