空とは何か 3

2006年01月17日 | 心の教育

 私たちが「私の性質」だと思っているものは、実は変わらないものではありません。

 例えば、自分では「私は割にいい人間だ」とか思っていても、ある人にとっては「イヤなヤツ」かもしれません。

 少数ながらいてくださるらしい私のファンには、「すごくいい人」に見えているのかもしれません(そういうのを「善意の誤解」といいますけどね)。

 例えば、おなじ風景が、人によって美しく見えたり、懐かしかったり、何てことなかったり、つまらなかったりします。

 その人との関係によって、性質は変わって感じられるのです。

 そういう意味で、変わることのない「本性」はないのですね。

 これは、「縁起だから無自性である」と表現できるでしょう。

 そして、すべてのものの性質は関係によって変わるだけでなく、時間によって変わります。

 例えば、日本人にとってもっとも典型的な「無常」の象徴の一つ、桜の花を考えて見ましょう。

 冬の寒さの中でも、桜の枝先を見るともう固い小さな「蕾」がしっかりとついていて、春を待っています。

 やがて春が来ると、「蕾」ではなくなって、3分咲き、5分咲き、8分咲き、満開の「花」となるでしょう。

 そして春が深まると、はらはらと散り始め、「花」から「花びら」へと変わっていきます。

 地面に落ちた当初は「花びら」ですが、次第に黄ばみ、茶色に変色し、やがて「ごみ」になります。

 それから、掃き集められて捨てられるものもありますが、その場に残っていれば、やがて腐食して、土に帰ります。

 時間の中で、「花」でなかったものが「花」になり、そして「花」でなくなくなるというふうに、変化していきます。

 桜の花もまた、「無常だから無自性である」ということになりますね。

 そして、ただ変化するだけではなく、「花」としては存在しなくなるのです。

 あらゆる性質のうちでもっとも基本的な「存在する」という性質が、「存在しない」というふうに変わっていくのですから、「実体」の第3番目の定義に反しています。

 花もまた、時間の中で変化していくものであり、実体ではない、「無常だから空である」というほかありませんね。

 こういうふうに、「縁起」と「無自性」と「無常」という3つの概念は、相互に結びついています。

 というよりは、大乗仏教の人々がおなじ1つの世界の姿(如)をこういう3つの確度から分析-認識したということなのです。

 さて、ここまでお話しすると、記憶力のいい方は、「なんだ、空と無我とはおなじことをいってるのか?」という疑問を持たれるのではないでしょうか。

 そうです、ほぼおなじことをいっているのですが、ちょっとだけニュアンスが違うのです。

 そこに、ブッダから部派仏教へ、さらに大乗仏教へという発展があるのですが、長くなるので、その話は次回にしましょう。

*写真は、去年の桜です。


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2 コメント

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Unknown (リラ)
2006-01-17 16:21:30
模様替えなさったのですね。

何だかわからないものもありますが、

小麦も米も、あらゆる物に変わりますね。



これも、「無常だから空である」なのですね?
返信する
善意の誤解も過剰な期待もしています(笑) (文字通りの若僧)
2006-01-17 22:17:37
冗談はともかく・・・

「空と無我」、先生の授業でしっかりと消化したいと思います。

もちろん頭の上での理解ですが・・・。



価値観は人それぞれに違う。



だけれども、人間の価値観やものさしを超えた、全宇宙的にベターな方向性はある。

MUST化せずに、そこを探り出し推進していく必要性を感じます。

ありがとうございました。
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