休む時は徹底的に休むこと

2006年06月26日 | メンタル・ヘルス

 坐禅の入門的な教えの古典である『坐禅儀(ざぜんぎ)』の冒頭に、以下のような言葉があります。

 夫れ般若を学ぶ菩薩は、先ず当に大悲心を起こし、弘誓の願を発し、精しく三昧を修し、誓って衆生を度し、一身の為に独り解脱を求めざるべきのみ。

 (それ はんにゃを まなぶ ぼさつは まず まさに だいひしんを おこし ぐぜいの がんを おこし くわしく さんまいを しゅうし ちかって しゅじょうを どし いっしんの ために ひとり げだつを もとめざるべきのみ)

 乃ち、諸縁を放捨し、万事を休息せよ。

 (すなわち しょえんを ほうしゃし ばんじを きゅうそくせよ)

 訳

 そもそも覚りの智慧を学ぼうとする者は、まず何よりも大悲の心を起こし、弘大な願を立て、心を込めて禅定を修行し、すべての生命あるものを救うことを誓うべきで、自分一人のために解脱を求めてはならない。

 そこで、さまざまな関わり合いをいったん忘れ去り、あらゆる事を休みなさい。


 ここでとても興味深く、かつ的確だと思うのは、最初に「大悲心」とか「弘誓の願」とか「誓って衆生を度し」とか「一身の為に独り解脱を求めざるべきのみ」と、くどいほどに、生きとし生けるものすべてを救うための修行でなければならないと強調しておきながら、実践の第一歩には、「諸縁を放捨し、万事を休息せよ」といっていることです。

 あらゆる生き物を救うなど、短期間でできるわけはありません。

 きわめて長い時間がかかります。

 それも、大乗仏教が興ってからでももう2千年くらい経っていますが、いまだに人類だけでも何億、何十億の人が苦しんでいます。

 人類の歴史の中での菩薩の仕事は、無限に近い長丁場です。

 あせって激しくやってしまうと、すぐにダウンして使い物にならなくなります。

 信じられないほど気長に持続する必要があるのです。

 長続きするためには、心を安らかにする時は、徹底的にあらゆる縁・関わりを〔心理的に〕放り出し、すべての仕事を休め、というのです。

 長期戦を戦い抜くには、休む時、休める時には、徹底的に休んでおく必要があります。

 ……というわけで、私も、今日は朝からほとんど何も仕事らしい仕事はしませんでした。

 ブログもこれから休む時は休もうと思っていたのですが、夜になってようやく少し体力が回復してきたら、一種の癖になっているんでしょう、またちょっとだけ書きたくなりました。

 (こういうのをカルマ・業というんでしょうね。)

 ともかく、お互い、休む時、休める時には、すべてを忘れて休みましょう。

 では、お休みなさい。



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コメント (6)
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