宇宙の中のいのちの意味

2012年01月07日 | コスモロジー

 『コスモロジーの心理学――コスモス・セラピーの思想と実践』(青土社)が出ましたので、その元になった記事は徐々に削除していく予定ですが、新年にあたり基本を新たに心にとめるという意味と削除以後のネット読者のために、コスモロジーの要点――二〇一〇年一〇月八日第三〇回全国筋ジストロフィー東京浅草大会講演です――を掲載しておくことにしました。

                 

 私たちは、もっとも広いスケールでいうと宇宙の中で生きています。

 生きているということは、何年か前に誕生したということですが、一三七億年前に宇宙もまた誕生した、と現代科学の標準的仮説では言われています。

 今日は、一三七億年前に誕生した宇宙の中で私たちが十数年から数十年前に誕生して今生きていることの意味を、一三七億年を一年三六五日に縮尺した「宇宙カレンダー」を参照しながら考えてみたいと思います。

 常識からは想像しにくいことですが、誕生直後の宇宙は一〇のマイナス三二乗センチメートルに凝縮した一つのエネルギーの玉だった、とされています。

 この一つのエネルギーが爆発的に拡大しはじめ、その拡大のし方にゆらぎ・ムラがあったためにできたのが現在の多様なものが存在する宇宙だと言われています。「ビッグバン理論」です。

 そして、ビッグバン理論が正しいとすると、最初に一つだったものはどんなに拡大しても一つですから、宇宙のすべてのものは今でもエネルギー・レベルで見ればすべて一つ、ということになります。

 さて、一三七億年前に宇宙が誕生しなかったら、私も誕生していなかった、と思いますが、どうでしょう? 気づいてみると、宇宙の誕生は私の誕生の前提条件・大前提・最大の初期条件なのです。

 そして宇宙が誕生して一〇〜三〇万年くらい経ったら水素原子が誕生していますが、私たちの体の六〇〜七〇%が水分であり、水は水素原子2個と酸素原子1個が結合したものですから、水素が誕生しなかったら、人間は生きていられない、私は誕生していないと思われます。水素について考えただけでも、私のいのちには一三七億年宇宙の歴史が詰まっていると言えるのです。

 五月十三日(一〇〇億年前)頃に私たちのいるこの天の川銀河が誕生したらしいのですが、天の川銀河が誕生しなくても、私は誕生したということはありうるでしょうか?

 八月三十一日(四六億年前)には、原始太陽から地球などの惑星が分離して太陽系が誕生し、地球が誕生しています。

 否定的な言い方から肯定的な言い方に変えましょう。四六億年前に地球が誕生したので、四六億年後に私が誕生することができたわけです。

 九月十六、七日(三八〜四〇億年前)、地球の海の中で一匹の単細胞の生物というかたちで生命が誕生したと言われています。

 そしてさまざまな種の生命の遺伝子・DNAの研究によって、すべての生命はそのたった一匹の単細胞生物から枝分かれして進化したことが明らかになっています。

 すべての生命のご先祖さまである一匹の単細胞生物が誕生してくれたので、四〇億年くらいたったら私が誕生することができたということになります。

 これらは、ずいぶん遠い昔の話で「私に何の関係があるのか?」と感じるかもしれませんが、よく考えてみると、すべて私の生命の誕生につながっている・関わっていることです。

 宇宙が誕生し、天の川銀河が誕生し、太陽系が誕生し、地球が誕生し、生命が誕生したから、私が誕生することができたのです。

 ですから、遡って考えれば、それらは、すべて私の誕生の準備だった、と解釈することができる、そう解釈するほかないのではないでしょうか。

 時間が短いので途中を割愛するしかありませんが、十二月五日(一〇億年前)、たくさんの細胞がつながりあい助け合って一つの生命体になっている多細胞生物が誕生します。

 この多細胞生物も、実は私たちのご先祖さまで、私たち人間はいまやご先祖さまよりずっと複雑になっていて、六〇兆くらいの細胞がつながりあい助け合っている生命体です。

 十二月十五日(先カンブリア紀、六億年前)の蠕虫も私たちのご先祖さまで、私たちは神経組織とそれによる感覚能力という進化の遺産を受け継いでいます。

 考えてみると、多細胞生物や蠕虫が誕生したから、私が誕生することができたのですね。

 十二月十八日(オルドビス紀、五億一千万年前)、最初の脊椎動物=魚類が誕生していますが、魚も私たちの先祖で、神経管と知覚(特に目・鼻)という遺産を受け継いでいます。

 十二月十九日(シルル紀、四億三千九百万年前)には、植物の陸地移住が始まり、二十日(デヴォン紀、四億八百万年前)頃には、それを追いかけて動物(昆虫)が陸地移動します。

 十二月二十一日(デヴォン紀、約四億年前)、それらを追いかけて魚類が両生類に変身して上陸します。そこで本格的な耳が誕生したようです。

 十二月二十二日(石炭紀、三億六千二百万年前)には爬虫類が誕生し、私たちの脳で言えば脳幹にあたる食欲、性欲、闘争、逃走の本能の中枢が誕生します。

 二十五日(三畳紀、二億四千五百万年前)、恐竜と哺乳類が誕生しています。私たちは、哺乳類から感情の中枢である大脳辺縁系を受け継いでいます。

 二十九日(新生代第三紀、六千五百万年前)に霊長類が誕生し、大脳新皮質を中枢とした知能が発達します。

 三十日にはヒト科生物(ホミニド)が誕生し、三十一日(第四紀)になって人類(サヘラントロプス・ チャデンシス、六〇〇〜七〇〇万年前が最古?)が誕生します。人類では前頭葉が発達し、言葉を使った認識ができるようになります。

 こうした進化のプロセスはすべて、根源までたどると一つのエネルギーとしての宇宙の働きですから、宇宙の自己組織化・自己複雑化の歩みであることになります。私たち人間もまたまぎれもなく宇宙進化の産物であり、宇宙の一部です。

 ここではごく要点しかお話しできませんでしたが、こうした長いたくさんの出来事がすべて私につながっています。

 そのつながりのたった一個所でも切れていたら、私は誕生せず、今日ここにはいないのです。

 ところが、一三七億年のすべての出来事がちょうど私が生まれてくることができるように、一個所も切れないで私のいのちに届いています。

 世界的な遺伝子学者の木村資生先生は、「生き物が生まれる確率というのは、一億円の宝くじに百万回連続で当たったのと同じくらいすごいことだ」と言っておられますが、まして人間といういのちとして生まれるのはもっと確率の低い、ほとんどありえないくらいの確率のことが、にもかかわらず起こったという意味で、「奇跡」というほかありません。

 では、宇宙は奇跡的な自己組織化・複雑化のつながりの果てに、なぜ人間といういのちを生み出したのでしょう。

 それは、宇宙が宇宙自身の姿を認識しその美しさに感動するためだ、と私は解釈しています。

 人間は、宇宙の自己認識器官、自己感動器官なのです。宇宙の中に人間‐私が存在する宇宙的意味は、そこにあると思われます。


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新年のご挨拶とお知らせ

2012年01月04日 | 広報

 遅れましたが、明けましておめでとうございます。2011年は大変な年でしたが、今年はなんとかよりよい年になってほしい、したいものです。

 みんなの力が集まれば、きっとできると思います。「何事か成らざらん」です。


 2012年1月で、サングラハ教育・心理研究所は創立20周年を迎えます。

 お知らせがこれもまた遅れましたが、12月に『サングラハ』誌も年6冊×20年で第120号になりました。

 読者のみなさまのご理解・ご支援のおかげでここまで持続することができました。心から感謝しております。

 ブログ読者の方もよろしければぜひご購読ください。







 暮から正月3日まで、娘夫婦が孫娘2人を連れて帰省しており、私も家内もじいじ業・ばあば業に忙殺されていました。

 楽しかったけれど、やはりかなり疲れました。しかし、かなり疲れたけれども、やっぱり楽しかった、というのが実感です。

 孫を持つ友人、知人のみなさんも同感のようです。

 「つながってこそいのち、つなげてこそいのち」ですね。


 12月に出した『コスモロジーの心理学――コスモス・セラピーの思想と実践』はおかげさまで私のまわりではとても好評です。

 3日の朝日の1面に広告が掲載されました。まわりの方だけではなく、たくさんの方に届いて役に立てていただければと願っています。






 

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新刊案内:『コスモロジーの心理学』

2011年12月11日 | コスモロジー

 11月末の予定だった拙著『コスモロジーの心理学――コスモス・セラピーの思想と実践』(青土社)が今月半ば配本になります。

 このブログで書いてきたことも、書いていないことも含む、コスモス・セラピーの決定版です。

 ぜひ、ご覧ください。


 下記で予約もできます。

 なお、刊行された後は関係記事は削除することになりますので、ご了承ください。
 


コスモロジーの心理学 コスモス・セラピーの思想と実践
岡野守也
青土社




*ご参考にまえがきを転載します(1/4)。


まえがき

 今、たくさんの現代人が感じている「生きづらさ」のいちばん底には空しさ・ニヒリズムの問題が潜んでいると思われます。他に社会的な理由はいくつもあげられるのですが、もっとも深い理由はそれであり、それがいちおうふつうに生活している人にも、「半健康」と呼ばれるような、さまざまな心や体や行動の不調を生み出している、と筆者は考えてきました。

(ニヒリズムは、実は近代という「時代の病」の内的な側面であり、今回の原発事故・放射能汚染も含む環境破壊という外的な側面とも深く関わっていることについても、本文中で若干ふれます)。

 「コスモス・セラピー」は、そうした生きづらさ―ニヒリズムやそれがもたらす不調や症状をいちばん深い根から取り除くことを目的とした心理療法(ルビ:セラピー)的思想・思想的心理療法(ルビ:セラピー)で、治療ではなく予防や心理的健康の促進を目的に行なう場合は「コスモロジー教育」と呼ぶこともあります。

 まず社会人が参加するワークショップで十年あまり実験的に行なってまちがいなく効果があることを確認し、やがて機会が与えられて大学でも授業として実践できるようになり、十年以上続けて大きな効果があることをさらに確認してきました。

 コスモロジー教育としては、いくつもの私立の中・高等学校で実践してくださる方があり、生徒たちのやる気・勇気・自信すなわち心理的健康度を高める上で大きな成果があがっているという報告を受けています。

 そうした実績・事実に基づいて、この本は、本気で読んで実行していただくと、あなた自身やあなたの大切な人(子ども、家族、友人、生徒、学生、部下など)の人生観・世界観が一八〇度変わり、「ほんとうの自信」・「生きることそのものへの自信」が身につくことになる――その結果、心や体や行動の症状や不調のかなり多くが解消または改善され、心理的健康が促進される――と自信を持って言いたいと思います。

 例えば、初めての授業で、「本気で授業を受けていたら、半年か一年で、まるで変わるかもしれないよ」と予告するのですが、相当多数の学生が「そんなー(信じられない)」という反応をします。ところが、半年後、これまた相当多数の学生が「そんなーと思いましたが、先生の言ったとおりになりました」と感想を書いてくれます。それに「ちょっと悔しいけど」と書き添える学生もいます。どこか私に変えられたという感じ・誤解があるからでしょう。ほんとうは、私が伝えた新しいコスモロジーを通じて自分が自分で変わったのですが。

 典型的なエピソードをあげると、初めて大学に毎週講義に行くようになった年、数回の授業が終わった後、やや幼い顔をした女子学生が、その顔に似合わない本気で深刻な表情で質問に来て、「先生、私は、考えれば考えるほど死にたくなるんですが、友達に相談したら、『バカ、考えるから死にたくなるんだ。考えるのはやめろ』と言われました。やっぱり考えないほうがいいんでしょうか?」と言うのです(その後、次第にわかってきたことですが、彼女のような死にたくなる若者、心を病んでいる若者が驚くほど多数いるのです。統計を見ると大人もです)。

 そこで筆者は、こう答えました。「戦後、ぼくたちやきみたちが学校で教わってきたことを元にして考えると、考えれば考えるほど死にたくなるんだけど、これから、考えれば考えるほど死にたくなくなる、それどころか生きたくなる考え方を伝えるから、あわてて死にたがらないで、がんばって授業に出ておいで」と。

 するとその後、彼女はがんばって続けて授業に出てきて真剣に聞いている様子で、回を重ねるにつれて目が輝いてくる様子なので、そっとして深追いはしないで前期末まで待ってから、「どう、まだ死にたい?」と聞きました。すると、彼女はニコリと微笑んで、「だいぶ死にたくなくなりました」と答えてくれたのです。そして、さらに学年末にはすっかり元気になっていきました。

 社会人であれ学生であれ、同じような、あるいはもっと劇的な変化の実例(リストカットが止まった、自殺願望がなくなった、不登校ぎみ、拒食・過食、軽うつが治った、その他診断名はいろいろですが、ともかく精神科へ通わなくてよくなったなど)は無数に挙げることができますが、臨床心理学の専門書ではないので、重いケースの報告は避け、ほんの数例、学生が書いてくれた感想文を紹介します。

 ……授業を受けた後に何というかこの心が軽くなり安らぐというか、言葉では表しきれないすっきりとしたすがすがしさを感じています。……

 ……「全宇宙と私の一体性」の思想を授業で学び、なんというか言葉では表せない心地よさを感じました。正直に感動できたのは、それがなんら科学的にも矛盾することのないものだからだと思います。……あらゆるものと、「つながり」を感じながら生きるということはとても素敵なことであり、大変心地良いです。……(二年男)

 ……宇宙も自分も昔は一つのもので、今も一つなんだということに気付けることがこんなにも素晴らしいものだとは、思ってもみませんでした。そのことによって意味のないものなんてない、すべてのものに意味があると思えるようになり、なんだか心の中がスッキリ晴れやかになった気がします。……

 ……こういった話を聞いてきて、今までにないような気持ちになりました。どう表現すれば良いのかよくわかりませんが、心が晴れたというか、壁が崩れたというか、自分の中の世界が広がったような感じをうけました。世の中の全てのものはつながっている、全ての事が起きることはつながりがあるからだ、というのはなぜか安心するというか、気が楽になるような印象をうけました。このおかげで自分がなぜここに存在するかも考えられるようになり、またその意味も少しずつわかるようになれてきていると思います。また、他の「人」だけでなく、地球上全てのものに対する見方も少し変わったと思います。……

 これまで何百人もの参加者や学生が、こうした特徴的な感想を述べてくれました。「心が晴れた」「安心した」「気が楽になった」「心が軽くなった」「安らぐ」「すっきりとしたすがすがしさ」「心地よい」「スッキリ晴れやかになった」「生きる希望が見えてきた」……。読者もそうなるかどうか、ぜひ続けて本文を読んでみてください。

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利己性(self-interest)は変わらない人間の本性?

2011年11月25日 | 持続可能な社会

 最近改めて「どう考えても新自由主義市場経済のグローバリゼーションは原理的にエコロジカルな持続性と一致しないんだけどなあ(でも、方向転換の必要を感じてない、またはしたくな人が多いのか、あまり変化の兆しが見えないなあ)」と思いながら、その関連で「自由主義経済の元祖アダム・スミスはどんなこと言っていたんだっけ」と、『世界の名著37 アダム・スミス』(中央公論社)のページをぱらぱらとくっていたら、次のような言葉があり、うーむとうなりました。

 さすがに古典というものは人間の姿を実によく捉えてい――る面があり――ます。

                 *

 いまシナの大帝国が地震のために、その無数の住民とともに陥没したと仮定せよ。しかして、かかる地球の一角に何ら関係のないヨーロッパの人道の士が、このおそるべき災害の報に接してどのように感じるかを考察してみよう。

 ひそかに思うに、彼はまずこの不幸な人々の災難に対して強い哀悼の情をあらわし、人間生活の無常なることや、瞬間にして潰滅しさる人の営みの虚しきことについて、幾多の憂鬱な想いにふけるであろう。

 また彼が投機的な人間であるなら、おそらくこの災害がヨーロッパの商業、ひいては世界の商取引き一般に及ぼす影響について多くの推察を試みるであろう。

 さて、すべてこうした哲学が一段落を告げ、こうした人道的感情がひとたび麗しくも語られてしまうと、あたかもこんな出来事が全然突発しなかったかのごとく、以前と同様の気楽さで、人々は自分自身の仕事なり娯楽なりを続け、休息し、気晴らしをやる。彼自身に関して起こるもっともささいな災禍のほうがはるかに彼の心を乱すものとなるのである。もしもあした、彼の小指を切り落とさなければならないとするなら、彼はたぶん、こよいは寝もやられぬであろう。
                    (アダム・スミス『道徳情操論』より)


 「シナの大帝国」を「東日本」と、「ヨーロッパの人道の士」を「東日本以外の市民」と置き換えれば、そのまま今の日本の状況の描写になりそうです。

 そして、もし人間の本性がこうでしかありえない、変化・発達不可能なのだとしたら、エコロジカルに持続可能な社会は不可能でしょう。

 市場はともかく、地球生態系には「神の見えざる手」は働きそうもありません……もっとも人類が滅んだ後なら、ふたたび人類を含まないエコロジカルに持続可能な生態系が復活するでしょうから、そういう意味での「見えざる神の手」は必ず働くのでしょうが。

 どう考えても、利己主義・エゴイズムを超えた意識の進化なしには、私たちの国も世界も前に進むことはできないと思われます。

 進化史の知識からすると、生物の種は進化の行き詰まりに達したとき、飛躍的な変容を遂げて生きのびるか、飛躍できなくて絶滅するか、のどちらかになるほかないようです。

 さて、みなさんはどちらの道を選択しようと考えられますか? それとも新自由主義市場経済のグローバリゼーションという方向のままでも、人間を含んだ地球生態系は持続可能だと考えられますか?

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TPPについて

2011年11月12日 | 持続可能な社会

 最近、11月末に出版される予定の新著『コスモロジーの心理学−−コスモス・セラピーの理論と実践』(青土社)の執筆や校正のために目を使いすぎたせいか目の調子が悪く、しばらく集中的な読書やブログ記事の更新は控えていました。

 しかし、最近、何人もの方から「TPPについてどう考えているんですか」と聞かれるようになりました――特に昨日は野田首相が参加の交渉に入ることを表明しました――ので、専門的にではなく巨視的・総合的かつ原理的に見たときに言えると思われることをお答えしています。

 その内容を、ブログ読者にもお知らしておこうと思いました。

 言うまでもありませんが、TPPはそれだけで起こっているものではなく、新自由主義市場経済のグローバリゼーションという世界的な現象の一部として起こっている出来事です。

 そこで、TPPについて論じる場合、新自由主義市場経済、別の言葉でいえば資本主義は、資本の自己増殖つまり利潤を上げるために行われる生産の様式であることを再確認しておく必要があると思われます。

 資本は利潤を上げるために資源を使って商品を生産して販売し、販売されたものを消費者が購買し消費し、消費された商品は廃棄され、ゴミになるわけです。

 「消費」という言葉は実は事実を誤解させるもので、消費し終わった商品は費やされて消えるわけではなく、廃棄物となって環境に残されていきます。

 そして、地球上のすなわちグローバルな資源は有限であり、地球の浄化能力も有限です。

 資本主義はもちろん社会主義であっても、資源の大量使用−大量生産−大量消費−大量廃棄という近代の産業システムは、入り口と出口に決定的な有限性があって無限の成長を続けることは不可能であることは繰り返し述べてきたとおりです。

 つまり、端的に言えば資本主義すなわち新自由主義的市場経済のグローバリゼーションは、地球環境に対しては適応的ではない、と筆者は考えているのです。

 したがって、筆者たちのようなエコロジカルに持続可能な世界を求める立場からすれば、自由主義的市場経済のグローバリゼーションの暴走的拡大にはまったく同意することができません。

 市場の暴走を制御する機関のないまま自由主義市場が無限定に拡大することには賛成できないのです。

 (もしそういう国際機関ができれば、市場が経済システムとして持っている一定の有効性・効率性を生かすことには反対ではありませんが。)

 特に多くの農業関係者が危惧しているとおり、農産物の関税撤廃によって日本の農業が壊滅的な影響を受けることはほぼ明らかだと思われます。

 そして、基本的に自由貿易協定であるTPPに参加しながら、農産物の関税撤廃だけは受け入れないということはほとんど不可能でしょう。

 すでに、木材については1961年に始まり64年に完全自由化され大量の安い木材が輸入されたために日本の林業が壊滅状態に追いやられ、その結果、いまや日本の山林の荒廃すなわち国土の荒廃が恐るべきスピードで進んでいることは、現場を知っている人にはきわめて明らかなことです。

 このままいけば、おそらくまちがいなく農業についても同じことが起こり、林業に続く農業の衰退は、日本の国土全体の取り返しがつかない荒廃を招くことになるのではないでしょうか。

 そういうわけで、理念と戦略なき安易なTPP交渉への参加は賛成できません。

 しかし、世界経済の現段階では当面、市場経済のグローバリゼーションが続くことは避けられませんから、日本経済もグローバリゼーションをまったく拒否して「鎖国」的経済に向かうことは不可能でしょう。

 だとすれば、「エコロジカルに持続可能な国家へ」という理念およびそこに向かうビジョンと戦略を明快に持った政府が、固い意志と巧妙な外交交渉能力を持って戦略的にTPP交渉に向かい、ゆずれるところはゆずりながら、ゆずれないところは徹底的に押し通すというあり方が望ましいと思われるのですが、はなはだ残念ながら現状の政府はそうした理念、ビジョ、戦略、意思、交渉能力を欠いているようですから、これでは日本は先行きどういうことになってしまうのかと大変心配しています。

 読者のみなさんは、TPPについて、さらには新自由主義市場経済をどう考え、どうすればいいと考えておられるのでしょうか?


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タイの記録的豪雨と日系企業の被害について

2011年10月24日 | 持続可能な社会

 タイの記録的豪雨で日系企業の工場が大きな被害を受けているというニュースが流れています。

 これは、要するに人件費を節約すること、つまり短期の経済的効率を考えて、工場の海外移転をした結果、異常気象の影響で大きな経済的損失をこうむったということです。

 気候変動・異常気象のことを計算に入れない損得計算は、実は中長期的に見ると経済的合理性をもたないということの明らかな実例だ、と筆者には思われます。

 言い方を変えれば、地球全体の近未来を計算に入れると、エコロジカルな持続性を無視した企業活動は――だけでなく社会活動全般も――持続不可能だということです。

 持続可能な国づくりの会の『理念とビジョン』で、次のように述べました。

 「重要なポイントは、経済そのものの点から見ても、生態系の劣化(今回は記録的豪雨)は企業の生産条件の劣化(工場の水浸し)を招き、経済活動を持続不可能にしていく(操業停止)ということです。環境とトレード・オフの関係にあるような経済システムをそのままにしておけば、やがてその経済システムそのものも機能しなくなることは、シミュレーションをすれば火を見るよりも明らかだというべきでしょう。」(18頁)

 今回の出来事は、そうした中長期的傾向の一つの現われにすぎないと思われます。

 もし、経済人や政治家や市民が、本格的な取り組みをしないままでいるならば――きわめて残念ながらしないままだと思われます――危機はまちがいなくさらに進行・深刻化する、とシミュレーションされます。


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おすすめの本:『自分と子どもを放射能から守るには』

2011年10月23日 | 原発と放射能


 3月の原発事故の後、しばらく集中的に原発と放射能に関する本ばかり読んでいました。

 数十冊読むと、問題のポイントが見えてきて、確信のもてる判断ができるようになったと思いましたので、筆者を信頼してくださる知り合いやブログ読者にシェアするための記事をある程度書きましたが、代表的には故高木仁三郎氏や小出裕章氏などの筆者が信頼できると思う原子力発電の専門家がおられるので、そういう方々のことを紹介したら、後は素人の筆者がこれ以上書く必要はないだろうと思って、中断していました。

 しかし、「放射能は低線量でも被曝、特に内部被爆は非常に危険だと思う」(その理由については関連ブログ記事参照)という筆者の判断を聞いて、「では、どうしたらいいのでしょうか」という深刻な質問・相談を受けるようになり、筆者の知りえたかぎりで信用できると思われる情報や筆者自身の判断をさらにお伝えしたほうがいいかな、と思いかえすようになりました。

 まず、端的に言うと、可能なら海外へ、できなければ国内でもなるべく西へ移住したほうがいいと思っています(筆者の長女一家は頑張って茨城から四国へ引っ越しました)。

 しかし、引っ越しできる人はともかく、いろいろな事情や理由があって引っ越しできない、しない人間はどうすればいいのか、という大問題が残ります。

 筆者は、文化・言論も含め東京一極集中型になっている日本で、言論活動をしていくには残念ながら首都圏を離れると非常に不利になると考え、また50歳以上は放射線の影響を受けにくくなるという情報もあるので、この際あえて踏みとどまるという感じで、今のところ引っ越しをしないでいます(かなり真剣に検討したこともあるのですが)。

 そうしたなかで、内部被曝をできるだけ避けるにはまず食べ物に注意するしかないだろうと考え、妻がいろいろ苦心をしてくれています。

 具体的にはどういう注意をすればいいのかについて、非常にいいヒントになっているのが、ウラジミール・バベンコ『自分と子どもを放射能から守るには』(世界文化社)です。

 著者は、チェルノブイリ事故の後のベラルーシで放射能汚染の問題に取り組んできた民間の研究機関・ベルラド放射能安全研究所の副所長です。

 本のカバーの広告文に「本書は、放射能の降った自分たちの大地で、家族を守り、生きてゆくために、自分でどうすればいよいのかを伝えてくれます」とありますが、読んでまさにそのとおりの本だと感じました。

 どういう食べ物を選び、どう料理したらいいのか、それが多くの市民の知りたかったことですが、この本にはわかりやすく簡潔にその答えがあります。

 チェルノブイリ事故への対応から生まれたベラルーシ向けの本ですが、京大の原子炉実験所の助教で小出氏の同僚である今中哲二氏の日本の状況へのコメントも含まれていて、日本の現状に対しても基本的に当てはまり、とても参考になります。

 原発についてまず一冊だけなら小出裕章『原発のウソ』(扶桑社新書)、もう一冊といわれたら、高木仁三郎『原子力神話からの解放――日本を滅ぼす九つの呪縛』(講談社α文庫)とご推薦してきましたが、放射能への日常的・具体的対策について一冊だけ、といわれたら、ためらわずこの本をお勧めしたいと思います。




自分と子どもを放射能から守るには(日本語版特別編集)
ウラジーミル・バベンコ,ベラルーシ・ベルラド放射能安全研究所
世界文化社



原発のウソ (扶桑社新書)
小出 裕章
扶桑社



原子力神話からの解放 −日本を滅ぼす九つの呪縛 (講談社プラスアルファ文庫)
高木 仁三郎
講談社



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若者の心にヒューマニズム復活の兆し?

2011年10月21日 | 心の教育

 昨日、O大学で、「日本人の精神的崩壊の三段階」の第三段階のところを講義しました。

 60年代末の大学闘争(の良質な部分)は、人間の解放・人権の尊重という「理想」を求めたヒューマニズムの運動だった。ヒューマニズムというのは、単なる思想や知識ではなく、フランス革命のことを考えるとよくわかるようにきわめて情熱的な行動を伴うものだ。

 しかし、良質な部分も含めてすべて、大学の責任者たち(教授会や学長)が大学キャンパスへの機動隊導入によって鎮圧−排除してしまった。

 もし、大学がほんとうに「真理の府」なのならば、教官は学生に、どんなに手間暇かかっても根気強く、理性・論理・真理の言葉によって、暴力的な運動の無意味さをわからせ、しかし学生の社会への批判・抗議の正しい部分を共有しながら、まず大学そして社会そのものの変革への共闘を誘うことが望ましかったと思う。

 「ペンは剣よりも強し」というのは人間の理性と言論を信じるヒューマニズムの原点ともいうべき言葉だが、機動隊による学生の排除は、大学教師たちが本音で言えば「剣はペンよりも強し」と信じていることをあからさまにしてしまったのではないか。そこで、ペン・言論・理性の力を信じる真理の府・理想追求の場としての大学は実質的には崩壊したと言ってもいいと思う。

 そして大学闘争の終わった後の日本は、高度経済成長で、そこでは「理想や社会の変革なんてめんどうなことを考えなくても、みんなでもうけて、もうけた金を分け合って楽しく暮らせばいいじゃないか」といった雰囲気が生まれ、「理想」は死んでしまった。つまり、表面はネアカ・ルンルン、心の中はシラケということになったのではないか。

 ヒューマニズム−理想が死んだら、シラケる、そしてもっとつきつめるとニヒリズムになるのは当然ではないか。

という話をした後で、「ヒューマニズムは、人類の福祉・幸福を追求するもので、単なる個人の幸せを求めるものではありません。ところで、このクラスのなかに、『自分の人生を――自分の楽しみのためではなく――人類の幸福に貢献するために奉げたい』と本気で思っている人はいますか?(いないと思うけど)」という直球の聞き取りをしました。

 そうすると、なんと驚いたことに、そしてうれしいことに、40人あまりのクラスの中で4人も手が上がりました。約10%です。

 この10年あまり大学で教えてきた筆者の経験の範囲では、これはほとんどなかった直球の反応です。日本と世界のきびしい状況のなかで、若者たちが目覚め・変わりはじめているということでしょうか。

 もしそうだとしたら、きわめてうれしいニュースです。

 といっても、いまどきはすぐに折れる若者たちも多いので、糠喜びはしないほうがいいかなと思いつつも、ひさびさにうれしいニュースなので、素直に受け取ってシェアさせていただくことにしました。


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新刊紹介:『チェルノブイリの今 フクシマへの教訓』

2011年10月03日 | 原発と放射能

 サングラハ教育・心理研究所、持続可能な国づくり会の会員でジャーナリストの高世仁氏のチェルノブイリ取材が一部がユーチューブで公開されていましたが、今回、60分のDVDが出版されました。

 あまり見たくないが見なければならない現実だと思います。ぜひ、ご覧ください。







DVD BOOK チェルノブイリの今 〜フクシマへの教訓 (旬報社DVD BOOK)
クリエーター情報なし
旬報社


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新刊紹介:『ゴータマ・ブッダのメッセージ』

2011年09月29日 | 仏教・宗教

 友人の青森公立大学教授の羽矢辰夫氏が新著を出されました。

 彼のブッダ論はいつも、まったくそのとおり、全面賛成で、私のブッダ理解を確認し深化させてくれます。

 平易で論旨明快できわめてすっきりした文章が、理解を促進してくれます。

 特に今回は、「ばらばらコスモロジーからつながりコスモロジーへ」という章もあって、我が意を得たりの感じです。

 仏教、ゴータマ・ブッダについてしっかりと理解したい方に、強くお勧めしたいと思います。

 
 目次

 第1章 『スッタニパータ』
 第2章 欲 望
 第3章 わたし、わたしのもの
 第4章 行 為
 第5章 ゴータマ・ブッダの生涯
 第6章 戒律・瞑想・智慧
 第7章 ばらばらコスモロジーからつながりコスモロジーへ



ゴータマ・ブッダのメッセージ―『スッタニパータ』私抄
クリエーター情報なし
大蔵出版


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新刊紹介:小出裕章『原発の真実』

2011年09月23日 | 原発と放射能

 頭に「知りたくないけれど、知っておかなければならない」というサブタイトルのついた『原発の真実』を、読みたくないけれど、読みました。

 3月以降、原発と放射能に関する本をかなりの数集中的に読んできました。

 その結果、もうまったく疑問の余地がないところまで、原発の危険性・持続不可能性がわかったという気がしていました。

 知ってみると、「地震列島に54基の原発」というのは他のどんなメリット(例えば経済的な利益)も引換えにできないくらい致命的に危険なことです。

 「脱原発依存」とか「卒原発」などというゆるいことを言っていないで、できるだけ早く「脱原発」する必要があると思います。

 しかし、日本国民全体の雰囲気を見ていると、政府とメディアの報道の範囲で考えていて、いまだに首相から始まって「原子力の平和利用」「原発とうまく共存すること」が可能であるかのような錯覚を持ち続けている人も多数いるようです(特に政治的、経済的リーダーのみなさん)。

 そういう方たちは、私の読んだような本は読んでいないのでしょうか。読んでも、理解できない・理解しないのでしょうか。半ば無意識的に読みたくないので読まないのでしょうか。

 反対派の専門家がいくら本を書いても、そういう方たちのところには知識・認識が届かないのだとすれば、素人の私がブログで少々発言しても届かないのは、当たり前といえば当たり前のことかもしれません。

 自分が納得するためにはもう充分に読んだ。私がいくら読んでも、書いても、知ってほしい方々には届かない。

 それならば、これ以上私が時間とお金を使って読んでも、知っても、あまり有効性がないかな、原発関係の本を読みあさる必要はないかな、と思っていました。

 それでも状況は気になるので、小出氏などの発言はある程度追いかけていました。

 そういうなかで、もちろん小出氏の新著の刊行のことも知っていましたが、買って読むのをためらっていました。

 しかしやっぱり気になるので、あまり読みたくもないけど読まなければならないかなと、アマゾンで注文し昨日1日大学への往復電車の中で一気に読みました。

 知識としては一応知っていることがほとんどでしたが、改めて心に甚(いた)く・痛く響くことがいくつもありました。

 特に以下に引用したところ、「3月11日を境に私たちの世界自体が全く変わってしまった」という言葉がきつく心に刺さりました。

 もうかなりの程度悪い方向に変わってしまった世界と日本をこれ以上悪くしないで、なんとか次の世代に残していきたい、そのために今後もできることをやっていこう、と改めて当たり前のような決心を堅くしています。


Q:佐賀県にある松の葉からセシウムが検出された、というニュースに驚きました。福島からおよそ1100キロも離れた場所で、なぜ検出されたのでしょうか。 6月14日

A:研究者である私から見れば、当たり前のことです。1100キロなど大した距離ではありません。米国にも福島第一原子力発電所の放射能が届いていますし、ヨーロッパにも届いています。
 今回の事故の放射性物質は、残念ながらもう全地球を汚染しているというほどに広がってしまっています。
 そういうなかで私たちが生きざるを得ない、生きのびていかなくてはならないというところまで、追い込まれてしまっているのです。3月11日を境に私たちの世界自体が全く変わってしまった、ということみなさんによくよく知ってもらわなければならないのです。
 福島県はもちろん、もはや日本は同じ日本ではなく、地球は同じ地球ではありません。
 1986年にチェルノブイリで事故が起きたときも、8200キロ離れた日本にも、もちろん放射能は飛んできました。そのときも、全地球に放射能汚染が広がっています。



知りたくないけれど、知っておかねばならない 原発の真実
小出 裕章
幻冬舎


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民主党−野田政権は原発を再稼動する

2011年09月22日 | 原発と放射能

 下記のニュース(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版)によれば、野田首相は、前日に3万人規模の反原発デモがあったにもかかわらず、来年夏までに原発を再稼動すると国際的な場で発言しています。

 「地震列島に54基の原発」という現実の意味を理解した上での発言とは思えません。

 これはつまり、民主党―野田内閣に国政を任せているかぎり、原発は再稼動する、つまり早期の脱原発はできない、ということです。

 こういう状況の中で、一日も早く原発を止めたい私たちには、何ができるのでしょう? どうすればいいのでしょう?

 みなさんは、どうお考えですか。私の考えは、何度も書いているとおりですが。


 【東京】野田佳彦首相は20日、ウォール・ストリート・ジャーナル/ダウ・ジョーンズ経済通信とのインタビューで、現在停止中の原子力発電所を来年夏までに再稼動していく考えを示した。国民の間では反原発の機運が高まっているが、原発を再稼動しないことや、すぐに原発を廃止することは 「あり得ない」と述べた。
 首相は原発政策について、「例えばゼロにするとすれば、他の代替エネルギーの開発が相当進んでいなければいけない。そこまで行けるかどうかも含め、いま予断をもって言える段階ではない」と答えた。
 3月の福島第1原発事故以来、かつては広く原発を支持していた国民の間で反原発の声が高まっている。こうした現状を踏まえ、脱原発をどこまで、また、どれだけ早く進めるかが野田新政権にとって最も困難で意見の分かれる問題となっている。
 インタビュー前日には、警察推計で約3万人の国民が集まって反原発集会が行われた。これは原発事故以来最大級の集会で、政治問題に対するデモとしても長年例のなかった規模だ。
 原発事故以降、定期点検のため停止中の原発の再稼働が国内各地で拒否されている。現在稼働している原子炉は国内にある全54基中、10基程度に過ぎない。政府が原発再開に向けて地元自治体を説得できなければ来年には全国すべての原子炉の稼働が停止し、事実上の脱原発となる。
 野田首相は、「再稼動できるものは再稼動していかないと、 まさに電力不足になった場合には、日本経済の足を引っ張るということになる」と述べた。
 しかし反原発派は、今年夏のピーク時にも、いくつかの原発停止にもかかわらず大きな電力不足がなかったことを指摘し、停止中の原発を再稼動しなくても来年の夏も乗り切ることができるのではないかとみている。これに対し、野田首相は、「そういういうことはあり得ない」として、原発なしには来年の夏は電力不足に陥るとの見方を示した。
 少なくとも当面は原発を維持するという野田首相の姿勢は、菅直人前首相とは対照的だ。前首相はかつて原発を強く推進していたが、福島第1原発事故後は反原発に方向転換した。前首相は、原発事故対応を誤ったとみなされたことも一因となり、約1年で首相の座を去った。

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今夜から「維摩経」の学び再開

2011年09月20日 | 仏教・宗教

 サングラハ教育・心理研究所の講座の夏休みも終わりで、今夜から再開です。

 『維摩経』の講義シリーズの続きなのですが、再開に際して、聖徳太子のものと伝えられる『維摩経義疏』の序文の冒頭のことばを思い出して、読み返しました(以下は私訳)。


 維摩詰は、すでに覚りに達した偉大な聖者で、その本質について言えば、すでに真如と一つなのだが、現象面の現われについて言えば、いろいろな姿を示し、人々の姿と等しくなっている。徳は多くの聖者の上にあり、道はふつうの人間(凡夫)が考えるような境地を超えている。現象の働きに関しては、「無為」を事とし、形に関しては、「無相」を相としているのだから、どうして、彼の名や相を示すことができるだろう。国家の事業を煩いと感じつつも、偉大なあわれみの心(大悲)が息まないので、人々に益することを志としている。


 「国家の事業を煩いと感じつつも、偉大なあわれみの心(大悲)が息まないので、人々に益することを志としている」という箇所、聖徳太子自身の気持ちを重ねていると感じられます。

 太子も、国家の事業・政治は実に厄介だと感じておられたのでしょう。

 しかし、菩薩は慈悲の心が自然に湧いてくるので、人々のことを放っておけません。何とか幸せにしてやりたいと思うので、あえて苦労を引き受けざるをえないのです。

 菩薩は、慈悲ゆえにあえて政治に関わらざるをえない(ほんとうにめんどうなのだが)、というのが太子の心境だったのではないか、と私は読んでいます。

 仏教には、社会・日常の苦労を離れてすがすがしい気持ちになるという方向と、あえて社会・日常の苦労を引き受けるという方向があると思われます。

 講義では、二つの方向をバランスよく学んでいきたいと思っています。



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どうすれば原発を止められるか

2011年09月19日 | 原発と放射能

 一昨日、「いのちを見つめる」展のオープニングの講演をしてきました。

 講演に共感してくださった方も多く、後の懇親会では話が弾み、久しぶりに帰りが午前さまになりました。

 弾んだ話には、講演のテーマの「宇宙の中のいのちの意味」についての質疑応答だけでなく、どうすれば原発を止められるかという話題も含まれていました。

 懇親会に残った方のほとんどが原発反対で、デモに行ったり、署名をしたり、政治家に手紙を書いたり、会える政治家には行って話しをしたり、などなど、いろいろな方法を考え、非常に積極的に行動している方もいました。

 そこで、あえて、今までの市民運動では日本の政治は基本的に変わらなかった・今回も変わらないだろう――原発も止まらなかった・止まらないだろう――という指摘をし、市民運動をしている方たちが決定的に見落としていることがあるという話をしました。

 「なぜ、ドイツやイタリアやスイスは脱原発の決定ができた(スウェーデンはとっくに決まっている)のだと思いますか?」と問い、いろいろな意見が出るのをしばらく待ってから、「そういうこともあるでしょうが、結局のところ、それは主権政党−政府が決定したからできたんです」と指摘しました。

 議会制民主主義の国では、主権政党−政府が決めれば、原則的にはどんなことでも決めてしまえるのです。

 逆に言えば、主権政党−政府が決めないかぎり、何も決まりません。どんなに市民運動が盛り上がっても。

 だから、原発を止めたかったら、止める意志がある政党を主権政党−政府にするしかない、そういう政党がなかったら作るしかないのではないでしょうか? と。

 日本は、幸いにして議会制民主主義の国で、結社の自由つまり自分で自分が支持できる思想をもった政党を作ることができるのです。

 その政党が主権政党になって、国民を代表して権限・権力を行使すれば、原発はまちがいなく止めることができます。

 民主主義国家における政府は、選挙によって国民の委託を受け、国民のために権力を行使するものです。

 それは、民主主義の常識のはずなのですが、日本の市民の常識になっていないのではないでしょうか?

 そもそも政府は権力を行使するものであって、権力=悪=政府=政治という情緒的同一視は民主主義とはそぐわないものなのですが、日本の良心的市民にはどこかそういう感覚が強くあるようです。

 〔あくまでもグラデーションですが〕正しい権力と悪しき権力があるのであって、権力そのものは善でも悪でもないのです。

 そして、権力を行使する政府を形成する政党(を形成する議員)を選ぶのは国民なのです。

 だから、もう一度言いますが、もし原発を止めたかったら、止めるという決定をすることのできる権限・権力を行使する意志のある政党を主権政党にするしかない。そういう政党がなかったら、作るしかない。

 現在の民主党には、成り行きで原発を減らす・減っていくという意志ともいいにくいあいまいな方向性しか見えません。

 自民党、公明党も脱原発の意思表示はしていません。

 共産党と社民党が意思表示をしていますが、残念ながら、この二つの政党共に日本の経済、外交、安全保障を任せられるとは思えません。

 その他の政党についても、日本の未来を託すことのできるような理念とビジョンがあるとは思えません。

 だから、脱原発を含め日本の未来を託すことのできるような、自分が支持できる政党を作るほかないのではないでしょうか?

 政党を作るのは大変? いいえ、政党は基本的には任意団体なので、たった二人でも合意して「○○党」と名乗ったら、それは政党なのです。

 政党助成金を受けられる政党になるには、国会議員が数名加わっている必要があるのだそうですが。

 初めはごく少人数だった政党がやがて主権政党になる、ということは、起こりえないことではないのです。

 そういうわけで、私の属している「持続可能な国づくりの会」では、「理念とビジョン」の試案を作り、「こういう理念とビジョンを実行する政党が必要だとは思いませんか」という呼びかけをしています。

 会のHPやブログを見て、よかったら「清きご一票を」……と呼びかけてきました。

 みなさん熱心に話を聞いてくださり、「ブログを見てみます」と言っていました。

 ともかく、市民運動をしている人に向って、あえて「従来の市民運動では限界がある」と言って、反発されず、関心をもって最後まで話を聞いてもらえた集まりは、初めてでした。

 これが日本の市民の意識が変わりはじめている兆しだといいのだが、と期待しているところです。


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第36期講座案内

2011年09月14日 | 広報

*コスモス・セラピーの日程のうち12月3日は都合により10日に変更になりましたので、改めてお知らせします。

         サングラハ教育・心理研究所
      
       第36期オープンカレッジご案内


 戦後の日本人のきわめて多数が、自分を超えた大いなる何ものか(神仏・天地自然・祖霊)の大切さを忘れさせられて忘れ、「神も仏もあるものか。死んだらばらばらの物に解体してすべては終わり(ニヒリズム)。だから、生きている間に自分がどれだけいい思いができるかだけ(エゴイズムと快楽主義)」という精神状況に陥っていることは、これまで何度も指摘してきました。

 リーマン・ショック、ドバイ・ショック、格差社会、東日本大震災、原発事故、歴史的円高……と、よりどころだった経済的繁栄も先行ききわめて危うくなっている中で、エゴイズムと快楽主義ではもう当面のやりくりさえできなくなっており、これからどう生きていけばいいのか、行き詰まってしまった人が急増しているように思えます。

 今期は、そうした状況の中で、行き詰まりを超えるための根本的な世界観を示してくれるコスモス・セラピーと仏教の学びをさらに深めていきたいと思います。


 火曜講座:「『維摩経』を学ぶ 5」

              於 サングラハ藤沢ミーティングルーム
               火曜日 18時45分〜20時45分  全7回
               9月20日、10月4日、18日、11月8日、22日、12月6日、20日


 『維摩経』の学びの再開(第五期)。主人公維摩詰は、在家仏教徒で大商人でありながら、ブッダの弟子たちよりもはるかに深い覚りの境地にあったとされる、大乗仏教を代表するような人物です。

 第一期の導入部、第二期、ブッダの弟子たちが維摩居士の病気見舞いを辞退する場面、第三期は、菩薩たちも辞退する「菩薩品」から文殊菩薩がみなを連れて見舞いにいく「問疾品」、第四期は「不思議品」、今期は「観衆生品」、「仏道品」とますます佳境に入って大乗仏教の真髄に触れていきます。

 連続講座ですが、途中からでもわかるように講義します。希望の方は第一〜四期の講義をCD、DVDで聴くこともできます。初めての方もお出かけください。

 テキスト:コピーを配布します。

*火曜講座では、講義の前に三十分程度の坐禅を行ないます。坐禅のできる服装をご用意下さい。


 土曜講座:「コスモス・セラピーの理論と実践 1」

         於 サングラハ藤沢ミーティングルーム(JR、小田急藤沢徒歩5分)
         土曜日 13時30分〜15時30分 全7回
         9月24日、10月8日、22日、11月5、19日、12月3日→10日、17日

 久しぶりに研究所のいわば定番的プログラムであるコスモス・セラピーの講座を開講します。今回は、理論と実践の初級インストラクター・レベルの内容をマスターしていただくための本格コースの第1回(全3回、来年1〜3月期と4〜7月期に開講予定)です。

 二十世紀初頭前後から1世紀余りをかけて形成された現代科学の宇宙論―ビッグバン・宇宙の誕生から私の誕生までの137億年にわたる歴史の流れ―を学ぶと、近代の根本的な心の病いである、ニヒリズム―エゴイズム―快楽主義は徹底的に克服されてしまうという学びを理論的にも体験的にも共有していきたいと思っています。

 今回は加えて、2003年頃から大きく変わりつつある宇宙論の最新仮説で、コスモス・セラピーに大きな増補・改定が必要になったのかどうかについてもコメントをしていきます。


 テキスト:『コスモス・セラピー―生きる自信の心理学』(サングラハ教育・心理研究所)

*野外ワークを行なう場合もあります。軽い運動のできる服装をご用意下さい。


●受講料は、一回当たり、一般3千5百円、会員3千円、専業主婦・無職・フリーター2千円、学生1千円 それぞれに×回数分です。
 都合で毎回出席が難しい方は、単発受講も可能です。

●いずれも、申し込み、問い合わせはサングラハ教育・心理研究所・岡野へ、
 ・E-mail: okano@smgrh. gr. jp または ・Fax: 0466-86-1824で。
 住所・氏名・年齢・性別・職業・電話番号・メールアドレス(できるだけ自宅・携帯とも)を明記してください。

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