sigh of relief

くたくたな1日の終わりに、
熱いコーヒーと、
甘いドーナツと、
友達からの手紙にほっとする、感じ。

乗り越えるというのに無縁で

2016-09-18 | Weblog
「私の韓国語落語は、師匠・鶴瓶の言葉が源の一つです」と言う
笑福亭銀瓶さんの記事を、ちょっと前に新聞で読みました。
下に貼ってありますが見にくいかもしれないのでざっと要約すると、
子供の頃から自分の出自を意識してきた銀瓶さん。小さい頃は隠してて高校生くらいで本名を名乗るようになったが、子供の誕生を機に帰化。自分は一体何人だろう。韓国に行っても在日は外国人だった。悔しさから韓国語落語を思いつき始める。韓国でも日本でも笑ってもらえるようになり、ふと気づくと自分の中の葛藤が消えていたという。何人でもいい、受け入れられたと実感できればと思うようになった。

これを読んで、自分のことを振り返りました。
個人的には、自分がなに人かで悩んだことは覚えている限り子供の頃から一度もない。
そこにアイデンティティを置こうと思うことが全く無いせいだろうけど、
むしろそういうことにこだわったり悩んだりする他の在日コリアンの人たちを、
不思議な気持ちでちょっと羨ましくも思ってきた。

そういう葛藤や悩みは、乗り越えるものだし、
乗り越えるということは気持ちのいいことで、
子どもの頃、親に在日韓国人の集まり行かされると、
勇気を持って乗り越えた人たちの涙と感動の瞬間をたくさん見せられた。
自分には元々そういう悩みがないので、みんなの感動に全然乗り切れず、
日本人の中にいる時と同じかそれ以上に、孤独で居心地悪かった。

「ずっと周りに隠してきてつらかったけど、
これからは本名を名乗る勇気が持てた」と言う人たち、
誇りを持って生きていこうと思えるようになった人たち、
そういう人たちが同じ境遇の人たちと語り合い、共感し、感動の場になる、
そういう場所で、いつもわたしはきょとんとして、居場所ないなぁと思ってた。

その人たちやそういう場を否定はしないし、むしろ素晴らしいことだと思うので、
自分が変わり者なんだろうと観念して、小さくなって、孤独な気分で、
静かに帰れる時間が来るのを待つしかなかった。
そういう場に、親に何度も何度も連れて行かれたけど、
行けば行くほど、自分はこの人たちとは違うと思っただけ。

基本的に自分は、ごく当たり前で常識的な思考をする凡庸な人間だと思うんだけど
(ときどき惚れ惚れするようなぶっ飛んだ人を見て、ますますそう思う)、
なんでいろんな場所で自分だけ乗れないでことがあるのか、いまだによくわからない。
どう考えてもそんなに変わり者ではないんです。いやほんと。

ただ、気持ちの底の自由さは、もしかしたら、
ちょっとおかしいレベルなのかもしれない。と、ふと思う。
すこんと無防備に穴が開いてるようなものです。

でも日常的には、おどおどと空気を読みまくり、
誰も気づかないようなどうでもいいことに気を配りまくり疲れながら、
いろんなことに支配されながら、生きています。全然自由じゃない。
ゴミの日にも支配されてる。
明日の朝はゴミ出しだから今夜は飲みすぎずに帰ってこなくては。


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