前に、韓国の大学で教えているアメリカ人で、
日本語もペラペラのお友達と落語を聞いたんだけど、
落語のサゲ(オチ)の意味がわかりにくいようで、
「いらち俥」(韓国語落語)と「たち切れ」(日本語)だったので、
まあ確かにサゲとしては、わかりにくかったかな。
そして韓国語にはオチという言葉がないと聞きました。
言葉がないということは、そういう概念もないのかな?と興味深かったです。
日本語で会話してたんだけど、いい例が思いつかなくて、
英語だとpunch lineかなと言ったんだけど、
punch lineとオチって、やっぱちょっと違うとこあるよなぁ。
まんじゅうこわい、あたりを例にしたら、もう少しわかりやすかったかな・・・。
オチがないのであれば、ボケとツッコミなんてものももないのかな?
関西人は、とかく話にオチをつけたがると言われます。。
つけたがるというか、習性でついつけてしまうというか。
何かかっこいことなどを言うと、必ず自分を下げるようなオチをつけるし、
長い話には最後にオチがないと誰も聞かなくなるし、
自分自身、普段の会話でもなんらかのオチがあることがほとんどのような。
息子と何かでLINEするときでさえ、オチはつけてると思う。
もちろん、普通に中身のある会話をしているときには
オチのことなど考えずに、真面目に話すこともあるけど、
それでも、要所要所でオチはつけてしまうように思うし、
オチの全然ない会話の文化って、不思議な気がしてしまう。
言葉は文化と深く結びついているというか、それ以上に
言葉は文化だと思うので、こういう小さなことも面白いです。
日本語もペラペラのお友達と落語を聞いたんだけど、
落語のサゲ(オチ)の意味がわかりにくいようで、
「いらち俥」(韓国語落語)と「たち切れ」(日本語)だったので、
まあ確かにサゲとしては、わかりにくかったかな。
そして韓国語にはオチという言葉がないと聞きました。
言葉がないということは、そういう概念もないのかな?と興味深かったです。
日本語で会話してたんだけど、いい例が思いつかなくて、
英語だとpunch lineかなと言ったんだけど、
punch lineとオチって、やっぱちょっと違うとこあるよなぁ。
まんじゅうこわい、あたりを例にしたら、もう少しわかりやすかったかな・・・。
オチがないのであれば、ボケとツッコミなんてものももないのかな?
関西人は、とかく話にオチをつけたがると言われます。。
つけたがるというか、習性でついつけてしまうというか。
何かかっこいことなどを言うと、必ず自分を下げるようなオチをつけるし、
長い話には最後にオチがないと誰も聞かなくなるし、
自分自身、普段の会話でもなんらかのオチがあることがほとんどのような。
息子と何かでLINEするときでさえ、オチはつけてると思う。
もちろん、普通に中身のある会話をしているときには
オチのことなど考えずに、真面目に話すこともあるけど、
それでも、要所要所でオチはつけてしまうように思うし、
オチの全然ない会話の文化って、不思議な気がしてしまう。
言葉は文化と深く結びついているというか、それ以上に
言葉は文化だと思うので、こういう小さなことも面白いです。