sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

オチ

2017-05-22 | Weblog
前に、韓国の大学で教えているアメリカ人で、
日本語もペラペラのお友達と落語を聞いたんだけど、
落語のサゲ(オチ)の意味がわかりにくいようで、
「いらち俥」(韓国語落語)と「たち切れ」(日本語)だったので、
まあ確かにサゲとしては、わかりにくかったかな。

そして韓国語にはオチという言葉がないと聞きました。
言葉がないということは、そういう概念もないのかな?と興味深かったです。
日本語で会話してたんだけど、いい例が思いつかなくて、
英語だとpunch lineかなと言ったんだけど、
punch lineとオチって、やっぱちょっと違うとこあるよなぁ。
まんじゅうこわい、あたりを例にしたら、もう少しわかりやすかったかな・・・。
オチがないのであれば、ボケとツッコミなんてものももないのかな?

関西人は、とかく話にオチをつけたがると言われます。。
つけたがるというか、習性でついつけてしまうというか。
何かかっこいことなどを言うと、必ず自分を下げるようなオチをつけるし、
長い話には最後にオチがないと誰も聞かなくなるし、
自分自身、普段の会話でもなんらかのオチがあることがほとんどのような。
息子と何かでLINEするときでさえ、オチはつけてると思う。
もちろん、普通に中身のある会話をしているときには
オチのことなど考えずに、真面目に話すこともあるけど、
それでも、要所要所でオチはつけてしまうように思うし、
オチの全然ない会話の文化って、不思議な気がしてしまう。

言葉は文化と深く結びついているというか、それ以上に
言葉は文化だと思うので、こういう小さなことも面白いです。



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