ディカプリオお味噌味

主に短編の小説を書く決意(ちょっとずつ)
あと映画の感想とかも書いてみる(たまに)

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夜景列車⑰

2016-12-10 00:41:36 | 小説
 美也子先輩の告発、失踪から1週間が経った。銀杏の木も、紅葉の木も自然色豊かな葉の服を脱ぎ捨てて、その身を太陽と青空と寒風の下に晒していた。
 私が初めて美也子先輩からもらった香水をつけたその日、花江さんから夜ご飯に誘われた。今回のことで忘年会もなくなっちゃったけど、せっかくだから2人でやろうといってくれ、断る理由などなく私はお誘いを受けた。
 駅前の居酒屋に2人で入ると、花江さんは「今日は私がご馳走するから、たくさん飲んで食べてね」といってニッコリ笑った。
 私がカクテルをちびちび飲んでいる一方、花江さんはジョッキのビールを呷り、すぐに2杯目を注文していた。
 私は思わず聞いた。
「他の人は誘わなかったんですか?」
「ううん。今日はね、時子ちゃんと2人で飲みたかったの」
「私とですか」
「うん。ずっと前からそうしたかったのよ。まだご馳走してあげたこともなかったし」
 有難かった。花江さんからしたら私は娘みたいなものなのだろう。思えばみんなが美也子先輩を毛嫌いしていたが、花江さんはそうではなかった。どこかいつも先輩に寄り添おうとしていた。そういった些細な優しさや愛情は逆に目につくし記憶に鮮明に残るものだ。
 すると、開始早々花江さんがいった。
「時子ちゃん、付き合ってる子がいたのね」
 それを聞いて口にしていたものが喉に詰まった。すぐにカクテルでそれを流し込むと私は慌てていった。
「なんですか急に?」
「こないだ廊下で髙橋薬品の方と喋ってたの聞こえちゃったの、ごめんね」
「あ……」
 あのときか。なんて失態を犯してしまったのか。ただすぐに、聞いたのが花江さんでよかったと安心する自分がいた。そして私は素直に事実を打ち明けた。
「――――あれ、実は嘘なんです。私に気持ちがないくせに、つきまとわれるのが嫌で」
「気持ちがないのにつきまとうの?」
 私は大濠が試みていたことを包み隠さずいった。これも私を騙そうとした罰だ。
「そうだったの。ひどい話ね」
 花江さんは2杯目を終え、3杯目にウーロンハイを頼んだ。
「でも、好きな人がいるってのは本当でしょ」
 花江さんはさも愉快そうに口元に笑みを湛えながら私を見た。花江さんの頬がやや朱に染まり始めているのを見たからではないが、私の頬も熱くなるのを感じた。
 花江さん、鋭い。
「図星ね」
「でも、憧れみたいものです。本気になれる恋愛とかではないです」
「時子ちゃんが憧れる男性かあ。きっと誠実で優しい子なんだろうね」
「……そうかもしれないです」
「同級生の子かしら」
「まあ、そんな感じです」
「そうか、いいわね。素敵だわ。変な医者と付き合うより、そういう人を大事にしたほうがいいかもね」
「今回の美也子先輩のことを知って、お医者さんってひどいなって思いました。人の命を扱う職業だから大変なのはよくわかりますけど、だからって人の気持ちを弄ぶというか、何だか傲慢っていうか。美也子先輩のお母さんのことだって――――まだ真実は明らかになってはいませんけど。もし本当だったら、ひどいですよ」
 私もやっと2杯目のおかわりを注文した。それが運ばれてくると、少し飲むペースを落としていた花江さんがいった。
「私ね、昔メーカーのプロパーをやってたの。いまでいうMR」
「そうなんですか?」
「私が営業やってたなんてあんまり想像つかないでしょ」
「正直、つきません」
「昔はいまみたいに業界のルールなんてなかったからね、接待ばっかり。いまでこそ女性MRが一人で行事参加するのを禁止してる企業さんもあるって聞くけど、私なんて一人でばりばり行かされたのよ、医者の接待に。ご機嫌とりでお酒ついでね、先生方のセクハラをかわすのも大変だったんだから」
 花江さんは昔を懐かしむように嬉々としているが、花江さんがMRをしていたというのはまだ想像することができなかった。ただ、見た目と違ってお酒に強かったりするのはまだそのとき培ったものがあるのかもしれない。
 花江さんはやや酔眼の様相を呈しながら続けた。
「もう20年近く前だけど、こんな私にも言い寄ってくる医者が何人かいてね。その中で一人しつこいやつがいたのよ。医者のくせに地に足ついていないというか、いかにも女ったらしのような男でね。何もしないからって、私の家に来たがってたわ。下心が見え見えで、私もこんな性格だから、そういうのが正直いやだったの。でもね、ある夜2人で飲んだことがあって、いつものように私の家に来たがるの。私も何か断るのが疲れちゃってね。その晩、はじめて家に入れたわ。何もしないとかいって、すぐに私に抱きついてきて、私もそのとき仕事がうまくいかなくて色々疲れちゃってたのか、別にいいやなんて思っちゃったの。でもそのときね、彼のピッチが鳴ったの。急患の知らせだったのよ。それを聞いた途端にヘロヘロしてた彼が急に真剣な顔になってね、ごめん、病院戻るっていうのよ。そんな飲んだ状態でいいのかって思ったけど、私を置いて出てっちゃった。そのときね、お医者さんってすごいなって思ったわ。やっぱり患者さんを救えるのって、あの人たちなんだって。そこで見直したというか、ちょっと惹かれちゃったのよね」
「それじゃ、その方とお付き合いされたんですか」
「うん、結婚したわ。別れちゃったけどね」
「え、花江さん離婚されたんですか」
「そう。いままでいってなかったけど、私バツイチのシングルマザーなのよ。見えないかもしれないけど」
 初耳だった。驚きのあまり、「そうだったんですか……」といったきり暫時二の句を継げなかった。
「医者と付き合うよりとかいったくせに、自分がそうだったのよ。人に助言する立場じゃないのにごめんね。経験者は語るってやつ」
「お聞きしていいかわからないんですが……どうして離婚されたんですか」
「彼の浮気。医者ってちやほやされるから、自分がモテるって過信しちゃうのよね。1回目は許したけど、2回目は許せなかった」
「2回も?」
「そう。節操のない、ダメな男だったのよ。子供を作れたからいいんだけどね」
 花江さんはそういって豪快に呵々大笑した。過去の過ちなどキレイさっぱり洗い流すように。
 花江さんがそんな男と付き合い、契りを結んだことがやはり想像し難かったが、一時でも惹かれるものがあったのだ。それが仕事への真剣な態度だった。しかしそれだけではダメだった。夫婦というのは、一時の感情やインスピレーションでどうこうなるほど簡単なものではないということなのだと私はあらためて学ぶ思いだった。
 今日までどれほどの苦労があったのだろう。結婚するまで覚悟を決めた相手に浮気をされ、別れてひとりで子供を育ててきたその本人はいま私の目の前で枯れ木に留まった一枚の紅葉のように赤く染まった笑顔を咲かせている。
 なんて強いんだろう。
 そう思うと、グラスを持つ手に自然と力がこもった。
「花江さん、美也子先輩のお母さんがシングルマザーだったこと知っていらしたんですか」
「ええ、彼女が入社した年にね。こうやって2人で飲んだの。お母さんが心臓患っていたとか、手術ミスで、しかもうちの病院で亡くなったことなんかは一言もいってなかったけどね」
 合点した。花江さんにはきっと感じ取れたのだろう。美也子先輩の底に沈めた人には言い知れぬ過去の労苦や悲しみが。普通の人はあの髪、目、唇、身体、それらすべてが集合して作り出す美貌に目が捕らわれている中、花江さんには真実の部分が見えていたのかもしれない。
「美也子ちゃん、どこいっちゃったんだろうね……」
 花江さんはそう物悲しげにいうと突然、私を真っすぐみていった。
「時子ちゃん香水つけてるの?」
 私は一瞬ドキリとし、俄かに挙動不審となって、「す、すみません。なんか柄でもないのに……」と縮こまると、「そんなことないわよ!すごくいいわよ!美也子ちゃんと同じ匂いがすると思って」と花江さんは明るい表情で私の曇り顔を照らしてくれた。
「美也子先輩からもらったんです。こんなのつける機会ないって思ったけど、今日初めて試しに使ってみて――――」
「そうだったのね。まだ1週間しか経ってないっていうのに、何だか懐かしいわ、ほんとに……」
 花江さんは声を詰まらせて涙ぐむと、何度か鼻を啜っておしぼりを顔に当てた。
 それを見て、気づいた。
 花江さんと美也子先輩は同じにラインに立っていたんだ。私のずっと前に立っていたんだ。そして、私の知らない世界を観ていたんだ。
 胃が食道に飲み込まれるのではないかと思うほど身体の芯に変な力が入った。何も知らなかった自分が幼くて、情けなくて、歯がゆくて、恥ずかしくて仕方がなかった。
 私は両手に持ったグラスの残りを一気に呷った。甘い液体は舌の上を通って喉に入り、胃に落ちた。
 私は店員を呼び、「ビールください」といった。
「時子ちゃん、ビール飲めるの?」
「はい、大丈夫です。なんか、苦いものが飲みたい気分というか、必要な気がして」
「そしたら私も。すみません、ビールもう一杯。今日は酔っぱらおう、私の奢りだし!」
 私たちは再び乾杯して、運ばれてきたビールを一気に飲み干した。

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