ディカプリオお味噌味

主に短編の小説を書く決意(ちょっとずつ)
あと映画の感想とかも書いてみる(たまに)

悲しみの傘⑥

2016-10-15 22:23:45 | 小説
「なあ、一つ聞いていいかよ」
「なんだよ」
「お母さんとはもう一度も会ってないのか?」
 裕次郎は吹き出して、「なんだよ、それ!」と破顔一笑した。
「いや、つまり、出ていってから一度も会ってないのかって。聞いたことなかったからさ」
「二十になってやっと聞けたってわけか」
「まあな」
「会ってないよ。一度も。実家の石川にも帰ってないし、誰も居場所は知らねえ。他の男と呑気に暮らしてるか、もうどっかでのたれ死んでるかもしれない」
「そっか。悪い、別にあらたまって聞くような内容じゃなかったんだけどさ」
「気にすることねえよ。俺だって一人息子を置いてった母親のことなんて覚えてないさ。まあ、よっぽどあのダメ親父に愛想尽かしたんだろうけどな」
「お父さんには厳しいんだな」
「当たり前さ。あいつのせいで俺がどれだけ苦労してきたか。もとはといえば親父が全部悪いんだよ。大した力もないくせに会社なんて経営しやがって。いまとなっては生きてるんだが死んでるんだかよくわからねえ人間になっちまって。親父として認められないね、はっきりいって」
 裕次郎は表情を硬くして悪態をついた。
 そこまでいわなくても――――伸久はそういいたかったが、やめた。自分が裕次郎の父親を擁護する資格もないし、裕次郎の本音を否定する権利もない。
「まあ、俺もそんな親父と大して変わらないお粗末な人生を歩んでるけどな」
「そんな腐るなよ」
「同情はいらねえさ、ノブ。ノブのような成功者には俺のような人間の立ち位置ってものはわからねえさ」
「成功者?勘弁してくれよ。アメリカいったら成功だなんて日本でいわれたなんていったら、クラスメートみんなに莫迦にされちまう」
「成功者だよ、俺からしてみればな」
 伸久は押し黙った。成功者なんかじゃない。海外でどれだけ惨めな生活をしてきたか。時々後悔することだってある。まだ日本に引き返せるって何度も思った。何も誇れるものなんてない。悩みしかない。
 自分はいったい何がしたいのか。自分の人生はいったい何のためにあるのか。
 ぶちまけられるならいくらでもぶちまけられる。しかし伸久は自分の悩みを他人に口にすることはなかった。
「いっててて」
 裕次郎が急に後頭部を手に当てて呻き始めた。
「どうした、頭痛か」
「いや、頭痛ではないと思うんだけど、古傷がやけに痛んでさ。ほら、俺の後頭部に髪が生えない部分あるだろ、覚えてるか」
「ああ、小さいころテーブルの角に頭ぶつけて何針か縫ったっていう傷跡か。俺の兄貴ももってるけど、そんなところが痛むのか」
「最近やけに疼くんだよ。この間チャリで思いっきり転倒したからかな」
「転倒したのか?」
「先週の大雨の日にがっつり転んだ。何回転もしたもん。チャリから放り投げられたときは死んだと思ったもんね。でも大した傷もなくてさ、そういうとこだけツいてやがる」
「気をつけろよ。裕次郎は前からそういうとこあるからな。赤信号無視してバイクと衝突したことあったろう」
 裕次郎は呵々大笑して「そんなことあったな。医者から九死に一生っていわれたやつだ」とさも愉快そうにいう。
「死んだら何もかも終わりだ。生きることが大事なんだよ」
「大袈裟だよ。それより悪い、俺そろそろ行かなきゃ」
「大学か」
「ああ。今さら進学したこと後悔してるけどな」
「卒業は――――しろよな、絶対に。俺がいえるセリフじゃないけど」
「すでに単位ギリギリでやんの、まったく」
 裕次郎が着替えている間に玄関の方へいくと、伸久はあるものをそこで発見した。
 傘だ。
 白い花柄のデザインが施された、立派な黒の傘だ。
 記憶というのは不思議で、ある一つのヒントを頼りに一枚のピクチャーを、動画を鮮明に想起させる。
 雨の日。灰色の空一面に雨が降り注ぐ中、幼稚園の入り口でこの傘を差して待っていた女性。裕次郎の母親だ。
 光沢のあるヒールは雨をはじき、白い肌を光らせる脚線美。真っ赤なルージュにキレイに反り返る睫毛。
 そしてこの傘。黒い傘だ。
「どうした、ぼっとして」
 背後からスタジャンを羽織った裕次郎がいた。
「あ、いや、この傘、見覚えあるなって」
「へえ、すげえ記憶力だな」
「お母さんが使ってたやつだろ」
「……ああ」
「やっぱり」
「遺品みたいなものさ」
「遺品?」
「あの人が大事にしてたものの中で、唯一それだけが残ってたんだよ。他の物はみんな持っていったのに、その傘だけは置いてったんだ」
「そうだったんだ」
「お気に入りの傘のはずだったんだけどな。置いてかれて可哀想だから、捨てずにずっとそこに置いてあるんだ。別にそれを置いておけばいつか母親が帰ってくるだなんて、そんな幸福の黄色いハンカチみたいなメルヘンチックなこと考えてるわけじゃねえからな」
「わかってるよ、そんなこと」と伸久は笑って理解を示した。
 外に出ると、裕次郎は駅の方へと向かうため、二人はすぐに別れた。
 実際のところはどうなんだろう。本当は待っていたんじゃないだろうか。母親の帰りを裕次郎は、もしくは父親は、ずっと待っていたんじゃないだろうか。
「誰も居場所を知らない」と裕次郎はいった。
 裕次郎の母親はいまどこにいて、いったい何をしているのだろうか。
 遠方の空のさらに奥の方で、ねずみ色の雲がゆっくり動き始めていた。
 
 
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