ディカプリオお味噌味

主に短編の小説を書く決意(ちょっとずつ)
あと映画の感想とかも書いてみる(たまに)

悲しみの傘⑨

2016-10-19 21:04:26 | 小説
 空が海のように濃く青い。東京にもこんな空が存在するものなのかと、伸久は窓外の流れる景色を目で追っていた。
 裕次郎がレンタルしたシルバーのプリウスが東名高速道を光をはねのけて突き進んでいく。目の前に、横にと、時折富士の先端だけ景色に混ざって入ってくる。
 もう静岡か。
「あとどのくらい?」
「まだ四時間は少なくともかかると思う」
 裕次郎がハンドルを握りながら答える。
「長旅だね」
「便所か?」
「いや、さっきしたばっかだし」
「なんだよ、腰でも痛くなってきたか」
「十時間以上のフライトに比べればこんなもん」
「なんだそりゃ、エラそうに」
 二人は裕次郎の母親が学生時代過ごしたという福井の越前市を目指して走っていた。彼女がいたときは武生市と呼ばれ、最近今立町と合併し新たに越前市となった経緯がある。福井市に次ぐ福井県第二の都市と呼ばれている。
 高校まで東京で育った伸久からすると何もないという印象が強かった。しかし、緑に茂った山々を周囲に見渡すことができる自然豊かな環境に伸久は好感を持った。裕次郎は幼少のころ何度か足を運んだことがあるようだが、記憶はほとんどないらしい。
 母親を知る友人を探す手がかりは、彼女が失踪した後、それを知らずに送られてきた数枚の年賀状ハガキだった。父親が捨てずに何枚か残しておいたものを箪笥の中から見つけたらしい。
 年賀状ハガキとは考えたものだと伸久は思った。電話番号が記載してあったハガキの主には事前に電話をしてあったため、家の中まで招かれて歓迎された。福井弁は関西弁のような訛りで、おばちゃんといっていい五十近くの女性たちが裕次郎の母親について一方的に語った。
 べっぴんだった、気立てがよくて優しい、賢い、人気があった、親思い、おじいちゃんおばあちゃん思い、芯が強い、などなど絶賛の言葉しか聞かなかった。各々が裕次郎の母親とのエピソードがあり、それを聞くたびにその前向きなフィードバックがきわめて当てはまり納得できた。
 伸久が最も印象に残ったのは、椛田という同級生の話だった。彼女らが中学生のころ、学校一怖い教師が数学科にいたらしい。宿題のプリントを忘れると恐ろしいことになることは劣等生の不良でもよく知っていて、その男の授業では誰もが宿題をやってきたという。だがある日、椛田は宿題をやってきたにもかかわらず、それを家に置いてきてしまったのだ。それを直前に知り、家に帰ることもできず、仮病を使って保健室に行くことも考えたが、いずれ忘れたことがばれると思い、解決策が思い浮かばないままクラスは始まってしまった。彼女は恐る恐る泣くような思いで挙手して忘れたことを告げた。その教師の怒りが炸裂する直前、隣の席にいた裕次郎の母親が手を挙げてこういった。先生、わたしも忘れました、と。クラス中のみんなが唖然としたという。二人が宿題を忘れるということ、そして何よりも才女の母親がそのような行為を犯したことにみな驚愕したのだろうと椛田は語った。二人は全員の前でこっぴどく叱られ、廊下に立つことになった。
 いまとなってはパワハラだと思いながら伸久が聞いていると、椛田はこうもいった。
「廊下に立ちながらな、まゆちゃん、ほんとはわすれてないんやろ?なんでそんなことした?って聞いたら、一人で怒られたらつらいけど、二人ならそんなにつらくないやろっていったのよ、まゆちゃんは。あたしは泣きながらごめんねってあやまったのよ、ほんとに。まゆちゃんなんでそんないい子なのっていったらな、なんていったと思う?いい子じゃないって。本当にわたしがいい子だったらね、はなちゃんが忘れたってわかった時点でわたしのプリントあげてるわって、そういって優しく笑ってくれて……」
 そう語る椛田の目には薄っすら涙が浮かんでいた。
 他にも買い物のお金として親から預かったものを遊んでいる途中に紛失して泣いていたとき、裕次郎の母親がおじいちゃんに事情を説明してわざわざお金を工面してくれたこともあったという話や、受験で大変なときに周りの子達のためにわかりやすいノートを作成してくれたりと、裕次郎の母親はどこまで情に厚く、正義感の強い女性であったことは明々白々だった。
 母親のこと以外では裕次郎の話に及び、お母さんに似てるという人もいれば、もう少し似ればもっとハンサムやったのにねと率直に語るおばさん方もおり、しまいにはアメリカ帰りの友人として紹介された伸久にもディカプリオに会えるのとか、やっぱり毎日ステーキなのかなど、オーバーな質問ばかりもらって何度も言葉に詰まった。
 裕次郎は学生時代付き合ってた男がいなかったか、全員に聞いたが、それはなかったと思うと答えは同じだった。男子からの人気はあったが、そういう噂もなかったし、それに受験を目指して必死に勉強していた彼女にはそんなことに興じる余裕はなかったという話だった。
 伸久の中にあった裕次郎の母親、眞由美の記憶は、そのままで正しかったことに一種の安心感を覚えた。気高い美しさ、優しさは内側にあるダイヤモンドのような強固で光輝く心から薫発されていたのではないかと思った。であるならば、彼女が裕次郎の父親と結ばれた理由もわかる。決して経済面を理由に結婚したのではなく、真面目で温厚でなおかつ仕事に真摯に取り組むその人柄に惹かれたのではないだろうか。
 
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