ディカプリオお味噌味

主に短編の小説を書く決意(ちょっとずつ)
あと映画の感想とかも書いてみる(たまに)

老いての恋 ①

2017-06-13 18:53:56 | 小説
 夜は異常に湿気ていた。こんな空気を好むものは誰もいないだろう、私を除いて。
 そう思いながら、西嶌太郎は駅前に来ていた。髪のない頭にハンチング帽を乗せ、クリーニングに出したばかりの白ワイシャツと黒のスラックスにサンダルという身なりの西嶌は、駅前にあるマクドナルドへ向かった。
 自動ドアをくぐると、「いらっしゃいませ」と若い女の子の明るい声が西嶌を迎え入れた。西嶌は三人並ぶ列に加わり、レジに立つその女子に視線を注いだ。
 安藤と名乗るその店員は、今年の四月から大学生になったらしい。触れてみたくなるほどの眩い白肌は今夏の厳しい日差しに全く侵されてなく、キレイに反り返った睫毛の下には逞しさと聡明さの両方を秘めた瞳が潤んで揺らめき、七十過ぎの老父を見たこともない世界へと誘おうとする。
 安藤という名は胸元につけているネームプレートで知ったが、今年大学生になったという事実は、西嶌自身の勇気で安藤本人から知り得た情報である。ただ、下の名前は未だに知らない。
 ジャンクフードなど、西嶌には縁のない食べ物だった。妻のきよ子が二年前に癌で亡くなってからも、一人でファストフード店に足を運ぶことなどなかった。
 きっかけは半年ほど前、小学生の孫たちが家に遊びにきたときだった。お昼、駅前にご飯を食べにいったとき、孫はマクドナルドがいいといった。西嶌は他にもっといいお店があると提案してみたが、孫たちは頑なで、西嶌は小さい頃からこんなものばかり食べさせて、後で文句をいってやろうと不満に思いながら店に入ったとき、「いらっしゃいませ」と笑顔を振りまく安藤の真っすぐ通る声が西嶌の足を止めた。そして、老いた視線はすぐにその美貌に奪い取られた。最愛の妻に先立たれて二年、西嶌は孫といっていいほど若い安藤という女に一目惚れした。
 西嶌は真面目人間の代表で、四十年間にわたるサラリーマン生活で、最初で最後のインフルエンザと親戚の不幸のとき以外、会社を遅刻、欠席したことは一度もなかった。その性分に関係はないが、あまり人に対して物をいえず、損する仕事ばかり自分一人で抱えることが多かった。そんな西嶌を退職するまで陰で支え続けてくれたきよ子もついに先に逝ってしまい、西嶌は頭も心も動かさない日々を過ごすようになっていた。
 だから罪悪感はあった。自分の息子、娘より若い、孫といってもいいくらいの赤の他人の娘に一目惚れするなど、あってはならないことだと。しかし、西嶌はその日から、その駅前のマクドナルドへ足繁く通うようになった。一ヶ月通って、安藤がシフトに入ってる曜日、時間帯を大体把握できた。罪悪感は消えなかった。まるでストーカーだと自分自身を軽蔑することもあった。しかし、誰にも知られていない、監視されていないことが西嶌の気持ちを楽にさせ、結果、寝る時間にもかかわらずこうやってマクドナルドへと繰り出している。
 西嶌は決まってアイスティとハンバーガーを頼んだ。この年になってハンバーガーを食べることになると思っていなかったが、思ったより美味しいと感じるようになり、幼いころからこればかりはどうかと思うが、孫たちが行きたくなる気持ちも理解できるようになった。
「お姉さん、学生さんですか?」
 二ヶ月通った西嶌は初めて安藤に声をかけた。
「はい、今年から大学生になりました」
 安藤ははっきりとした口調でそう答え、西嶌はそれ以上何も聞かず、いつものアイスティとハンバーガーを持って二階へと上がっていった。安藤と会話したのはそれが初めてで、それ以来、注文以外の会話をしたことはない。
 西嶌はそれでよかった。欲をいえば、下の名前は何なのかを聞きたかったが、そんなことを尋ねる勇気は老人にはなかった。
そしてこの日、マクドナルドに通い始めて四ヶ月ほどが経っていた。西嶌はハンチングの鍔をできる限り前に深く被り、目線を落としたまま「アイスティとハンバーグ」と声を落として、用意していた小銭を置いた。
「よく来られますね」
 え?と西嶌が目線を前に向けると、安藤が控えめな笑みを浮かべながらアイスティを目の前に置いた。西嶌はあまりにも不意な声かけに、「は、はい?」とわざと聞こえないフリをすると、安藤は咄嗟に相好を崩し、「いえ、よくこの時間に来られてるなって」と同じことをわざわざ繰り返してくれた。西嶌はなんていえばわからず、「あ、はい」とだけいって、それ以上深く被れないハンチングで熱くなる顔を目の前の美少女から隠そうとした。
「いつもアイスティとハンバーガーですね」
 安藤はハンバーガーをアイスティの横に置き、「私はここのアップルパイがすごく好きです。そんなに甘くないのでおススメですよ。シナモンが嫌いじゃなければ」と付け加えてニコリとした。
 西嶌は返す言葉に詰まりながらも、「――――それじゃ、次は、それを食べてみます」とぎこちない笑みを浮かべて何とか言葉を紡いだ。
「はい、ぜひ」
 西嶌は彼女の顔をまともに見れず、手すりを使って二階へと上っていく。お決まりの席に着くと、ほっと一息ついたが、それだけでは高鳴る心臓はすぐには治まらなかった。そして、徐々に懐かしい幸福感が内側から湧いてきて老体の身を包み込む。
 後ろにお客がいなかったから声をかけてくれたのだろう。彼女も毎日のように夜マクドナルドに来るこの老人について気になっていたに違いない。どんな形であれ、自分に関心を持ってくれている。その事実だけで、西嶌は湯に浸かったような快感を得た。
 罪悪感はある。羞恥心もある。
 しかし、かの偉大なゲーテも七十を過ぎて十八才の少女に本気で恋をしたと聞く。
 亡き妻は西嶌にとって最初で最後の女性だった。彼女に出会えたことが、西嶌の幸福そのものだったといえる。
だが、西嶌は新たな恋をしている。決して人間の道を踏み外したわけでもない。これまでの人生を否定しているわけでもない。
 新しい自分になろうとしているのか。さなぎとなって殻を破り、羽ばたき巣立たんとする蝶のように。
 店を出るとき、背後で「ありがとうございました」という安藤の快活な声がした。西嶌は彼女の方を見ないでお辞儀をし、自動ドアをくぐって出た。
 明日はそのアップルパイとやらを食べよう。
 夜の暑気を吹き飛ばしてしまうほど、明日が待ち遠しくて仕方がなかった。
 
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