とにかく日記

とにかく何でもいいから書く日記。
3人の子を抱えて、どこまで書き続けられるか?(コメント、トラバは承認制です)

1年ぶりの更新

2017-07-18 22:33:57 | ワーキングマザー
放置しているブログだが、いまだにアクセスしてくださる方があるようなので、更新。

3人の子は高3、高1、中2となった。
手はかからないが目配りは欠かせない…かな、まぁ適当に。
3人とも私よりも背が高くなり、知的にも成長中。

事情があって亭主が退職しフリーとなったこともあり、経済的に私が一家の大黒柱であることは変わりない。
子供たちは大学に行きたいというので「国公立だけ」という条件で、経済的に支援する予定。
まぁ、ぼちぼち頑張りまっせ。

いろんな点で、歳、というか衰えは感じる。
無理がきかなくなってきたし。
身も心も、もともとあまり強いとは自分では思ってないが、
いっそう弱くなっているように感じる、のは年齢相応のことだと思う。

これでも働き盛りなんだよね、この年齢って…と思いながら。
ゆるやかに下り坂を下っているような感じ。
ドーンと落ちるのではなく、ゆるやかに。

このまま、ゆるゆると下っていけたらいいな、と思ったりもする。
今日のところは以上。
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家で過ごす一日

2016-07-18 22:18:33 | ワーキングマザー
海の日、休日である。
一歩も家から出ないで過ごした。
ずっとずっと忙しかったので、こんな日は本当に久しぶり。

私はいわゆる「引きこもり」ではない、と自分のことを思っている。
っていうか仕事もあるし子供たちのこともあるし引きこもっていられない。
でも、もし、仕事もなくて家族もいない一人暮らしだったら、引きこもってるかな?と想像したりする。
今の自分の毎日の暮らしとはかけ離れたものなので、なかなか想像しにくいんだけど。

・・・もしかしたら、引きこもる、かもしれない。
だってその方が楽そうだから。
で、面倒なこと一切やめて、自分がしたいことだけをする。

でも、思い返してみると、今日はそれに近い一日だったかもしれない。

朝、目が覚めても時計なんか見ず、布団の中からすぐには出なくって。
遅~く起きてきて、亭主が作っておいてくれた朝食(ご飯と味噌汁)を子供たちと食べて。
持ち帰った仕事をPCでして、昼食と夕食は家にある買い置きの材料で作って、
連絡しなくちゃならない友人に電話して、久しぶりに1時間ぐらいの長電話して。
シャワーを浴びるという亭主にお願いして浴槽にお湯をはってもらい、のんびりお風呂に入ったりして。

昼食のボロボロジューシー(沖縄風おじや)、夕食のカレーライスを作るのは、とても楽しかった。
一週間以上冷蔵庫の野菜室で古新聞にくるまっていたモロヘイヤを出してボールの水に放ち、
しなびかけていた葉が生き返ったように緑のみずみずしさを取り戻すのを見守ったり。

長電話で友人の話をいろいろ聞いて、途中でそのお子さんに電話を代わってもらって、
変声期の息子さんの声を聞かせてもらったり。

玄関の前で友達と遊んでる子に、冷たいオヤツを出したり、
友達と出かけた子がLINEで「これから帰る」と連絡してきたのに対して、スタンプで返事したり。
娘がお風呂に入ってるから、と洗面室に入れずにいる亭主の代わりに歯ブラシをとってきたり。

こうやって書いてみると、結構忙しい一日、だったのかもしれない。
でも、好きなことばかり、してたような気がする。
忙しい、という字は心を亡くす、と書くけれど、そういう意味では忙しくない一日だった。

こういう日が、たまにでもあると、自分をとりもどしたような気分になれる。
冷蔵庫の野菜室に入りっぱなしだったモロヘイヤの葉を思い出す。
私の心もしなびかけていたかもしれないけど、ん、なんとか間に合ったかな、って。

さて、明日からまた仕事だ。
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春休み、京都家族旅行

2016-04-02 16:40:50 | 子供と飛行機旅行(含 出張)
ほとんど1年ぶりの更新、春休み京都家族旅行の記録。

3月28日(月)
早朝5時に起きる。
生協の冷凍チキンライスを子3人に分けて食べさせた。
5時半に家を出る予定が5時35分となり、しかも車を出してから
PHSを自宅に忘れたことに気づいた。
取りに戻る時間はなく、タブレットを電話として使うことにした。
天気は晴れのような曇りのような、朝霧にけぶる遠景。
沖縄自動車道を南下する間に夜が明けた。
車内の音楽はララ(高校生)のリクエストで、One Direction。

7時那覇空港、座席指定をしていなかったため、座席が分散した。
飛行機の中でコンソメスープを2杯飲んだ。
関西空港でゆっくり預けた荷物を取り、遅い朝食を店舗にて。
ララが注文しようとしたパンケーキは品切れで、チーズ卵乗せ
トーストとなり、リリはシーザーサラダとアップルジュース、
ルルはホットドッグとアイスコーヒー、私は洋朝食セット。
小学校卒業したからコーヒー飲んでいいよ、と言われて喜んで
アイスコーヒーを注文したルル、シロップを二つ入れていた。

関西空港のコンビニでおやつを買い込み「はるか」にて京都へ。
ホテルフロントに荷物を預け、東福寺駅まで歩こうとしたら雨。
荷物の中の傘を取りにフロントに戻ったら、全員分の傘を貸してくれた。
東福寺~三条まで京阪に乗り、バスで龍安寺へ。
金閣寺前でバスに大勢の外国人観光客が乗り込み、満員となった。

龍安寺は人が多く、ゆっくりできる雰囲気ではなかった。
西源院で七草湯豆腐を食べた後、徒歩でA医院へ。
雨は止んでいた。
突然の訪問だったにもかかわらずA先生の歓待を受けた。

アーフェルカンプの素晴らしい絵、Winter Landscape with
Ice Skaters(模写)が飾られた待合室。
iPad迅速病理診断の組織画像も見せていただき、腹痛を訴えた
ルルに薬も頂戴した。寮生活の話、相互信頼の話。
興味深い話は尽きなかったが、日が暮れる前にホテルに戻った。

夕食はホテルの地下レストラン街にて。
ルルとララはチーズオムカレー、リリはクリームコロッケオム
ライス、私は明太とろろと九条ネギのオムライスを食べた。
コンビニでアップルジュースと牛乳を買い、部屋に戻って入浴後、
子供たちがお菓子パーティをしている間に私は寝た。
長い一日、就寝9時半。

3月29日(火)
6時半起床、晴。
亭主に電話してから近くの公園の桜を見に。
まだ1-2分咲きだったが、カメラを持って来なかったことを後悔した。
朝食を7時半に予定していたが、子供たちが起きなかったため30分
ずらして、宿の2階レストランでの朝食バイキングを食べた。

10時に訪問する約束だったが、玄関に到着したのは9時55分。
路線を間違え、かなり焦ってたどりついた、某大附属病院。
総合受付で病理のB先生とお約束をしている、と告げたあとに
受付の方が身体障がい者であることに気づいた。
病院の中でも何度か迷い、棟を間違え、病理診断科受付に着いた
時には完全に10時を過ぎていた。
大変にお忙しい中、歓迎してくださったB先生には感謝の念しかない。

病理診断部門に今も9人鏡(病理業界の俗語。同時に9人が顕微鏡で
同一標本をみることができるディスカッション顕微鏡)が存在するか、
現役で使われているか、というのが私の最大の関心事だった。
だが、結論からいうと9人鏡ではなく10人鏡が現役だった。
大画面モニタは2面、顕微鏡画像と病理情報システム画面の両方を
同時に映写していた。
10時半までに免染指示を出し終える必要があるという本当に忙しい
タイミングにお邪魔してB先生には申し訳なかったのだが、標本を
少し見て、部門内部の施設も見学させていただき、子供たちが退屈
する前に退出した。双眼顕微鏡で3人とも両眼視できたと言っている。

出た後「B先生、おかーさんに似てる」と子たちに言われた。
B先生は生まれも育ちも京都の女性病理医、そのB先生に似てるなんて
とても嬉しい。類は友を呼ぶ、ということかな~。

自販機の飲み物で小休憩。間違ってイチゴココア(ホット)のボタン
を押してしまったルルの代わりに私がそのココアを飲んだ。
ルルがそそっかしいのは親(私)譲りだと思う。

どこに行きたい?とルルに訊いたら「琵琶湖!」というのでICOCAを
3枚入手し、大津駅から徒歩で大津湖岸なぎさ公園へ。
病院前で買ってきたお弁当3つを4人で分け合って食べ、のんびり
した後、京阪電鉄とJRを乗り継いで宿に戻った。

沖縄へのお土産を買った後、夕食はリリのリクエストにより、
手打ちうどんのお店へ。ララだけは親子丼を注文した。
お土産を買い足し、宿で再びお菓子パーティ。
就寝12時。

3月30日(水)
6時半起床、家に電話。
今度はタブレットを持参し桜の写真を撮った。(画像)
こんな若木にも花をつけるのか、と思う程の細い木にも染井
吉野の花。晴れていて良かった。

子供たちが起きるまでにララが行きたがっていたムーミンス
トアへの行き方を調べ、朝食後チェックアウトしJR京都線へ。
大阪駅も混んでいた。娘たちがムーミングッズを買っている
間に、ルルへ中学校入学祝の万年筆を購入。しかしリリの
中学校入学時に万年筆を持たせていなかったことが判明し
(ララは貰っていた)今更だが追加でもう1本購入した。

ララの調べた道程で阪急梅田駅へ行き、蛍池からモノレール
で伊丹空港へ。機内、ほぼ満席だった往路とは異なり空席が
多々。那覇空港に着いたが気温差はほとんど感じられず。
名護まで運転する元気が出ない、とボヤいたらララが「カラ
オケ!」と言ってiPhoneの音楽にあわせて歌ってくれた。
子供たちの歌声に励まされて運転し、無事に帰宅。
二泊三日の家族旅行はこうして終わった。疲れたが楽しかった。

職場の同僚3人で計画して、年休をすこしでも消費しよう、と
話し合い申し合わせた結果の、3日間の貴重な年休だった。

亭主の仕事が休めないとのことで一緒に行けなかったのが唯一
最大の残念事。
お土産に買って帰った車の雑誌3冊は、今も彼の机の上にある。

次の旅行には家族揃って行けますように。
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読み聞かせ10周年

2015-05-26 10:28:46 | 
ウチの子たちがお世話になった小学校には読み聞かせボランティアサークル「そよかぜ」というのがある。

その「そよかぜ」の活動が10周年を迎えた。
最初はこんな感じで、職員会議の間の15分を利用していた。
だが、翌年からは担任の先生がいる状態での読み聞かせ活動となった。

月に1~2回。
多い時には3冊、普通には1冊の本を読む。

当日、学校図書館の本を借用して読むことも可能、というお気楽(^^;)なサークルだが、
あがり症でもあり事前に練習したいという事情から私は家にある本を持参して読んでいる。

時間までに学校図書館に集合し、名札をつけてから、教室に行く。
ただし、自分の子がいる教室とは限らない。
前の週までに希望を書くノートがあるので、読みに行きたい教室は希望できる。

読み終えたらまた学校図書館に戻り、簡単な記録をつける。
クラス毎にノートがあり「日時・読み手・読んだ本・感じたこと」を書く。

これで終わり、という活動である。
創設当時から一参加者として活動してて、10年ってのはよく続いたなぁ、と思ったりする。

私個人としては、はっきり言って、楽しいから続けてる。
でも続けられたのはそれだけじゃないよなぁ、というのも思ったりする。
以下、続けられた理由を箇条書きにしてみる。

・本が好き(子供たちと自分自身、どちらも楽しめるような本を選んで読んでいる)

・座って読むことができる(椅子を出してもらえるので気が楽)

・学校の先生(校長先生、図書館司書の先生、学級担任)の理解がある

・仲間がいる(サークルなので、ほかにもやってる人たちがいる)

・前日までに「X月X日は読み聞かせですよ」と連絡がもらえる(リマインダーしてくれる人がいる)

・人数が少ないと全クラスが埋まらないことがあるので、自分が休んで行かないと「読み聞かせなし」の教室が出るかも、という危機感がある。

・本を読んだあとの子供たちの「笑顔」が「最大の報酬」である。

以上。
今年度でウチの子は小学校卒業となるが、次年度以降どうするかは未定。
「地域住民」の立場で続けてくれてる人もいるのだが、私はどうするかなー。
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おかーさんが死ぬとしたら過労死?

2015-01-17 10:35:10 | 子供語録
仕事で遅くなってから帰宅したある晩の話。

あらかじめ遅くなることが予想されていた日ではあった。
夫は会社の会合だとかで、一度戻り、子供たちと私の食事を作ってくれた上で出かけていた。
私は仕事先から何度か電話を入れて子供たちの状態を確認した。
体調不良のリリ(次女、中1)のスイミングを休ませることにして、
スイミングの送迎をお願いしているファミリーサポートに連絡したり、
暗くなってからは子供全員が家にいることを確認したり。

私は気が散りやすい性質でもあり、仕事への集中力を持続させるのにも時間がかかる。
その日はいつも以上に集中して短時間で仕事を終わらせることが難しかった。
結局、家に帰り着いた時には夜10時をとうに過ぎていた。

3人の子供たちは私が帰るまで食事をとらずに待っていてくれた。
ごめんね遅くなって、待っててくれたんだね、先に食べててくれても良かったのに、と言ったら
「あんまりお腹空いてなかったし」と末っ子ルル(長男、小5)。
「一緒に食べたかったんだよ」とも言われた。

食卓を整えて食前のお祈りをして食べ始めた。
そしたら、食事をしながらララ(長女、中3)がポツリと言った。

「おかーさんが、もし50歳で死ぬとしたら、過労死だと思う。
 病死でも事故死でもなくて。」

えっ?と思ってララの顔を見た。
これまで見たことがないような表情をして、ララが私を見ていた。
細い目で睨むような、非難がましいようにも見える表情。
リリもルルも、黙って私の顔をみていた。
子供たちの6つの目にじっと見つめられて、これは参った、と思った。

   *   *   *

ということで、公開反省文のようなものを書いてみる。

以前から「おかーさん仕事しすぎ、働き過ぎだよ」と子供たちには何度も何度も言われていた。
(ちなみに夫は何も言わない。諦めているんじゃないかと思う。)

子供たちにそう言われると、ごめんごめん、と口では言いながらも・・・

 でももっともっと仕事してる人が私の周囲には何人もいるし、
 私が仕事に投入してるエネルギーなんてそんな「働き過ぎ」と言われるほどじゃない、
 仕事以外のことも私は大事にしてる、だけど仕事に対していい加減なことはしたくない。
 なのに、やるべきことでやれてないことが、ほら、ここにもそこにもあちらにも転がってる、
 で、結果としてホントに大した仕事をしてない、時間がかかっている割にoutputに乏しい、
 能力が乏しい人間がそれなりにでも結果を出すには時間を費やすしかないから長時間になる、

・・・などなど、心の中でいっぱい反論してた。

そんな風に、仕事に私の時間とエネルギーを奪われる口実なら、いくらでもひねり出せてしまうのだ。
アルコール中毒患者が酒を飲む口実ばかりを次々と作り出し、酒を飲まない、という行動ができないのと似ている。

そうして振り返ると、ああ、確かに、仕事を中心に据えて生きてしまっているよなー、と思う。
なんだかんだ言って働くの好きだし、ワーカホリックの傾向があるのは幾分かは自覚している。
好きな仕事に就いてる上に、周囲の期待に応えようとすると仕事過剰にすぐ、なってしまう。

でも子供たちにここまで、こんなことまで言わせてしまったというのは、さすがに堪えた。
ローティーンの子たちに過労死する母を想像させるというのは、いくらなんでもヨロシクない。

それにそれに、私自身も過労死するのなんて絶対、イヤだ。
他人が過労死するのも耐え難いが、私自身も過労死なんてしたくない。
人生50年だなんていったい、いつの時代のどこの国の話だ。
太く短い人生を称えるのは、既に死んでしまった人に対し、残された人が言うこと。
早死した人の生き方が美しく語られているのを読むと、
ついつい美しい人生というのは短いことが前提条件なのだと勘違いしそうにもなるけれど
…いやいや私の価値観はそこになかったはず。

50歳で人生を終えるのではなく、
60歳になったら60歳にしか見えないことを見て、
70歳になったら70歳にしか考えられないことを考えて、
80歳になったら80歳にしかできないお洒落をして、(←ここに和装の着こなしが入るのだ)
90歳になったら90歳にしか言えないことを言って、
100歳過ぎてから「これまで生かしてくださってありがとうございました」って死にたいんだ。

そんなお年寄りたちを私はたくさん知っている。
年をとって衰えていくことを惨めだと思うのは浅はかな若者の価値観に過ぎない。
アルベール・カミュの「ペスト」に登場する、喘息病みの爺さん、彼を聖人と考えるタルーに私は心から賛同する。
できれば私は細く長く、そして楽しく、無駄なこといっぱいやって、生きたい。

   *   *   *

従事している職については「やりがいがあり」「十分なお金を頂戴し」「自らを恥じずに済む」仕事をさせていただいている、と思っている。欠けたところの多い身に、これは本当にありがたいことなので、誠意をもって仕事したい、と思っている。
しかし、身近な人の目には過労死しても不思議じゃない状態だと思われていることは理解した。
(自分のことは自分ではわからない、本当に。)
私は、過労死するのはイヤなので、その方向で考えて行動することにする。
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