271828の滑り台Log

271828は自然対数の底に由来。時々ギリシャ・ブラジル♪

マラソンとスパルタスロン(ΣΠΑΡΤΑΘΛΟΝ)

2016-11-19 08:42:08 | ギリシャ
私たち夫婦は2004年が丁度銀婚式でもあったのでアテネ旅行に行き、約1週間アテネあたりをぶらつきました。見出しの画像は第1回アテネ大会のスタジアムです。
東京オリンピックが開会した日を記念して十月十日が体育の日と決められたことは承知していますが、2020年の東京大会が7月22日から8月9日なのは納得できませんでした。こんなくそ暑い日にマラソン競技をするなんてアストリートファーストとは言えません。アメリカの巨大メディアの都合だろと勘ぐっていたのです。
ちょっと時間が出来たのでアテネ大会の頃に購入した『古代オリンピック』(岩波新書、2004年初版)を読み返してみました。同書によれば(P74)

オリンピックの開催時期は、夏至のあとの二度目ないし三度目の満月の時期と、と決められていた。これは現在の暦では、だいたい八月下旬にあたる。夏至の直後に満月の来た年には、二度目の満月はだいたい七月下旬ににやってくるため、三度目の満月を待って開催された。一方、夏至の直前に満月の日が来た年には、二度目の満月は八月の下旬まで待つことになる。そこで、二度目の満月の時に開催されことになったのである。
・・・・
さらに、日中の気温が摂氏四十度を超えるような季節にあえてオリンピックの時期が選ばれたことにもわけがあった。麦の刈り入れが終わったこの時期は農閑期にあたる。大部分のギリシア人にとって、一年のつらい農作業を終えたひとときの休息の時期でもあった。要するに、オリンピックは一種の収穫祭でもあったのである。


と書かれています。アメリカの巨大メディア陰謀説は私の不勉強を恥じるしかありません。
もう一つ気になったのは夏季オリンピックの華=マラソン競技の起源です。古典古代で最も有名な合戦=マラトンの戦いについて書かれたヘロドトスの『歴史』にはマラトンからアテネまで走って「喜んでください。わが軍は勝ちました」と告げるやばったり倒れて絶命した、という逸話なぞ見当たらないではありませんか。そのなぞも『古代オリンピック』を読んで氷解です。この逸話はプルタルコスが書き、それを広めたのがルキアノスだと分かりました。ヘロドトスの『歴史』では合戦の前にアテネからスパルタに援軍を頼みに行ったことが記されています

アテナイの司令官たちはまだ市内にいる間に、まずアテナイ人のピリッピデスなる者を伝令としてスパルタに送った。なおこの男は飛脚を業とする健脚家であった。
『歴史』岩波文庫版中259頁

陸路でアテナイ・スパルタ間は260km程でこの距離を二日で駆け抜けたという史実に基づいたウルトラマラソンがスパルタスロンです。今では日本人の参加者も多く、それなりの成績を収めているようで、以下の画像にスパルタスロンの動画をリンクします。動画は長いのでお時間のある時にゆっくりご覧ください。。再生時間は約一時間です。

この動画を見るとスタート地点には見覚えがありました。

撮影日時は2004年12月31日です。見出しの画像を撮影した日でした。このような建築こそレガシーと言うべきなのでしょう。東京に作られる「レガシー」は1800年の風雪に耐えられるでしょうか?

最後に安中市内にお住いの映画ファンからご提供頂いた昔の映画ポスターをご紹介いたします。

この方はこの種のポスターを沢山収集され、高崎の図書館に寄贈されたそうです。こんな古いポスターが残っているのは奇跡ですね。

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