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大杉栄訳『昆虫記』(訳者の序)

2009-08-04 07:04:55 | 読書
大杉榮訳『昆蟲記』

訳者の序

 これはフアブルの名著『昆虫記、昆虫の本能と習性の研究』十巻(Souvenirs Entomologiques,Etudes sur l'unsect et les Moeurs des insectes,Dix series)の中の第一巻を翻訳したものだ。
 僕は主として其の原文に拠りながら、所々英訳を参照して見た。英訳はロンドン動物学協会会員アレキサンダア テキセエラ ド マトス(Alexander Teixeria de Mattos)の筆に成る。いゝ翻訳だ。
1912年にはメエテルリンクの序文付で『蜘蛛の生活』を出して以来、1922年即ち本年までに『何とかの生活』、『何とかの生活」と題して十二冊の訳本を出している。原書は著者の研究が出来あがった順序のまゝ書いて行ったのだが、英訳者はそれを同じ種類の虫に分類し直して訳したのだ。そして原書の十巻が英訳の十二巻になったのだ。最初の『蜘蛛の生活』はロンドンから出たが、どうした都合か、其後はそれも一緒になつて皆ニユウヨルクから出ている。
 ドイツ訳では、もう随分古い頃に、『コスモス』と云う通俗科学雑誌に連載されていたのを見たが、それが本になっているかどうか知らない。
 最初僕は英訳に従う方が読者のために都合がいゝと思った。何故なら、一冊の本の中に同じ種類のいろんな虫のことが纏めて書いてあるののだから。そして著者も、其の研究の順序に従って書いたとは云え、やはり出来るだけは同じ種類の虫をだんだんに追って行っているのだから。
 が、其後僕は、一九一九年即ち一昨々年、(著者の序文には一九一四年と云ふ日附はあるが)『絵入確定版』(Edition definitive illustree)と云う新版の原書が出たことを知った。そしてそれを手にすると直ぐ、英訳の順序に倣うと云うを全く棄てゝ了った。其の新版には、著者の序文の中にある通り、実に綺麗な写真版がうんと載っているのだ。そして其のほかにも猶、小さなカットが沢山載っているのだ。
 僕はこの挿絵をどうしても入れたいと思った。それ以前の原書の諸版(僕の持っているのは一九二〇年の第二三版だが)にも、又英訳のどれにも、此の小さなカット一つ載っていないのだ。そして新しい確定版、年四冊発行の筈のが、戦争に邪魔されて、今まだ漸くその第四巻までしか出ていない。
 で、僕は其の『確定版』に拠った。此の第一巻は、英訳の『糞虫』の一部と、『狩人蜂』の殆ど全部と、『左官蜂』の一部分がはいっている。

 一三年前に、僕は『科学の詩人』と題して、フアブルの短い評傳を書きかけたことがあった。ほんの書きかけだから、どこにも発表しはしなかつたが、次にそれを利用する。
 ──今僕はフアブルの『昆虫記』十巻の翻訳を思ひ立っている。
 ──実は四五年前からフアブルを読みたいと思つていたんだが、暫く獄中生活をしなかつたので、其のひまがなかった。去年の夏、ちょっと市谷の未決監にはいった時、神田に三才社と云うフランス書専門の本屋があるが、そこにフアブルの『昆虫の生活』(La vie des Insetes)や、『本能の不思議』(Merveilles de l'instinct chez les insectes)や、『昆虫の習性』(Moeurs des Insectes)なぞのあったのを思い出して、獄中から手紙を出して買わしにやったが、生憎く売り切れて一冊もなかった。
 ──其の後保釈で出て、其の年の暮に、いよいよ既決監にはいろうとする前の日、或る友人から金を貰って丸善に行った。そして、こんどは刑期も短いのだし、それに冬の寒い間でもあるのだから、なぐさみ半分に旅行記でも読んで来ようかと思って、そんな方面の本を探していた。クロポトキンの友人で、と云うよりむしろ先輩の、やはり無政府主義者で地理学者であった、エリゼ ルクルユの『新万国地理』第七巻『東部亜細亜』と云う大きな本が偶然見つかった。其の他にも、ダア井ンの『一博物学者の世界周遊記』だの、ウヲレスの『島の生物、動植物の世界的分布』なぞがあった。三ヶ月間、三畳敷ばかりの独房におしこめられながら、こんな本で世界中を遊び回るのも面白かろうと思っているうちに、偶然又、フアブルの『昆虫の生活』に出遭った。そして、こんな本を二十冊ばかり抱えて、中野の豊玉監獄へ行った。
 ──『昆虫の生活』は『昆虫記』十巻の中からの抜粋で、フアブルが最も苦心して研究したいろんな糞虫の生活が其の大部分を占めていた。
 ──糞虫と云うのは、一種の甲虫で、牛の糞や馬の糞や羊の糞などを食っているところから出た俗称だ。糞虫が、そう云った糞を丸めて握り拳大の団子を造って、それを土の中の自分の巣に持ち運ぶ、其の運び方の奇怪さ!又、一昼夜もかかって其の団子を貪り食って、食らう尻から尻へとそれを糞にして出して行く、其の徹底的な糞虫さ加減!そして又、やはり其の団子で、自分が死んだあとでの卵の餌食を造って置く、其の造りかたの巧妙さ!それにフアブルの観察や実験の仕方の実に手に入ったうまさ!描写の精密さ!文章の簡潔雄渾さ!読み始めると、とても面白くて、世界漫遊どころではない。とうとう、ほかの本はあと廻しにして、『バッタの生活』(The life of Grasshopper)や、『糞虫』(The Sacred-Beetles)や、『左官蜂』(The Mason-Wasps)や、『本能の不思議』(The Wonder of Instinct;Chapters in the Psychology of Insects)なぞを読み耽った。
 ──此の最後の『本能の不思議』のほかは、皆ロンドン動物学会会員アレキサンダア テキセエラ ド マトスの翻訳で、マトスにはまだ其のほかに、『蜘蛛の生活』(The Life of the Spider)や、『蝿の生活』(The Life of the Fly)や、『木苺蜂其の他』(Bramble-Bees and others)や、『狩人蜂』(The Hunting-Wasps)や、『毛虫の生活』(The Life of Caterpiller)などがある。『本能の不思議』はマトスとバアナアド マイアルの合訳だ。此のマイアルには猶、『昆虫の社会生活』(Social Life in the Insect world)の訳がある。その『不思議』と『社会生活』とは、いづれも『昆虫記』十巻からの抜粋で、仏文の『昆虫の生活』などと同様に、綺麗な絵入りになっている。

 ──このフアブルのことはかつて賀川豊彦君が、『ファブレの生存競争の研究』と題して、雑誌『科学と文芸』で紹介し、後それを其の論集『精神運動と社会運動』の中に収めた。又、同君の友人だと云う英義雄君が、『蜘蛛の生活』を翻訳して、洛陽堂から出版した。
 ──賀川君の紹介は、生存競争の否定を中心にした為に、十分フアブルの全体に亙ることが出来なかった。又、FabreをわざわざFabr'eと書いてフアブレと読ましたり、Souvenirs Entomologiquesをサベニーア エンテモロギーなぞと変な英語読みにしたところが、何でもない事のようではあるが、いやに気になった。が、ともかく賀川君はフアブルを此の日本の国に紹介した最初の人だ。英君も賀川君から其の話を聞いて読み出したのだそうだ。僕も賀川君には『昆虫の社会生活』を借りた恩がある。
 ──英君の翻訳は、誤訳の有無はどうか知らないが、随分まづいものだ。書いてある事柄の面白さで、しばらく引きずって行かれる程の、実に生硬極まる訳文だ。其のせいでもあろうか、惜しいことに余り読まれていないようだ。
 ──英文では、『科学の詩人フアブル』(Fabre,Poet of Science)と題したフランスのルグロ博士原著マイアル訳の評伝がある。又、『昆虫学者ジアン アンリイ フアブルの生涯』と題した、フランスのオオギユステン フアブル原著マイアル訳の評伝がある。
 ──フアブルとはどんな人か、と云う事を一言で云うには、フランスのいろんな批評家の言葉をそのまま持って来るのが、一番世話がない。

 ──アンリイ フアブルは、今文明世界が持っている至高至純の名誉の一つ、最も賢明な博物学者の一人、又近代的意味でのそして本当に正常な意味での最も霊妙な詩人の一人だ・・・
 それは私の生涯の中の最も深い欽仰の一つである。
 ──モオリス メエテルリンク──

 ──『昆虫記』は、久しい以前から、私を此の魅力ある、深い天才を親しませてくれた。私は此の本に、どれ程の、美しい時間を負っているか知れない・・・
 この大科学者は、哲学者のように考え、美術家のように見、そして詩人ように感じ且つ書く。
 ──エドモン ロスタン──

 ──彼の天才的な観察の燃えるような忍耐は、芸術の傑作品と同じように、私を狂喜させる。私はもう幾年か前から彼の本を愛読している。
 ──ロメン ロオラン──

 ──『昆虫記』は、最も下等な中にすら不可思議な力のある事を、吾々に示すものである。そして此の比類のない著者は、同時に又、物を知りたいと云う渇望、物を学びたいと云う熱情、即ち美が吾々に与えるのと同じ高尚な享楽と深い享楽とを、吾々に感じさせる。それは自然のバイブルだ。
 ──ジヨルジ ルグロ──

 ──又、ダァ井ンは嘗て、彼をただ一言、しかし千金の重みを以て、『此の比類ない観察者』(The incomparable observer)と激賞した。
 ──が、僕は『哲学者のように考え、美術家のように見、そして詩人ように感じ且つ書く」と云ったエドモン ロスタンの言葉が一番気に入った。

 僕が前に『科学の詩人』と題してかきかけたと云うのは、これっきりで尻きりとんぼになっている。
 フアブルの生涯は、彼が長い間文字通り一緒に生活した其の昆虫の記録の中に、即ち『昆虫記』の中に、あちこちに織りこまれている。彼は昆虫を語りながら同時に彼自身をも語らなければならない程、其の生活がお互いに入り混じっていたのだ。
 その生涯に就いては、僕はは又新しく『科学の詩人』と題して、近く単行本として発表したいと思っている。
 フアブルは又、此の『昆虫記』のほかにも、二十冊ばかりのごく平易で、そして面白い通俗科学の話を書いている。そして僕は今、いろんな人との共訳で、其の翻訳にとりかかっている。

 僕は今漸く此の一巻を翻訳し終わった。第二巻は本年中に終わりたい予定でいる。そして続いて猶第三巻第四巻と進んで行くつもりだ。旧版は十巻だったが、新版ではもう一巻ふえて、其の第十一巻には、ルグロ博士の手になる総索引と、フアブルの書簡集と、フアブルの伝記とがはいる筈だそうだ。
  一九二二年八月二二日
大杉 栄

以上が大杉の訳者序文で、殺される前年に書かれています。私達団塊世代には吉田喜重の「エロス+虐殺」を思い出す人もいるでしょう。音楽はオノ・ヨーコの前夫一柳慧が担当していました。確かに大杉は愛と革命に生きた人ですが、このような一面を持っていたことを過小評価してはならないと思っています。
いずれもっと完全な形で「青空文庫」に掲載したいと願っています。

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