
自宅の玄関脇に小部屋があって、階段下の空間に捨てるに捨てられなかった不用物が詰まっていました。先日、家内が整理にかかって昔の「週刊朝日」を2冊発掘しました。一冊は「美空ひばり追悼号」でもう一冊は1984年7月5日発行の増刊号です。題名は「おいしいね パソコン」、このコピーは前年に糸井重里が書いた「おいしい生活」も思い出させます。ページをめくると各社のパソコンの広告が今とはまるで違う事に驚かされます。まず裏表紙です。

NECは金八先生。

ゼロックスは野村監督。見開きのページは自宅のA4スキャナでははみ出すのでデジカメで撮影しました。

シャープはエースのジョー。

この頃から普及し始めたワープロ専用機。NECのイメージキャラクターは林真理子でした。

一番驚いたのはFDの広告に大島渚が登場したページでしょう。
広告で本体価格を見ると16ビットのCPUを積んだマシンの価格は30〜50万円です。荒利も多かったのでふんだんに広告制作費も使えたのでしょうが、パソコンが文房具になってしまった現在で考えられないキャスティングです。
この頃の技術、特にOSの状況が良く分かる動画がありました。
OSについて明確な記述があったのは富士通の9450兇世韻如CP/M86です。日本版「Alto」として計画されたNECのPC-100の広告は掲載されていませんでした。筋の良い製品が9801に潰されて、日本のPCのガラパゴス化が始まったのがこの頃です。
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NECは金八先生。

ゼロックスは野村監督。見開きのページは自宅のA4スキャナでははみ出すのでデジカメで撮影しました。

シャープはエースのジョー。

この頃から普及し始めたワープロ専用機。NECのイメージキャラクターは林真理子でした。

一番驚いたのはFDの広告に大島渚が登場したページでしょう。
広告で本体価格を見ると16ビットのCPUを積んだマシンの価格は30〜50万円です。荒利も多かったのでふんだんに広告制作費も使えたのでしょうが、パソコンが文房具になってしまった現在で考えられないキャスティングです。
この頃の技術、特にOSの状況が良く分かる動画がありました。
OSについて明確な記述があったのは富士通の9450兇世韻如CP/M86です。日本版「Alto」として計画されたNECのPC-100の広告は掲載されていませんでした。筋の良い製品が9801に潰されて、日本のPCのガラパゴス化が始まったのがこの頃です。
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その中から、今から35年以上前に、私が最初に配属された地方工場のコンピューター室の資料が出てきました。
広い部屋いっぱいだったコンピューターのメインメモリーが32Kバイト。月のレンタル料が2百万円、パンチャー室には10人以上の女性・・・週刊朝日の特集号同様、こういう資料はなかなか捨てられないものですね。
ところで、1984年当時のパソコンのメモリーやハードディスクのサイズはどのぐらいのものだったのでしょうか?
「週刊朝日」という週刊誌の性質から詳しいスペックは掲載されていませんが、ある程度のことは書いてあります。当時の機種について「ボーナス活用パソコンワープロ新機種ガイド」がありました。また「お絵描きパソコン」=MACも登場しています。まとめて別立てのきじしますね。
少し前、昔のPCのカタログもあったのですが、全部処分してしまいました。資料として保管すべきだったです。
1984年頃のパソコンのスペックがわかるページを見つけました。この頃のMS-DOSは5インチで2HDというデータ密度のフロッピーに入っていて、フロッピーからDOSを起動していたのですね。外付けハードディスクは一般人が買える値段のものはなかったと思います。1987年に20MBの外付けハードディスクが40万円くらいしていたのを思い出しました。
パソコンの歴史(1984年)
http://www.eonet.ne.jp/~building-pc/pc/pc1984.htm
271828さん
先日見せていただいた雑誌ですね!
教えて頂いた「超高層ビルとパソコンの歴史」
http://www.eonet.ne.jp/~building-pc/
を眺めていると、昔の思い出が蘇ります。週刊朝日と違ってスペックが良く分かります。
週刊朝日からは違った方面の記事を紹介いたしましょう。