三酔人の独り言

ルポライター・星徹のブログです。歴史認識と国内政治に関わる問題を中心に。他のテーマについても。

安倍改造内閣と権力の魔力

2017-08-05 23:31:30 | 国内政治
 陸上自衛隊の日報隠蔽問題や森友・加計問題などが国民多数の不信感を強め、安倍晋三内閣の支持率は急落した。このこともあり、安倍首相は2017.8.3、内閣と自民党役員人事の改造を行なった。さして新鮮味もサプライズもなかったようだが,安倍首相と少し距離を取る自民党の野田聖子衆議が総務大臣に、河野太郎衆議が外務大臣に入閣したことが、安倍内閣へのイメージ向上に貢献したようだ。改造前にテレビのコメンテーターや評論家の何人かは、「自衛隊の日報隠蔽問題や森友・加計問題などの疑惑解明が一向に進まない中で内閣改造を行なっても、内閣支持率はあまり上がらないだろう」といった趣旨のコメントをしていた(*記憶によるので正確ではない)。

 しかし、共同通信社が2017.8.3-4に実施した全国緊急電話世論調査によると、以下のとおり。
  *「東京新聞」2017.8.5朝刊参照
  *質問文は趣旨。(   )内は、前回7月調査からの増減。

■「改造された安倍晋三内閣を支持するか」
 →「支持する」 44.4%(8.6ポイント上昇)
  「支持しない」 43.2%(9.9ポイント下落)

■「今回の内閣改造と自民党役員人事を評価するか」
 →「評価する」 45.5%
  「評価しない」39.6%

■政党支持率
 「自民党」 39.0%(7.1ポイント上昇) 
 「民進党」 7.3%(0.9ポイント下落)
  *他省略

 (私がテレビで見聞きした限りでの)コメンテーター・評論家諸氏は、国民・有権者を買いかぶり過ぎたようだ。人は誰でも「物事を理性的に捉える」面と「感情・感性として捉える」面を併せ持つが、「国民の総体」として見た場合、私たちが考える以上に「感情・感性」面の方がかなり勝(まさ)っているのではないか。
当ブログ2014.9.5「「日本の開化」観 漱石、丸山眞男、そして現在」参照

 安倍首相は、これまでの自身の感情的・挑発的な姿勢を「反省する」と神妙に言い、一時的に低姿勢を演じているようだ。このことも内閣支持率アップに結びついているのかもしれない。しかし、「反省する」姿勢など誰でも「タダ」で示せるのであり、それを実際の行動・実績で示さなければ「ゼロ回答」と同じことだ。そういった論理的思考をせずに、感情論に流されてすぐに許してしまうところは、日本の人々の「悪しき伝統」と言えるのではないか。

 そんな思いで新聞記事を読んでいたら、以下(1)(2)が印象に残った。

(1)「朝日新聞」2017.8.4朝刊【考/論】「白井聡・京都精華大学専任講師(政治学)「政権維持へ「目くらまし」」
 *以下は重要部分のみ要約
①陸上自衛隊の日報隠蔽問題も森友・加計問題も解明されない中での内閣改造だ。政権維持が目的であり、目くらましだ。
②改造人事をいち早く報じようとするメディアは、首相官邸が演出した「見せ物」を盛り上げた。
③党内「非主流派」とされる野田聖子氏と河野太郎氏の入閣によって政権にバランスがもたらされる、との報道もあるが、ある問題が深刻化すると別の見せ物でごまかす安倍政権お得意の政治手法を助けている。

(2)「東京新聞」「中日新聞」2017.8.4「社説」の最後の部分
〈しかし、いくら内閣改造で体制を一新したからといって、憲法や民主主義の手続きを軽んじる政治姿勢を改めない限り、国民の信頼回復は望めまい。
 「共謀罪」法の成立強行を挙げるまでもなく、「安倍一強」の鎧(よろい)の下にあった憲法や民主的手続きを軽視・無視する強権的手法を国民が見抜いたからこそ、支持率が落ちた事実を注視すべきだろう。
 憲法改正論議自体は否定しないが、国民から遊離した拙速な議論は避けるべきだ。現行憲法を蔑ろにする政治の継続はもちろん、許されてはならない。内閣改造を機に、あらためて指摘したい。〉

            《(1)(2)の要約・引用終わり》

【(1)について考えたこと】
 白井聡氏は、空気を読まずに権力に対して批判的な本質論を吐き出すことが多い(*現在のところ)。今回もそうだ。私はそういったところを高く評価する。「人生の目的をどこに置くか」という本質的観点を重視すれば、彼のようなあり方は自然なものに見えてくるが、こういった学者はそう多くない。残念なことだ。

 安倍政治によるこの「見せ物」とは、カール=マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』を想定して書いたものだろう(*当ブログ2015.8.30「1度目は茶番として、2度目は悲劇か?」参照)。権力者によるこういった「見せ物」「茶番」といった類は、世界中でこれまで嫌になるくらい繰り返され、嫌になるくらい多くの人が騙されてきたはずだ。「騙された」という認識さえないままに。こういった歴史から学ぶ知性を多くの人が持つか否か。そこが分かれ目だ。ここにも、「人間の進歩とは何か」を考える素材があるように思う。

 今回の内閣改造で入閣した野田聖子氏と河野太郎氏も、自民党内でけっこう批判的な言動を繰り返してきた。一般論で言えば、国会議員はより大きな政治権力を得ることで、自身の政治理念を実現する可能性を高めようとする。だから、「今は組織(党など)に不満があっても、ここは暫く我慢して地位を高め、いずれ自分の理念実現の機会に備えよう」と考えることは、「理にかなっている」場合も十分にありうる。ただ、「私は地位を得るのが目的ではなく、それは手段に過ぎない」と言い続けることによって、自身の真の目的である「地位を得ること」「出世すること」を内外(*「内」=自分自身)に封印するといった「隠れ蓑」にもなりうる。こういった構造は、企業や役所の労働者などについても言えることだろう。

 しかし、「内閣の一員になる」こと(①)は、国会議員が政党に所属すること(②)や労働者が企業や役所に勤務すること(③)とは、根本的に異なるはずだ。

 ①は、行政の中核にコミットし、首相の政治方針に基づき行政を遂行することを意味する。もし首相の政治方針に従わなければ、職を辞するのが基本だ(*その点、戦前日本の内閣とは構造的に異なる)。だから、「安倍内閣への入閣」は、安倍内閣のこれまでの行政全般を肯定し、これからもその路線で行政を遂行することを意味する。具体的には、「憲法9条の解釈変更」と安全保障関連法の制定(2015年)も肯定し、特定秘密保護法制定や「共謀罪」制定も肯定し、この政治路線に沿って今後も進んで行く、ということを意味する。これは、②や③とは異なる点だ。

*②と③も異なる。②は国民の代表となった人が国会で意思表示するのであり、所属政党の決定に従わなければならないことも多いはずだ。

 以上のことから私は、野田氏や河野氏が「入閣した」ことは「安倍政治と一体化した」ことと「ほぼ等価」と捉える。「内閣の内側から改革する」といった抗弁が聞こえてきそうだが、そんなことは、この①という枠内では、全く信用できない。多くの自称「改革者」は、そうやって批判対象に徐々に取り込まれていくことになる。「批判し、改革する」気があるならば、閣外からする以外にないと思うのだ。

 そもそも、将来のいつの日にか野田聖子首相や河野太郎首相が誕生したとしても、日本の政治がさほど改善されるとは思えない。基本的に変わらない、と思うのだ。なぜなら、憲法破壊を推し進める安倍内閣を支え、その路線を歩むことで政治権力を確かなものにした上での「首相就任」となるからだ。野田氏や河野氏にとっては、「首相」という肩書と名誉が得られるので、嬉しいことだろうが。

【(2)について考えたこと】
 この社説の最後の部分は、「そもそも論」として非常に重要だ。だが、どういうわけか、多くのメディアはそのことをあまり言わない(書かない)。「東京新聞」はこの本質論をしつこく言い続けている。非常に重要なことだ。

 この面から見れば、上記(1)でも述べた野田・河野両氏の入閣は、安倍晋三内閣による憲法破壊・立憲主義無視に基づくこれまでの実績を肯定し、これからもこの路線を歩むという意思表示をしたことになる。つまり、野田氏にしても河野氏にしても、日本の立憲民主主義に関する認識が希薄でありる、と言わざるを得ないのだ。
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