アルケの絵日記

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第19回村岡ダブルフルウルトラマラン鎮魂記(後半)

2016-10-03 21:00:00 | A> マラソン関連

 
13:40 64.9km
第3関門 第18エイド・蘇武小城

蘇武岳から標高400を下ったのに、貯金が20分に減っています。ただ、このエイドには3週連続(高野龍神、丹後、そして村岡)100キロウルトラ参戦という超変態ランナーさんが先に、そして少し遅れて過去11回の村岡完走ランナーさんがやってきており、決して楽観できるタイムではないのですが、なんとなく心強い気がします。ひょっとしてもしかして完走できるのではと期待を膨らませていたのです。

このエイドに到着する直前、激しい通り雨が降ったのですが、ルンルンな気分のため気持ちがよかったくらいです。^^;

このエイドを3週連続さんと一緒に経ちました。下り坂を1キロほどおしゃべりランして、登りにさしかかったところでお先にどうぞと僕は歩き始め彼の背中を見送りました。またまた150mほどの登りです。無理は禁物。

しかし好事魔多し。事件は標高差150メートルの若佐父峠まであと少しのところで起きました。

見通しの悪いつづら折りの坂道をほとんど歩きながら登っていると、頭上からなんだか騒がしい人の声がします。やっとこさエイドかなあと思ってカーブを曲がると前方に女性ランナーが仰向けになっていました。エイドではありませんでした。 彼女の右脚には青いウエアーの男性ランナーがしゃがんで彼女の足首を曲げています。脚が攣ったのだなあ。女性は悶絶しています。ま、死ぬようなことではないし、2人で対応しても仕方がありません。ちょっとだけ様子をうかがってからすぐに立ち去ろう思いました。ところがなんとなんとです、青いウエアーさんが両脚みたいですと。左脚も攣っていたのです。あちゃ~! 良きサマリア人なんて思い出したくもない言葉を思い出して、僕は左脚の担当となりました。

それでも、すぐに治まるだろうとのたかをくくっていたのですが、予想に反してなかなか治まりません。下腿だけでなく、大腿までがガチガチです。時間が時間が・・・。あせります。 40代くらいの小柄で痩せた女性でした。ゼッケンを見ると、自筆の名前を書く蘭にはウルトラおばさんと書いてありました。これまでいろんな大会を走って来たんだろうなあと思った瞬間、脚が攣ったくらい自分で対処しろよなと内心毒づいてしまいました。人間ができていません。^^;

しばらくして、数人のランナーが一団でやってきました。一応皆さん立ち止ってくれました。どなたか携帯を持っている人いますか、と聞くと、連絡先はどこだ、となって、それよりなにより、圏外です!、だと。 1人からは芍薬甘草湯があるけどと言われたので、とりあえずもらいました。即効性はないだろうし、だいいち飲めそうにないわなあ・・・。とにかく、次のエイドまで行ってスタッフに連絡をお願いしました。何分かかることやら・・・。その後、次々にランナーがやってきては、こちらをちらっと見やって通り過ぎて行きます。11回完走さんも、どうしたの、と声をかけてくれたものの立ち止まらずに走り去っていきます。誰か変わってくれないかなあ・・・。

あ~、終わったか。心を落ち鎮めようと思っていたところ、救護班のワンボックスカーがやってきました。脱落者を拾って次の関門まで運んでいるようでした。係員が車から出て来ました。近づくやら塩分が足りないんだと塩を渡そうとしました。でも、車は満員で乗れないと。しばらく待ってくれと言われたので、こっちは20分以上こうしているんだ(実際は後で時計を確認すると10分ちょっとくらい。すごく長く感じていました)と思わず言ってしまいました。僕の声に怒気を含んでいたのでしょうね~、それとも女性が車に乗せて下さいと哀願したためでしょうかねえ、なんとか無理やりその女性を車に押し込むことに成功しました。ちょうその直前ですが、彼女の脚の筋肉が柔らかくなるのを感じました。

やれやれ・・・、というわけにはいきません。関門時間が~~。

 
14:24 68.2km 第19エイド・和佐父峠

第3関門から第19エイドまでの3.3kmを進むのに44分もかかっています。疲れた頭では計算できませんでしたが、ちんたら走っていたら確実に第5関門でタイムオーバーになるだろうことだけはわかりました。まじ、やばい。

こんなところでスパートするようでは先がないのですが、とにもかくにも関門を通過しなければ先がありません。下りが苦手なんて言ってられません。

 

 

 

14:57 77.8km
第4関門 第20エイド・射添

和佐父峠から第4関門までの4.1km・標高差500mを33分で駆け下りています。関門を制限時間のなんとか2分前に到着できました。

ここから第五関門(91.2km)を通過するには、標高差350メートルを上って下る17.9kmをキロ8分22秒で走らなければいけない計算だったので、第4関門をギリギリの通過では第五関門通過は僕の走力ではほぼ無理だろうことは、スタートする前から解っていました。でも、この段階では戦意だけは残っていました。

第五関門の制限時間の10分後以内に到着するぞ。そうすれば、悶絶ウルトラおばさんのアクシデントさえなければ完走できたのだと言い訳ができると思ったからです。 それに、もし奇跡的に第五関門を通過できれば、ゴールまでの8.8kmをキロ10分13秒で走ればよい計算だったので、最後にまたまた200mの標高差の登り降りはあるものの、火事場の馬鹿力でなんとかなるかもしれないと淡い期待をまだ抱いていたのです。

前日の天気予報では曇り、午後から小雨でした。でも予報は大外れ、午前中は日に焼けるほど暑くなり、第三関門あたりからは一転して時折強い雨が降いました。第四関門でデポジットを受け取って、男子の特権で素早くその場でウエアーを着替え、サングラスを普通のメガネに変えました。 気持ちを新たにリスタートです。

 
長楽寺
以下、画像なし。

第四関門を出てすぐに、この村岡ダブルフル売りの一つになっている長楽寺があります。このお寺では参拝者におはぎが振る舞われるのですが、お寺の中の大仏さんの周りををぐるっと一回りすると、ランナーにもおはぎを勧められます。残念ながらとても食べている余裕はなく、時間がないので断って、スルー。 しかし、食べておくんだったなあ・・・。

再び上り坂になると、とても走れる坂ではありません。青いウエアーさんに追いつかれました。次の関門はとても無理そうですね、なんて会話をしました。彼はまだあきらめていないようでした。すぐに彼の姿は小さくなり見えなくなりました。たぶん、66kmか88kmの部のランナーかなあ、女性2人が楽しそうにおしゃべりをしながら歩いて僕を追い抜いていきます。あ~~~。

ちなみに、長楽寺を過ぎてしばらくして、今度は男性ランナーがうめき声を上げて仰向けになっていました。この方も足が攣ってしまっていたようでした。彼の側には、ランナー1人とバイクで巡回している救護班の方とがいました。アキレス腱を伸ばすこともなく、ただそばにいただけのように見えましたが、スルーしました。

80キロ手前、しばらく止んでいた雨がひどく降り始めました。雷鳴さえ轟いてきました。これで完全に戦意喪失。80キロを11時間21分で通過。さらに少し上って頂上、第22エイド(81.1km)にトボトボと濡れ鼠となって到着。

僕の目の前でランナーの一人が係員にリタイヤを宣言しました。で僕は、ここに収容車は来るんですか、と尋ねたところ後一人なら車に乗れるとの返事。そこで、思わず僕もお願いします、と言ってしまいました。脚がダメになってからの急な下り坂は泣きたくなります。雨の中、僕には気力は残っていませんでした。このエイドを後にするランナーの背中をぼんやりと眺めながら、雨に濡れながらゆっくりとカレーを頂きました。次のエイドではお好み焼きが振る舞われるのだがなあ・・・。

リタイヤ組3人、第五関門(91.2km)まで乗用車にで乗っけてもらいました。そこで収容バスに乗り込むと、発車を待つバスの窓からはちょうど第五関門の電光表示板が見えていました。次々にランナーが駆け込んできます。途中で僕と前後して走っていたランナーが何人も飛び込んできます。なんだか寂しい気持ちになりますね。彼らと一緒に頑張っていたはずなのに。ま、初めてではないのですが、やはりなんとも言えないうら悲しい気持ちです。 午後5時30分、第五関門が閉鎖されます。わずかに遅れたランナーが走ることを制止され途方に暮れます。同時に収容バスは動き始めます。スタート地点に戻る途中で、車窓から遠くに走るナンナーの姿が小さく見えました。関門時間はとっくに過ぎているのに。僕はバスに揺られています。なんだか、なさけない気持ちでいっぱいになりました。

冷静に分析すると、悶絶ウルトラおばさんのことがなくても村岡の完走は無理だったと思います。6月にサロマを走って以来ロングの練習を全くやっていませんでした。チェックしてみると、一度に20キロ以上の距離を走ったのは、7月にトレミで20キロを1回走っただけでした。これでウルトラを完走しようなんて、さすがに甘い。

さてと、来年どうしようかなあ。

100kmの部は完走率は55.1%と19回の歴史の中で過去最低だったようです。ことを知って、少しは気も晴れました。


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