数日後、私は森村先生宅を訪れた。玄関のドアは奥さんが開けたが、その後ろに先生の笑顔が確認できた。
「こんにちは」
「よくやったね、さおり」
先生の感情は忙しく、今度は涙を堪えていた。家の中に入ると、下宿していた頃のリビングの椅子に、違和感なく腰掛けた。奥さんがケーキと紅茶を運んできてくれた。
まさか、さおりが麻衣ちゃんに勝つなんて思ってもみなかったよ」
先生は目を細め、私の実家から送られてきたお茶をすすった。
「私も無欲で、麻衣さんにぶつかっていったら、1局、2局と連勝して。でもそこから、勝ちを意識して、3、4局は連敗。それで最終局はまた開き直って、運よく勝てた感じです」
「よく最後で開き直れたもんだ。大変な成長だ」
「ありがとうございます。あの、先生に聞きたいんですが」
「うん、何かね?」
「最終局の終盤、もう勝負は決まってるのに、麻衣さんがなかなか投げようとしなかったのは、何故ですかね?」
「ううん。そりゃ、麻衣ちゃんだって負けたくなかったからじゃないか?10歳も年下の小娘に」
「それだけですか?」
「うん。あの子ほど負けず嫌いの女流棋士も珍しいよ。さおりと双璧だ」
「私は認めますけど、麻衣さんはそんなに負けず嫌いでしょうか?」
いまひとつ先生の推理には納得がいかない。
「俺はあの子をもう20年も見てるんだから間違いないよ。さおりと同じぐらいの年の頃までは、結構、態度に表してたんだよ。でもねえ、そこがおじさんには可愛かったけど」
「当時のことは知りませんが、今も変わらないんでしょうか?私には凄く品のある人にしか思えませんけど」
「まあ、それは地位が人を作るっていうだろ。でも、勝負師としての中身は変わってなかったと思うよ」
そして先生は最後にぽつりと言った。
「10歳でさおりを弟子にした時、いつか、麻衣ちゃんを負かすような日が来ればと、夢を見ていた。君はほんとに才能があったから。それでも夢で終わると思ってたんだよ」
涙声だった。
それから1週間後、女流棋界に衝撃が走った。麻衣さんが引退を発表したのだ。
「こんにちは」
「よくやったね、さおり」
先生の感情は忙しく、今度は涙を堪えていた。家の中に入ると、下宿していた頃のリビングの椅子に、違和感なく腰掛けた。奥さんがケーキと紅茶を運んできてくれた。
まさか、さおりが麻衣ちゃんに勝つなんて思ってもみなかったよ」
先生は目を細め、私の実家から送られてきたお茶をすすった。
「私も無欲で、麻衣さんにぶつかっていったら、1局、2局と連勝して。でもそこから、勝ちを意識して、3、4局は連敗。それで最終局はまた開き直って、運よく勝てた感じです」
「よく最後で開き直れたもんだ。大変な成長だ」
「ありがとうございます。あの、先生に聞きたいんですが」
「うん、何かね?」
「最終局の終盤、もう勝負は決まってるのに、麻衣さんがなかなか投げようとしなかったのは、何故ですかね?」
「ううん。そりゃ、麻衣ちゃんだって負けたくなかったからじゃないか?10歳も年下の小娘に」
「それだけですか?」
「うん。あの子ほど負けず嫌いの女流棋士も珍しいよ。さおりと双璧だ」
「私は認めますけど、麻衣さんはそんなに負けず嫌いでしょうか?」
いまひとつ先生の推理には納得がいかない。
「俺はあの子をもう20年も見てるんだから間違いないよ。さおりと同じぐらいの年の頃までは、結構、態度に表してたんだよ。でもねえ、そこがおじさんには可愛かったけど」
「当時のことは知りませんが、今も変わらないんでしょうか?私には凄く品のある人にしか思えませんけど」
「まあ、それは地位が人を作るっていうだろ。でも、勝負師としての中身は変わってなかったと思うよ」
そして先生は最後にぽつりと言った。
「10歳でさおりを弟子にした時、いつか、麻衣ちゃんを負かすような日が来ればと、夢を見ていた。君はほんとに才能があったから。それでも夢で終わると思ってたんだよ」
涙声だった。
それから1週間後、女流棋界に衝撃が走った。麻衣さんが引退を発表したのだ。