なぜ空は青い?

思いつくままに記載します。

共謀罪が可決されますと

2017年05月19日 13時38分08秒 | Weblog
民主主義の主役は国民になりますが、それは日本国憲法の第一条に謳われている国民主権により明らかで、国の将来を決めるのは国民であると規定されています。しかし昨今の国会答弁を聞いていますと、何もわからないかのような大臣が政府高官の述べる、およそ国民主権とは程遠い答弁と明らかに矛盾する説明を疑問を持たずに受け入れ、国民が選んだ政治家はまるで子供の発言のごとく無視されています。

政治家は国民により選ばれているので、国民の顔を立てて、国民が受け入れやすい答弁をしていますが、政府高官はそのようなことには頓着せず、意見を述べており、その答弁に対して多くの政治家が無言でやり過ごしているという光景はなにか恐ろしさを感じるところでもあります。昔軍部が暴走し、今は政府が暴走しているといってよいかもしれません。

今や育ち始めた民主主義が反民主的勢力により骨抜きとなり非民主的な国家に成り下がろうとしています。また若い人たちは戦後の民主主義の恩恵をそのまま当然のこととして受け入れていますが、当然と見做すこと自体が実は非常に危険な兆候だということに気づいてもらいたいものです。民主主義においては一人一人はまるで力のない民衆ですが、彼らが集まることにより、力を得て、その意見が認められたり、国家の運営に反映されたりするのが民主主義の成果だとおもいます。しかし政府はこのように人が集まって相談することを恐れているかのようで、今後は集団でなにか協議することが憚られる時代になるかもしれません。

民主主義の後退は人々が不幸になり、自由が亡くなり、ものが言えなくなるだけではなく、本音が言えなくなりますので、人々は黙るか、嘘をつくようになり、個人の資質が問われる正義は後退し、個人の希望は踏みにじられ、個人の目標は国家の目標の前に無視され、単に恐怖や疑い故に見せかけの愛国心を振りまき、気づいたときはすでに遅く、身動きできない状況下で戦争を起こし、あるいは自国のみの判断で世界の嫌われ者なってゆくように思えます。

日本国憲法は人々が幸福を追求する権利、自由に考え、意見を述べる自由を与えています。素晴らしいと思いますが、このような憲法も国民がそれを理解して行動してゆくことで初めて意味を持ってきます。国民が団結して行動する必要が今あるように思います。しかしこのように述べることが今後犯罪と見做されるということになりますと、黙らざるを得ないということになります。恐ろしい時代になったものだとおもいます。

今日の国会の答弁として、人が公共の水道に薬物を入れて人を殺害しようとしている時でさえ、警察は行動することが出来ないので、共謀罪が必要だという論法ですが、ある人がナイフで殺されようとしている時それを阻止できないと述べていることと同じであり詭弁としか聞こえません。共謀罪の成立を目指しているのは国民に対して警察や国家は自由に捜査の手を伸ばしても犯罪にならないことにするための法律だということが解ります。国家の自由が少し手も拡大されますと、法律により人の命を取ることも可能であり、人を戦場に送ることも可能な国にさらに強大な力を与え、国民から多くの自由を奪うことになります。



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