とある詩人の住まう星

あなたの中で一つでも響く言葉や文章がありますように。

「読書治療」

2016-12-31 14:33:27 | ショートショート
 今日、通院の日の天気は晴れだった。駅から病院まではバスが1時間に2本くらいしか出ていない。お客さんも少ない。私の精神科の予約は午前11:20だ。この時間はもう2年くらい変わっていない。でも、その時間に着いても、待たないで診察をしてくれるわけではない。いつも11:30から12:00前に呼ばれる。声がかかるまで、ソファーに座って周りを見回したり、手帳に今日先生に言うことをまとめたりして時間を潰している。たまに、自分と同じ、入院中の精神障害者がお小遣いをもらいに、カウンターのレジ前に来て、今月使えるお金を確認したりしていた。そうするとほどなくして「さいとうさん」と呼ばれる。いつもの主治医がいつもの声で。私はその主治医に「おはようございます。今日もよろしくお願いします」と告げ、診察が始まる。「どうですか、変わったところは?」と主治医は大体そんな調子で言うのだ。私はさっき手帳にまとめたことを言う。実際、変わったところと言えば、仕事を始めて睡眠時間が1時間短くなった程度だ。でも主治医は穏やかな表情を崩して、「それはいけませんねー。」と言った。でも、睡眠時間が9時間から8時間になったことくらいで、主治医がそんな態度を見せたことは私にはとても驚きだった。それで、次に主治医は何を言うのかと待っていると、「今回、投薬じゃなくて、新しい治療法を試したいと思っているのだけど、それに同意してくれるかな?」と、主治医は言う。「いや、先生、内容もわからずにそんなの同意できませんよ。」と私が言う。「分かってる、分かってる。内容はこれから説明するから。」主治医はいつもの感じを取り戻していた。「投薬は今後も続けて、症状に有効とされる本を処方しようと考えているんだよ。」私は主治医の言葉に集中した。「本を読んだ時に使う想像力が治療に有効だと先週行った学会で発表されていたんだ。だから、今回君に試してもらいたいんだよ。理系だった君はそう言うのは好きだろう?一緒に協力してもらいたんだ。」と主治医は言った。それが本当だったら、私の病気が治るんだったら、本を読んでみたいと思った。「それで、先生、私に何の本を処方してくれるんでしょうか?」と言うと、「まずは宮沢賢治から始めたいと思ってね。彼の作品はとてもユニークだからね。君は本をよく読むかい?」「私は本は嫌いなんです。」と私は答えた。「じゃあ、なおもってこいの本だよ。今回は宮沢賢治の『セロひきのゴーシュ』にしてみよう。」と、先生が言い、処方せんの終わりの所に、「セロひきのゴーシュ」と書いていた。「これを薬局まで持っていってください。じゃあ、次回は4週後のこの日にちでいいね。」

 処方せんを持って、いつもの薬局に行き、薬剤師に処方せんを渡した。薬剤師が一旦困った顔をしたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。「さいとうさん、あの病院で処方される本は近くの図書館から借りくるから、10分くらい時間がかかるけど、その間はそこのコーヒーでも飲んでいてよ。それでいいかな?」私は「ああ、いいですよ」とだけ答え、「ねえ、先生、本なんかで精神科の病気が治るんですか?効果はあるんですか?」など、薬剤師に質問ぜめをした。薬剤師は笑顔を崩さず、「今、巷で話題になっているんだよ。もしかすると、そのうち薬が入らなくなる時代が来るとも言われているんだ。ちょっと前のクローズアップ現代でやっていたのを見ていなかったかい?」と、薬剤師が聞くので「最近は、テレビは見ないんです。」と答えた。そうこうしているうちに図書館から本が届いた。「本は2冊あるんだけど、一冊は絵本で、もう一冊は小説になっている。でも、この治療法では、想像力を使うことが目的だから、今回は小説をお勧めするよ。」と薬剤師は言うが、「僕は本が嫌いなんです。それでも、この本を最後まで読まなければいけないんですか?」と言うと、「それならなおのこと君にベストだよ。読んで行くうちに、君の中で固まっていたものが溶けて行くよ。そうだなー、この本は1日に朝夕2回、食後30分以降に好きなだけ読んでいいよ。もし次の通院の時までに読み終えてしまったら、それはそれでいいからね。2回読んでもいいけど。」と、本が手渡され、私の読書治療が始まった。
ジャンル:
小説
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