私のタイムトラベル

ある家の物語・白鷺家の人々
― 道理を破る法あれど法を破る道理なし ―

あるファイナンシャルプランナーの言葉

2017年05月25日 | 2. 闘争編

1985年当時、家を建てるにあたって母は桃の木町から週に2、3回定期的に父の実家(ナシの木町)に通った。

祖母・松子さんから言いつかった仕事はいつも山ほどあったらしい。カーテンづくり。年代物不用品の片づけ。

家の裏の畑の土運び(バケツ180杯分!)にチューリップの球根植え300個などなど。

私も弟のカイトと一緒に、工事が始まるまでに、まずは雨戸の汚れを落としておきたいとの松子さんの要望で、

日曜日には、一生懸命に雨戸を洗ったことを覚えている。

 

「お義母さん、わたしはおかあさんとずっと住むものだと思って いままで暮らしてきたんですよ」 

母が家建設の頃の話をいろいろ話しても、鎧をかぶった松子さんの心に当時の感情をふぃっと呼び戻す

ということはなかった。

 「わたしもそう思てましたんや・・・」  それっきりで、

「ユキさん、昔のこと よう覚えたはりますな。感心やな。わたしは遠いことは みな忘れてしもた」

と松子さんは決してそのことに触れようとはしなかったのである。

 

しかし、松子さんが作ってくれたアルバムには残っている。

家の基礎工事から完成までの様子が、その時々の皆の楽しそうな笑顔とともに。

こわされた裏庭の側溝を手を組んで歩く祖父と祖母。 棟上げ式の日の父や母と松子さん。そして大工さんたち。

建設中の建物のなかで嬉しそうな顔をして笑っている私と弟。

この家の設計は狭い限られたスペースの中で、少しでも広く快適に過ごせるようにと

たくさんの建築雑誌を参考に母がいろいろなところに工夫を凝らして作った。

 

そんなプロセスを経て出来上った我が家を更地にする!

祖父母の了解を得て合意の元に建てた家。

そして父のきょうだいが皆、祝福してくれた家!!

 

我が家のトラブルを聞いた母の友人・知人は驚いた。

「それってないでしょう!」

「親子で呼んだ、呼ばないってそのこと自体が問題よ」

もっともこうアドバイスした隣人もいた。

「あなた、今の民法ではそういうものよ。わたしの友達もね、ご主人の一回忌の法事が終わった途端、

 問題が持ち上がったって。それにね、どんなに家に尽くしたからってお嫁さんには何の権利もないからね」

 

いきさつからしてまったく納得のいかなかった両親は、法律相談に出かけ、また、ファイナンシャルプラナーに

どれくらいのお金があればこれからの生活がやっていけるかを相談した。

しかしながら、これらの相談で両親が良い方策を得ることは、なにもなかった。

自分たちにとっての得策を考えるには、その理不尽さによる怒りの感情の方がはるかに勝っていたからだ。

 

いくぶん年配の温厚そうな、あるファイナンシャルプラナーは、

親の面倒は子供全員で見ると新憲法には書いてある“  という竹子伯母の言葉に対しこう訂正した。

 

「親の面倒は子供全員で見るなどと、新憲法にはそんなこと書いていません。 

それは民法です。それに平等、平等と言いますが、財産はどう分けてもいいんです。 

遺産分割は、1対1でも2対3対でも0対10でもいい。要は身内で仲良くやって下さいと

いうことなんです。相続が争族にならないように」

 


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