私のタイムトラベル

ある家の物語・白鷺家の人々
― 道理を破る法あれど法を破る道理なし ―

祖母・松子さんの入院

2017年08月05日 | 2. 闘争編

2008年8月28日 木曜日、祖母・松子さん、K大病院入院。

竹子伯母、倖雄オジサンが付き添い、入院、手術の手続き、その他を済ませた。

病名は硬膜下血腫

29日手術。午前9時半より昼12時過ぎ終了。竹子伯母と両親が付き添った。

手術が終わると前夜から付き添っていた竹子伯母が帰り、母が代わった。


うつらうつらしていた松子さんが母を認めて言った。

  「あ、ユキさん、すんまへんなあ。来てくれはったん?」

そして病室の窓から見える前の建物を見て

  「あれ、なんやろ、窓ばっかりや。団地どすか? ほんで、あんた、いま、どこに住んだはるのかいな?」

  「私はお義母さんと一緒。ナシの木町ですよ」

  「へぇー、団地の二階にすんだはるの?」

目を覚ますなりこんな言葉を口にするなんて!

松子さんは私たちに対する負い目を心の隅っこに持ち続けていたのだろうか。

私達の家と私達の行く末を気にしていたのだろうか。

   「団地の二階じゃなくってね、ナシの木町のおうちの二階に住んでますよ」

母はそういいながら松子さんの口のなかや唇をなんどか綿棒で拭き、水分で潤した。


経過は順調で1時間ごとの体温・血圧測定の他、握力測定があった。

 ぐっと握れない松子さんを見ながら主治医のM先生が「実の娘さんですか?」と母に尋ねる。

えっ!? ふたりはまったく似ていないんだけどな・・ 

鼻の尖ったのと鼻の丸いのと、こんな親子いないでしょ・・・ 


7時ごろ仕事を終えて病室に来た父と交代。今夜は父が病院に泊まる。

翌朝、母は朝8時ごろ病院へ行き、父と交代した。

 

夜、興奮した松子さんはベッドから降りて電気コネクターを外そうとしたり、頭につけているチューブを抜いたり、

明け方4時半ころまで不安定で大変だったという。

 

竹子伯母との連携プレーが不能のため、何かと用意不十分ということで清拭の時看護師から注意される。

院内にて必需品を買い揃え、やってきた伯母と交代。

 

 「えらいですねぇ、こんな年でなんでもぜんぶひとりでやってられるんですって? 食事も洗濯も掃除も?

  90過ぎたはるんでしょ。すごいですね」 

病室ではこんな言葉を看護師や介護士が松子さんに言っている。

病院に行くたびに聞くそうした言葉の数々は、長い闘争でくたびれきった母の神経に相当こたえた。

 

  “お義母さんの容態がかなり安定してきたようなので、私は明日から病院通いはやめます。

   多分お義姉さん1人で大丈夫でしょうし、私のすることももうあまりないように思います”

母は竹子伯母にFAXを送り、毎日行くはずの病院通いを、やめた。


もう竹子伯母一人でも十分やっていけるだろうし、母がそれほど手伝う必要もないだろう。

 

 

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