私のタイムトラベル

ある家の物語・白鷺家の人々
― 道理を破る法あれど法を破る道理なし ―

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

優雅 風雅の松子さん

2017年06月15日 | 2. 闘争編

老いというものが無縁だったころ、祖母・松子さんはよく言っていた。

「このごろ、介護保険、介護保険ていいすぎやね。そやから 人間みな なんでもひとに頼るようになるわけね。 

 こんな制度 ええことないねぇ。 私は誰の世話にもならんとゾウみたいに自然にひとりで死んでいくつもり。 

 それが一番ええ」 


これまで母がいくら 「買い物行ってきましょうか?」 と尋ねても            

“今、思いつかへんからええわ。 買い物は 竹子ちゃんの精神衛生上、竹子ちゃんにさせてあげている”

と断って、私達家族とは一線を引き、実の娘である竹子伯母との生活を楽しんできていた。

しかしそんな松子さんにも、老いが少しずつその生活に影を落とすようになっていった。

 

松子さんが90歳を目前にしていたこの頃、竹子オバサンはあまり顔を見せなくなった。

自分の家のこと(婚家先でのごたごた  などなど)で忙しく、くわえてこのうちでのトラブルもまた、

彼女の実家訪問を遠のかせていた。


これまで日参していた実家訪問は、週に一二度、買ってきた食料を置いていく、といった義務的なものになり、

そのせいで次第に松子さんの食卓は焼き魚に、八つ切りのトマト、あるいは豆腐といった単品が並ぶ味気ない

ものとなっていった。

こうした松子さんの日常が気掛かりになりだした母は、やがて夕食を作って母屋に持って行くようになった。

これに対し、いくら断っても松子さんは自分が大切にしている食器やお盆などで返した。


ユキさんが どんな欲しいと思わはっても、ここのもん、ユキさんはなんにも もらえへんのよ。

 たとえ 竹子ちゃんや梅子ちゃんがゴミ箱に捨てはったもんでも。

 そやから 私がいる今のあいだにあげとく」

 

こんな、失礼極まりない感覚。しかしこれが松子さんのフツーの感覚だった。

だがこのフツーでは考えられない松子さんの感覚の特殊性は、今になって思えば、竹子伯母と梅子叔母と共にある

楽しい日々の中で次第に根付いていったものなのかもしれない。

 

ところでこの年の6月、父が遠方の親戚の葬儀に出かけて不在だった時のこと。

夜、母屋から「ちょっとこっちに来てほしい」 と電話がかかってきた。

母が母屋に行くと、松子さんは押し入れを開けて見せた。そこにはたくさんの掛け軸が収められていた。

 

「私がいーひんようになって、こんなんだけ残ったかって、ユキさん、なんのことやわからへん。

 そやさかい、これから毎日、二幅ずつ壁にかけて、私と一緒に見ていかはったらどうやろか。

 みんなあんたらのもん。 海舟、鉄舟、泥舟、幕末の三舟も揃てますねん。

 これが掛け軸の目録。 ユキさんに渡しときますわな」 

そう言って掛け軸の目録が記されたノートと、その時整理していた際に出てきたという古銭や古いお札を母に渡した。

 

また、机のうえに郵便局の定額貯金の証書を並べてこう言った。

「竹子ちゃんはなんにも知らはらへんの。これ、この箱にいれて箪笥に入れとくさかい、ユキさん、覚えといてね」

父にも同様のことを言っている。

「この通帳、竹子ちゃんは知らはらへん。 預かってくれへんか」

 

お茶をたしなみ お花を愛し 経済的にも豊かな 優雅 風雅の 上品で美しい松子さん。

みんな誰もがそう思っている。だけど、わたしからすれば松子さんってさみしい。

お金で人を釣れると思ってる・・・

 

 

 

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« どうどうめぐり ―ある日の会話 ― | トップ | 道具のこころ »
最近の画像もっと見る

2. 闘争編」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。