それは今から30年ほど前のある日、母・ユキが父に何気なく言ったひとことから始まった。
私が小学6年生の時だった。
「ねぇ、この宿舎もそろそろ手狭になったし、どこかもう少し広いマンションにでも移らない?
だけど、あなた、長男だからおかあさんの考え、聞いてみてね。
マンション買ったあとで、家に戻ってこいってことになったら困るから」
父はさっそくこのことを祖母・松子さんに伝えた。
すると松子さんは「あんたはここに帰る家がある」と答えた。
前々から松子さんは父に“あんたは長男やから家のことは考えんでよろし”と言ってたそうな。
そこで父はナシの木町に、正確に言えば、ナシの木町の祖父母の家のうしろの敷地内に私たちの家を建てることに決めた。
この時代、長男は自分の親と一緒に住み、そして親の面倒を見ていくのがごく普通の感覚だった。
だから、皆、長男と結婚するのを避けたがった。
母・ユキもいずれは父の両親と一緒に住むことになるとは思っていた。
しかし、だからといって自分の軽いひと言によって即同居が決定するとは思わなかった母は、憤懣やるかたなかった。
“どうしてそんなこと、勝手に2人で決めるのよ!”と父とたびたび言い争いをするようになった。
さて、家の建設に伴い、その年の秋から翌年の春まで、母はせっせとナシの木町の祖父母の家に通った。
ナシの木町で松子さんが母に要請した雑用の数々はたいへんなものだったようで、
私も弟のカイトも母が留守がちになった桃の木町の家で家の用事をしながら、いつも遅くなる母の帰りを待っていたものだった。
そして私が小学校を卒業した春に、桃の木町からナシの木町へと移ってきたのである。
“オメデトウ、オメデトウ!! ” と、父のきょうだい、そして親類中の祝福を浴びて、
私たち家族の新しい生活はスタートしたのであった。