私のタイムトラベル

ある家の物語・白鷺家の人々
― 道理を破る法あれど法を破る道理なし ―

松子さんの裏切り-遺留分というものの存在-

2017年07月10日 | 2. 闘争編

2005年の10月の両親と祖母・松子さん、そして竹子伯母との4人での話し合いは、和やかに雑談も交えて終わっている。

そしてこの時、両親は、白鷺家の今後の方針について合意した内容を あとの2人(梅子叔母と四郎叔父)に

しっかり説明しておいてほしい、と松子さんと竹子伯母に念を押していた。

さて、2006年の3月に竹子伯母と松子さんが不動産鑑定士兼調停委員であるT氏と話し合いをした後、

梅子叔母が、そして5月の連休には四郎叔父が実家に来ていた。

彼らとの間で、これまでの事情について語られないはずがない。

しかし、祖母・松子さんも竹子伯母もT氏との話し合い以降、一切何の連絡も取ってこなかった。

掴みどころのない沈黙が私たちのイライラをさらに募らせた。


5月30日、ついに両親はこの状況について一体どうなっているのか松子さんに聞きに行った。

父   「姉貴は考えがあるはずと思う。こんな状態で決裂した状態でやっていくことは出来ない」

松子さん「私は何も話してへんよ」

母   「四郎さん梅子さんも来てはるので、これからのこととか、お義母さんのこととか、きっと話してはると思う。

     それに急にお義姉さんが電話であんなに怒りださはった理由がわからないので

      (*参照記事:不動産鑑定士T氏への依頼(2)) 詳しいこと教えてもらえませんか。」

松子さん「全然知らん。わたし。あのー 竹子も、梅子も四郎も、わたしに関するような話とか、

         それからお宅の家のことちゅうのは  ほんまにいっちよも(ひとつも)・・・。

              それにあのひと(竹子が)来はるゆうても 1週間に2回くらい来はって荷物もってきて ほんで・・

       友達のこと、あれこれのこと そういうことばっかり言って 根本的なむつかしい話しちゅうのは・・・

       四郎にいたっては わたしに電話してきて もしもし元気か? どーか そーか さいなら だけや」 

母   「そんな無責任な・・・」


こうした松子さんのつかみどころのない話しの中で、それでもわかったことが二点あった。

それは松子さんが私達に書いてくれた遺言書に関してであった。

一つは、たとえ松子さんが遺言書を書いたとしても、遺留分というものがあるから

<わたしは異議申す、ということがある> ということを竹子伯母が言ったということ。

 

もう一つは、この遺言書に関して以前に作って置いた <意義は申して立てない> という

梅子叔母の実印を押した確約書(*参照記事:祖母・松子さんの遺言書)を失くしたということだった。          

この事実に両親は一瞬耳を疑った。


人並み外れてきっちりした松子さんが大事な書類をなくすということなど、あるはずもないことだった・・・

 

松子さん 「あのひとたちは遺留分の存在というもんを、そんな言葉すら知らはらへんのとちがうかしらね」

父    「いや、おふくろも知ってる。 そやから梅子にハンコをもらいに行った・・」


すると松子さんは聞いてもいないことを言い出した。

松子さん「あ、ハンコ? あれ、どこかへいっちゃった。えーっと なんやったかいな・・・そや! 

              完全にややこしいことがないようにと・・・、えーっと、たしか遺留分をほかす(捨てる)という意味で 

              梅子にハンコもうたんや」

父   「えっ? その確約書をなくした!?」

松子さん「いやあー、わたしがいかんのやけど、それが・・あらへんね。ずっと探してんねんけどな・・・

              一生懸命探したんやけど・・・どうしてもみつからへん。なんやったらもう一回書かそか。

     言うたらすぐ書いてくれはると思うんやけど・・・

     竹子も前から頼んでんねんけど、あのひとは、こういうことにぐずぐずしたはって・・・まだやねん」

それはまったくの予想外のことだった。父は言った。

 

父   「将来あんたらが出ようが出でまいがここのとこの私のもんは、あんたらにゆずる。

     それは私の強い意志や、とおふくろ言うたやろ」

松子さん「そやそや」

父   「出る、出ない、それはお袋を世話するとかしないとかいうことやろうけど、そんなもんは関係なしに

     今まで俺らがやってきたことへの感謝の気持ちや、というふうなことを言うたやろ」 

松子さん「そうそう」

父   「あの人ら(竹子や梅子)見てると どうもすっとおさまらへん気がする。そやから、私の責任として

     ちゃんとしとく、お袋はそう言ってた。それを今になって 姉貴や梅子に 俺らがちゃんと(世話)

     するんやったら、遺留分は放棄します、とやってほしくない。それやったらいらん」 

父の語気に押されて松子さんは言った。

「わかった。そういうことはわたしが考えたことと ちごて(違って)竹子がわたしにそうするよう言うた


こういうことだった。

しかし松子さんには悪びれた様子はまるでなかった。

それどころか松子さんの中でいつのまにか両親はお金に卑しい情けない人間へと成り下がっていた。

“ 自分は結婚以来、マイナスからプラスにするというようなことをずっとやってきた。そのわたしが一生かかって

築き上げた財産をあんたらはケンカのもとにして ・・・と松子さんはむしろ両親を非難していたようにも思える。

 

これまでさんざん話したことのすべては、何ひとつとして松子さんの頭の中に入ってはいなかった。

帰ろうと立ち上がった両親に、松子さんは座椅子にもたれてにこやかに尋ねた。

「それで、あんたら、いつ行動するの?」


松子さんはこうして二度にわたって父を大きく裏切った。


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