LA VIE EN ROSEのプロムナード(散歩道)

私達の毎日の生活は”プロムナード(散歩道)”です。散歩道で発見した出来事を日常世界ふしぎ発見!でご紹介して行きます

【お散歩】17/12/11 「ラニーニャ現象」が発生

2017年12月11日 23時37分02秒 | 今日のお散歩記録
  ”LA VIE EN ROSEのプレリュード(前奏曲)”は、2017年8月1日より、
”LA VIE EN ROSEのプロムナード(散歩道)”にタイトル変更をしました。
本ブログの内容につきましては、残念ながら、にほんぶろぐ村のジャンルの”バラ園芸”の内容と一致いたしません。

 私達にとって、毎日の生活は”プロムナード(散歩道)”です。平凡な毎日の散歩道で見た事、感じた事、思った事、
起きた事、日々の発見をカメラマン(妻)の撮った写真を交えてご紹介したいと思います。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

【お散歩】17/12/11 「ラニーニャ現象」が発生

 昨日は、冬のバラ仕事での誘引・剪定の一部を行いました。全体の20~30%は、完了しました。今日は、10:00から、昨日作業しました剪定・誘引作業の後をチェックして回りました。チェックが終わったら13:30になっていましたね。
長時間外に出ていましたが、晴れて、太陽の日差しを浴びていますと寒くはなかったですね。寒い冬嫌いの私にとっては、暖かい日は、助かりますね。

 さて、今日のニュースでは、南米沖の太平洋でことし7月以降、海面水温が低い状態となっていることから、気象庁は、「ラニーニャ現象が発生していると見られる」と発表しました。

「ラニーニャ現象」は、南米・ペルー沖の赤道付近の東太平洋で海面水温が低くなる現象で、日本を含む世界の天候に影響を及ぼすと考えられています。

 前回、「ラニーニャ現象」が発生したのは、7年前の平成22年の夏から翌年の春にかけてで、今回は来年の春まで続く可能性があるということです。

 この現象が起きると、日本では上空で偏西風が蛇行して寒気が流れ込みやすくなり、冬の気温が平年より低くなる傾向があるということです。

気象庁気候情報課のエルニーニョ情報管理官は「この冬は気温が下がって寒さが続き、ところによって大雪になる可能性があるので、最新の気象情報に注意してほしい。との事です。

 年を取ると、寒い冬は、体にきついです。 「ラニーニャ現象」が早く消えて、例年より寒くなる事、大雪が降らない事を祈りますね。

今日も平和に終わりました。感謝!!

記録

起床:4:10
 
 天気: 曇後晴
 最高気温(℃)[前日差] 16℃[+3]
 最低気温(℃)[前日差] 5℃[+4]
 血圧: 109/77/65

<1> 
 自宅  04:26:00 
 赤坂上 04:38:00
 小踏切 04:47:00
 仙川橋 05:23:00
 自宅着 05:34:00 
 歩行距離: 1.3km
 歩行訓練: 左腕の振り。リズム歩行。左足加重。大きな歩幅で足の回転を上げる。背を伸ばす。胸を張る。

帰宅後:
 
 * トイレ+浴室+洗面所掃除 05:40 - 06:10
 * 体操 06:30 - 06:35

<2> ガーデニング 10:00 - 13:30
           16:30 - 17:00        
           
◆ 今日の歩行距離:      1.3km 
◆◆ 12月の累計歩行距離:  8.3km

◆ 会社に通勤していた時の一日の歩行距離

  自宅<->駅 往復:   2.0km
 大崎<->会社ビル往復: 1.5km
 事務所ビル内歩行距離:  0.5km
 駅の階段歩行あり:    0.3km
------------------------------
一日の歩行距離  :    4.3km

一日の終わりは、この曲を聴いて終わります 

ラストワルツ
 エンゲルベルト・フンパーディンク

星と太陽と青空に願いを』は、私達の毎日のおまじないです。
星と太陽と青空に願いを』
このおまじないをブロブに書きますと、不思議と悪い事が起きません。神様に私達のお願いが通じて私達家族を守ってくれているように思えます。

私達にクリスマスプレゼントが来ますように。
家族が健康で安全で平和な日でありますように。
地震が起きませんように。
悪いことが起きませんように。
明日は今日より良いことがありますように

訪問者の皆さんが健康で安全で平和な日でありますように。

今晩も『太陽と青空と星に願いを』でおやすみなさい。 ◆ 就寝:22:00

散歩人とカメラマン(妻)
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高校講座 (1)日本史 (2)国語表現 (3)数学Ⅰ

2017年12月11日 17時23分22秒 | 日記
高校講座で勉強しました。今日の教科は;



【日本史】第7回 第1章 古代国家の形成と貴族文化の誕生

摂関政治の展開と国風文化

学習ポイント

一.摂関政治 二.地方政治の転換と受領 三.国風文化


今回の時代と三つの要

今回は9世紀終わり~11世紀

前回は、都が京都に移った頃の平安時代について学びました。
今回はその続きで、400年続いた平安時代の中でも、9世紀から11世紀の時代について見ていきます。

藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)、良房(よしふさ)、そして藤原道長(ふじわらのみちなが)ら藤原一族が栄華を極めた、まさに藤原氏の時代でした。
藤原氏は、一体どのようにして権力をつかみとっていったのでしょうか。
また平安時代を代表する、独自の優雅な貴族文化は、どのようにして生まれたのでしょうか。

今回押さえるべき三つの要は、

一.摂関政治
二.地方政治の転換と受領(ずりょう)
三.国風文化

そんな優雅な平安時代の歴史を、まずは政治の面から見ていきます。

▶要 其の一 「摂関政治」

藤原氏が力を持った
天皇家と親戚関係を結んでいった

平安時代は、天皇が政治の中心でした。
一方、貴族たちの間では、政治の主役の座をめぐって争いや駆け引きが繰り広げられていました。その中で、藤原氏が力を持っていきます。

藤原氏が台頭していった背景には、“婚姻戦略”と呼ぶべき独特の政治戦略がありました。
藤原氏は、天皇家と親戚関係を結んでいくことで、地位を不動のものにしていきます。

藤原氏の発展は、藤原冬嗣の頃から
清和天皇は良房に、「天下の政を摂行せよ」と詔を発した

藤原氏の発展は、藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)の頃から始まりました。冬嗣は、自身の娘・順子を正良(まさら)親王の后(きさき)にしました。
正良親王は、後に仁明(にんみょう)天皇となり、2人の間に生まれた子は、文徳(もんとく)天皇となります。

さらに冬嗣の息子の良房(よしふさ)は娘を文徳天皇に嫁がせると、その息子はわずか9歳で天皇に就き、清和(せいわ)天皇となります。天皇の祖父となった良房は、幼い天皇に代わって政治の全権を握ることになりました。

そして866年、藤原氏の力が強固になる大事件、“応天門の変”が勃発します。
天皇が政務を行う、朝堂院の正門・応天門が不審火によって炎上したのです。
大納言 伴善男(とものよしお)が、左大臣の源信(みなもとのまこと)の失脚を狙って炎上させたという、貴族同士の権力争いによって起こった事件でした。

この朝廷を揺るがす大事件に、当時17歳だった清和天皇が頼れるのは、祖父の藤原良房でした。866年、清和天皇は良房に、「天下の政を摂行せよ」と詔を発します。

摂政と関白
藤原氏の摂関政治

こうして良房は「摂政」、つまり幼い天皇の代理を務める職に就きました。その後、良房の息子の基経(もとつね)は、成人した天皇を補佐する「関白」という職に就きます。
摂政と関白によって政治の実権を掌握する このような政治のあり方は、摂関政治と呼ばれています。その後、摂政と関白ともに、ほとんどを藤原氏が独占していきます。

道長は天皇家と濃い身内関係を結んだ
「この世は私の世のようだ」と歌った道長

そして藤原氏の全盛期を築いたのが、藤原道長でした。
道長には4人の娘がおり、12歳になった娘・彰子を一条天皇の后に、さらに妍子を三条天皇の后にしました。彰子は2人の子どもを生み、それぞれが天皇となります。
さらに道長は、その天皇たちと自分の娘を結婚させました。

道長は、天皇家と非常に濃い身内関係を結ぶことによって権力を磐石にし、摂関政治を進めていきました。

道長は、

この世をば我世とぞ思ふ 望月の欠けたることも 無と思へば
という歌を詠みました。

この歌は「この世は私の世のようだ。満月のように欠けたところがない、わたしの栄華の様に。」という道長の気持ちを表していると言われています。

貴族の仕事は行政・政治・儀式
道長の日記は世界最古の自筆日記として登録

藤原氏をはじめとする貴族は、どのような仕事をしていたのでしょうか。
奈良文化財研究所 史料研究室長の渡辺 晃宏 先生に話をうかがいます。

貴族の仕事の一つは、高級官僚としての行政の仕事です。
そして、二つ目は政治でした。貴族のトップは公卿と呼ばれ、国の重要な政策については公卿が集まり、会議を行って決められました。
また現在では意外に感じられますが、儀式も重要な仕事の一つでした。例えば元日の節会(せちえ)や、仏教行事などの儀式です。
貴族たちは、どのように儀式を執り行ったのかを細かく日記に記録します。この場合の日記は、現在私たちが書くような「朝起きて何をやって」というものではありませんでした。儀式の次第を書き留め、後々子孫たちが儀式を行うときの参考のために残していました。

藤原道長も例に漏れず日記を書き、自筆のものが残っています。御堂関白記というこの日記は、世界最古の自筆の日記として、ユネスコの世界記憶遺産にも登録されています。

▶要 其の二 「地方政治の転換と受領」

諸国に派遣された国司が農民を治める
赴任した国司のトップを受領と呼ぶように

藤原氏が京都の都に君臨する一方で、地方の様子はどのようなものだったのでしょうか。

地方では、農民たちが米や野菜などを作り生活していました。

農民たちを治めていたのは、政府から諸国に派遣された国司でした。国司たちには、当初6年、後に4年となる任期がありました。
それまでの国司から、新しい国司へ文書や事務の引き継ぎを受けることを受領と言いました。そこから、赴任した国司のトップのことを受領と呼ぶようになりました。

重い税から逃れようとした人も多かった
税の徴収は受領などが担ったが、行き過ぎた取立てもあった

この頃、税の政策にも大きな転換がありました。
それまでの律令国家体制では、戸籍を元に、人に対して課税していました。しかし農民たちの暮らしは厳しく、重い税から逃れようとする者が後を絶ちませんでした。

現在の山口県にあたる周防国(すおうのくに)の戸籍を見てみると、税は成年男子中心に徴収されるため、女性ばかりが記載されています(左写真)。
偽籍と言われたこのような例は、全国でいくつも見られました。

そこで政府は確実に税を徴収するため、それまでの人への課税方法をやめ、土地に対して課税するようになります。その土地を代表する有力者に、まとめて税を納めさせる方法に変えたのでした。
税の徴収は、受領などが担っていました。地方の政治を行う受領たちは、多くの富を蓄えようと、厳しく税を取り立てます。

「尾張国(おわりのくに)郡司百姓等(ぐんじひゃくせいらの)解文(げぶみ)」(右写真)には、「濫行横法(らんぎょうおうほう)」という文字が見えます。国司、藤原元命(もとなが)が行き過ぎた増税をするなど、劣悪な政治を行ったことを訴えた文書です。

都の華やかな生活を支えるために、税の徴収方法は現実に合わせ、大きく変わっていきました。

当時の徴税は、人から取っていたものを土地から取るようになり、公地公民を原則としていた律令制も大きく変わったと言えます。

▶要 其の三 「国風文化」

紫式部の仕事は?

今回の込山さんの衣装は、ただの十二単ではなく、実は紫式部の十二単をモデルにしたものなのだそうです。

ここで込山さんからクイズです。

Q.紫式部は、どんな仕事をしていたでしょう?

1.作家
2.受領(ずりょう)
3.家庭教師

正解は、3番の家庭教師
唐が滅び、次いで渤海や新羅も滅亡

正解は、3番の家庭教師です。
紫式部は、とても重要な人物の家庭教師を務め、源氏物語などの名作を著しました。
要 其の三では、紫式部が活躍した平安時代の文化の様子を見ていきます。

中国大陸で力を誇っていた唐は、8世紀後半におきた内乱によって国力が衰え、907年に滅亡しました。同じ時期に、唐と同じく国交のあった渤海(ぼっかい)や新羅も相次いで滅びました。
こうした情勢を背景に、日本でも遣唐使など、周辺諸国との公的な交渉を停止しました。中国や朝鮮半島からの影響が弱くなった国内では、次第に日本独自の文化が形成されていきます。

「安」の字から「あ」が生まれた

その一つに、「ひらがな」があります。平安時代に生まれた ひらがなは、中国大陸から伝わった漢字を元に、書きやすくするために書きくずしたものです。

例えば安心の「安」という漢字から ひらがなの「あ」が、「波」という漢字から ひらがなの「は」が生まれました。こうした ひらがなは、特に女性たちによって使われ、文章を書くことが女性の間で流行します。

源氏物語を著した紫式部
「光源氏」が宮廷を舞台に多くの女性と恋をする物語

その一つが、紫式部が20代の終わり頃に書き始めた「源氏物語」です。
顔立ちが美しい貴族「光源氏」が宮廷を舞台に、多くの女性と恋をする物語です。源氏物語は、天皇や貴族に仕える女性たちの間でたちまち大人気となります。
そのうわさは、望月の歌を読んだ藤原道長にも伝わりました。

道長は自分の娘・彰子に深い教養をつけさせようと、紫式部を教育係、家庭教師に選びました。教養を身につけた彰子は、やがて天皇に気に入られ、後の 後一条天皇となる男子を出産しました。

源氏物語は、平安時代に藤原氏をはじめ、貴族社会で人気を博しました。そして雅な世界を題材に、日本人の美意識や価値観に大きな影響を与え、今日まで読みつがれています。

日本の風土や考え方、習慣などを加えた国風文化

唐などの文化を元に日本の風土や日本人の考え方、習慣などを加えた新しい文化は国風文化と呼ばれ、その後の日本社会に大きな影響を与えることになります。

この時代、源氏物語の他にも清少納言の枕草子など、日本独特の傑作文学が次々と生まれました。

▶日本の歴史・いとをかし

藤原氏の隆盛は母方が強かった当時のしくみに理由があった
次回もお楽しみに~

婚姻戦略について、引き続き 渡辺 晃宏 先生に話をうかがいます。

藤原道長が力を持つことができたポイントは、婚姻戦略にあったといいます。
この頃までの「結婚」は現在とはかなり形が違い、男性が女性の元に通う「通い婚」が基本的なあり方でした。
そのため生まれた子どもは当然母方で育つことになり、母方の祖父の影響力が大きくなるということを意味します。つまり夫から見ると、通っている相手の父に当たり、自分の子どもに対する発言力が強いということです。

また、当時の結婚は現在と違い、一夫多妻の時代でした。
道長も最初は正妻のところへ通っていましたが、次第に妻のところに住み着くようになったということが分かっています。道長も正妻の他に妻が何人かいたため、正妻の家に住んでいながらよそへ通ったりしていました。
一夫多妻の文化において、浮気や嫉妬などは当然揉め事になったと考えられており、先生は「それはいつの世も変わらないはず」と話します。

さらに先生は、「そのような時代において、道長を中心とする藤原氏が大きな権力を持つことができたのは、母方の発言力が強いという社会のしくみそのものに大きな原因があると言える」と続けます。

男子が生まれ無事育つことができれば、将来天皇になり、娘を嫁がせた父親にしてみれば摂政や関白といった将来の自分の地位が約束されているようなものです。
このことから、自分の娘が男の子を生むということがとても重要でした。

この婚姻戦略に、
「そういう風にして作り上げたからこそ、『この世をば…』なんていうのが生まれてくるのですかもしれない。」
と話す高橋館長でした。


【国語表現】第7回 ことばと人間 文字による表現の効果を考える


今回の3ポイント
(1) 文字を使い分ける
(2) 文字表現の豊かさに触れる
(3) 表現の効果を考える


【数学Ⅰ】 第7回 第1章 数と式 因数分解

因数分解

▶因数分解のキーワード“くくる”

今回学習する因数分解のキーワードは“くくる”です。
“くくる”を辞書で調べると…
☆ばらばらなものを一つにたばねる
☆絞り染めにする
☆束縛する
☆まとめる、総括する
などの意味があります。

数学では、共通する数字や文字などをみつけて積(かけ算)の形にすることをくくりだすといいます。

▶これ、知っ得!?

これ、知っ得!?
くくりだす数字や文字を見つけるヒントは分配法則

くくりだす数字や文字を見つけるヒントは分配法則にあります。
A(B+C)を展開するときには、カッコの中を項に区切り、カッコの外側にある数字や文字をカッコの中のすべての項にかけます。
つまり、
A(B+C)=AB+AC
となりますね!

▶因数分解と分配法則

分配法則の逆の作業をくくりだすという
実際に考えてみよう

分配法則で
A(B+C)=AB+AC
となることは先ほど確認できましたね。
分配法則の逆の作業をして
AB+AC=A(B+C)
とすることをAをくくりだすといいます。

では、実際に考えてみましょう。
2x+4yは、項にわけると2xと4yです。
どちらも2で割ることができるので
2x+4y=2×x+2×2y
     =2(x+2y)
このように2でくくることができますね!

○(△x+□y)のように、積の形にしなさい
○(△x+□y)のように、積の形にしなさい

それでは問題です!
6x+15yを、各項の共通する数字を使って○(△x+□y)のように、積の形にしなさい。

答えは
6x+15y=3(2x+5y)
となります。
6x+15yは、項にわけると6xと15yです。
どちらも3で割ることができるので、3でくくればよいですね!

▶共通因数がカギ!

共通因数を見つけてくくりだすことを因数分解という

ある数をいくつかの数字や文字などの積(かけ算)の形で表したとき、そのひとつひとつの数字や文字のことを因数といいます。

先ほどの問題で考えてみましょう。
6x+15yを項にわけると6xと15yでしたね。
6x=3×2×x
つまり、3、2、xは6xの因数です。
15y=3×5×y
つまり、3、5、yは15yの因数です。
このとき、2つの項に共通している因数3は6xと15yの共通因数です。
このように、共通因数を見つけてくくりだすことを因数分解というのです。

共通因数を見つけてみよう!
(1)14xと35y
(2)18a2と45a
(3)-3a2bと-2ab2

答えは
(1)7  (2)9a  (3)-ab
文字や-1もくくりだすことを忘れないようにしましょう!

▶共通因数を探すコツ

湯浅弘一先生(ゆあさま)
共通因数を探すためにすだれ算をしよう

ここで共通因数を探すコツを教えてくれるのは湯浅弘一先生(ゆあさま)です。

14a2c3-42ab3c2
この式の共通因数を探すためにすだれ算をします。
2で割ると
7a2c3-21ab3c2
7で割ると
a2c3-3ab3c2
aで割ると
ac3-3b3c2
cで割ると
ac2-3b3c
cで割ると
ac-3b3
もうこれ以上はくくりだせるものがないですね。
この場合2、7、a、c、cが共通因数ですから、これらをかけ算した14ac2
をくくりだすことができます。
つまり
14a2c3-42ab3c2=14ac2(ac-3b3)
となります。
ちなみに、ac-3b3はこの式の因数です。
因数は単項式に限らず、多項式の場合もあることを覚えておいてくださいね☆

▶チャレンジ!

問題です!
-4x2y2-2xyを因数分解しなさい。

まず、項に区切って、すだれ算で共通因数を探しましょう!
共通因数は-2×x×y=-2xy
したがって
-4x2y2-2xy=-2xy(2xy+1)
となります。

今週も頑張って勉強します。


 記録

 天気: 曇後雨
 最高気温(℃)[前日差] 10℃[-2]
 最低気温(℃)[前日差]  3℃[0]  

 散歩人

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【早朝のお散歩】 17/12/11 お散歩の出会い

2017年12月11日 07時24分43秒 | 今日のお散歩記録


おはようございます。

 【早朝のお散歩】 17/12/11 お散歩の出会い

 今朝は曇り空でした。そのためか放射冷却が無くて寒さの緩んだような外の寒さでした。寒さは緩んでもお散歩の歩き出しは、体は、まだ、硬くて体はガチガチです。
 寒い早朝のお散歩をしていますと、こんな早朝に出会う人は、誰もいませんが、最近、一人の女性(40代後半)とすれ違う事があります。その女性は、いつも、私とすれ違いますと、私に”おはようございます”と朝の挨拶をしてくれます。私は知らない女性ですので、私は、朝の挨拶もする事なく、先を急いで歩き過ぎて行きます。
 今朝もこの女性と出会いました。そして、私に”おはようございます”と朝の挨拶をしてくれましたので、今朝は、私も、”おはようございます”と朝の挨拶のお返しをしました。

 以前からこの女性が知らない私に毎回朝の挨拶をしてくれるのか?気になっていましたので、今朝は、挨拶の後で、立ち止まって、少しお話をさせていただきました。

 この女性は、足腰が弱って来ているので、足腰の運動運動の為に今年の8月からお散歩を始めているとの事でした。その後も野次馬の性格のある私は、この女性についてあれこれと質問してしまいました。この女性は、大学受験生を持つお母さんでした。

 早朝のお散歩は、自分の思い、考えを整理・整頓する時間になっています。 この私のお散歩で出会いがあるとは、想定外の事でちょと驚いた今朝の早朝のお散歩となりましたね。

 今週も頑張って行きましょう!! 

今朝は、この曲を聴いてスタートです。
Kool & The Gang - Joanna


皆さま、微笑みで素敵な一日をお過ごしくださいませ。

記録

起床:4:10
 
 天気: 曇後晴
 最高気温(℃)[前日差] 16℃[+3]
 最低気温(℃)[前日差] 5℃[+4]
 血圧: 109/77/65

<1> 

 自宅  04:26:00 
 赤坂上 04:38:00
 小踏切 04:47:00
 仙川橋 05:23:00
 自宅着 05:34:00 
 歩行距離: 1.3km
 歩行訓練: 左腕の振り。リズム歩行。左足加重。大きな歩幅で足の回転を上げる。背を伸ばす。胸を張る。

帰宅後:
 
 * トイレ+浴室+洗面所掃除 05:40 - 06:10
 * 体操 06:30 - 06:35

 散歩人
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