江南のほけんマエストロ

個人の日常生活や企業の日常業務に起こる何気ない出来事を保険代理店の視点から観察します

大風呂敷な人

2010年03月18日 16時33分56秒 | 時事問題
先日新聞に名古屋の都市計画の生みの親「田淵寿郎」の紹介記事がありました。
皆さんはこの方をご存知でしたか?
私は存じ上げませんでした。なので、調べてみるといわば、名古屋版「後藤新平」とでも言った方なんですね。
田淵さんは明治23年広島県の生まれで、第五高等学校(現:熊本大学)から東大に進み、卒業後内務省に入り主に河川事業多大な功績を残された方だそうです。
名古屋土木事務所長として木曽三川の治水にもかかわられたそうです。
う〜ん、なんか以前ご紹介した「高須藩」の項の記事とかぶりますね・・・。
戦後、佐藤名古屋市長に懇請されて技監として名古屋市の戦後復興に尽力されたそうです。
名古屋名物の100m道路。区画整理、地下鉄計画、港湾整備などなど・・・。
「尾張名古屋は城でもつ」といわれる名古屋城の再建を最後に引退され「名誉市民」の第一号となられたそうです。
へ〜、すごい方なんですね。
名古屋開府400年の今年、そんな方の偉業を見直してみるのも良い機会ですね。
その田淵さんもきっと参考にされたんじゃないかと思うのが「帝都東京を作った男」後藤新平です。
世に「大風呂敷」といわれるほど壮大な計画の下、都市計画を推し進めたんだそうです。
児玉源太郎にかわいがられて、台湾総督の民生長官として台湾の都市計画作りにを主導したのも後藤です。
初代満鉄の総裁として、東京市長として、さまざまな都市計画に携わり、今日まで続く大都市のインフラ整備に力を発揮したとんでもな人なんです。
お二人に共通するのは「稀有壮大な計画」とそれを支える「確かなデザイン力・理念」といったところでしょうか・・・・。
「戦略の過ちを戦術で回復することは出来ない」といわれます。
壮大とは行かないまでも「戦略」をもって事業運営をしていかなくては・・・、そんなことを思う年度末です・・・。
ジャンル:
各業界情報
キーワード
児玉源太郎 名古屋市長 第五高等学校
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