ノーベルマン

恋愛小説好きな私の著作品を載せてます。
私の日常を書いた日記的な役割もします。

海浜総合高校3年1組・最終話・その6

2010-12-25 17:01:53 | 小説


 「父親に・・・・・・週に1回、体を求められてます」

 空間が制止したような錯覚が起こった。一瞬、世界にはこの部屋しか存在してなくて、

ここにある何もかもが止まったようになった。言葉の意味が分からなかった。理解する

ことを絶対的に拒んだ。例えようのない感情に晒され、味わったことのない感覚に襲わ

れていく。

 「父親に、って」

 「正確には、あの人は本当の父親じゃないんだけど」

 桃田さんの言葉は、私の常識を超越していた。相応の覚悟はしていたはずなのに、現

実はそれを上回っていた。嘘だって都合よくしようとしても、それはどうしようにも嘘

じゃなかった。

 「私の本当の父親は、私が中学生の時にどっかに行きました。後から聞かされたけど、

会社をリストラされて、それが原因で離婚になったみたいです。元々両親は仲良くなか

ったけど、一応それでも私の親だったからショックでした。心の中に一つ穴が空いた感

覚でした」

 「両親は共働きだったから収入もあった母親に引き取られたけれど、その後の暮らし

はまともじゃありませんでした。ただでさえ気性の荒い性格だった母親が余計に周囲に

冷たく当たるようになって、それを一番に受けていた私の毎日は辛いものでした。家事

は手を抜かれて、母親は夜遊びに出掛けて夜中に帰ってくる日がほとんどで、私は寝る

まで一人きりの日ばかりになって、金遣いも適当で家での暮らしは苦しくなりました。

反発しようにもまだ一人じゃ何も出来なかったから、ただそれに耐えるしかなかったん

です」

 「高校生になってから、母親に恋人ができました。夜遊びしていた時に出会った黒服

の男で、急に家に連れて来て「これから、あんたのお父さんになる人だから」って紹介

されて。訳分かんなかったけど、それで母親の夜遊びが落ち着くんだったらって思いま

した」

「2人は籍は入れずに、あの人がウチに入る形で3人の生活が始まりました。きっと、

これで改善されるだろうと思ったけれど無駄な願望でした。新しい父親も、母親と同じ

ように堕落した感覚で生きていたからです。生活に手を抜いて、家事をろくにしない母

親にも何も言わず、だらだらと家にいました。朝から昼まで家にいて、夕方に出掛ける

のが私には煩わしくて仕方なくて。いきなり父親だって来られても、ついこの前までは

他人だった人間と2人で家にいるのが落ち着かなくて、どうにもならない不快感でいま

した」

 桃田さんの話は全て受け入れがたいものだった。毎日を普通に過ごしている私には、

どれも容易に現実のものとしにくく、それを今まで過ごしてきた彼女の苦しさが刺さる

ようになった。

 「最初に手を出されたのは去年の夏でした。期末試験休みで水泳部の部活もなかった

日に体が疲れてたから家にいたら、父親に部屋の扉を開けられて。そんなこと初めてだ

ったから何だろうと思ってるうちに抱きつかれて、「騒ぐなよ」って言われて襲われま

した。あまりに急の事で、身体が固まったようになって、呼吸が定まらなくて、抵抗も

出来ずに声も出なくって。事が終わると、父親は「誰にも言うなよ。言ったら、お前も

終わりだぞ」って言い捨てて外に出て行きました。私は誰もいない部屋の中で、ずっと

泣き続けました。夕方ぐらいに体を起こすと、部屋の扉のあたりに万札が雑に2枚あり

ました。私はそれで買われたんだって理解すると悔しくて溜まらなくなって体が震えて、

こんなの母親には見せられないと思って万札だけ握りしめて逃げるようにして外に出ま

した」

 「ただ、外を歩いてると異常に周りからの視線が気になって、特に男の人には色目を

使われているような錯覚に嵌まって。だんだん怖くなって、行き場所に困って、この感

情を紛らわしてくれそうなものを求めて普段なら絶対に近づかないような店に入ってい

きました。外人とか怖者とかが足を運ぶクラブで、私なんかが行くはずないところだっ

たけど、受付の人は見て見ぬフリをしたから中へ入っていって、仕組みも全然分からな

かったからしばらくは店の端の方にいました。そのうちにトイレに行きたくなって探し

てると、外に通じてる非常口の扉が少し開いていて、声が漏れてるのが聞こえてきて。

その隙間から覗き見をしてると、それはクスリを売っている現場でした。売ってたのは

高そうなスーツを着た怖そうな人で、買ってたのは20歳ぐらいのギャルで、そこには

明らかに私が入り込む空気はありませんでした。でも、その時の私は完全に身体を汚染

されていて、早くこの暗がりから抜け出したい一心でいました。「これだ」って、思い

ました。「これなら、この心を浄化させてくれるはずだ」って。売買が終わった後、私

はその人に声を掛けました。初めは怪訝にされて怯んだけれど、万札を見せたら表情を

変えて取引に応じてくれました。遣り方も教わって、「また欲しかったら」って連絡先

も貰いました」

 「その後、誰もいない夜の公園のトイレで初めて打ちました。経験したことのない感

覚は体が戸惑うぐらいだったけれど、そこにあったのは間違いなく快楽でした。体全体

を幸福に覆われて、私はさっきまでの体内の汚物を浄化できました。打ってよかった、

と思った」

 「その一週間後、また父親から体を求められました。今度は私の部屋の扉を開けると

「この前の金はどうした」って言われて、私が何も言い返さずにいると「そうか」と納

得したように頷いて、同じように抱きついてきました。私も前と同じように身体が硬直

して、何も出来ませんでした。ただ、心のどこかで自分に理解させようとしてました。

私が抵抗して暴露する事で何が生まれる、両親は別れるかもしれない、父親からは恨ま

れるかもしれない、母親からは妬まれるかもしれない、また母親との堕落した生活にな

るだけだ、周囲にバレるような事になったら私も終わりだ、義理の父親に手を出された

なんて知られたら学校の皆にどう思われるだろう、変な目で見られるに違いない、友達

にも軽蔑されるかもしれない、クスリにも手を出したなんてなったら父親だけじゃなく

私も警察沙汰だ、取り調べに牢屋に裁判に服役、その後に明るい未来なんてない、そう

考えると「私が黙っていることで全てうまく成り立つなら」って思いが生まれてしまい

ました」

 「それ以来、私は週に1回、父親との行為を受け入れて、貰った金でクスリを買う事

を続けました。水泳部はすぐに辞めました。左腕の注射痕は目立つほどじゃなくても、

父親に犯された肌を露出することに拒否反応があったから。制服も冬服にして、洋服も

なるべく肌を覆うのを選ぶようにして、同級生や友達との関係も次第に拒むようになり

ました。自分の世界に閉じこもり、私は独りになりました。ただ、今まで仲の良かった

子たちとそうなるのは心苦しくて。「悩み事があるなら相談して」って、向き合おうと

してくれてる友達を突き放すのが辛くて。でも、誰にも相談なんか出来っこない。苦し

いだけの毎日でした」

 「悩んで、私は母親に転校したいと告げました。学校側から私の状態がおかしいのは

伝わってたから、母親も仕事先に通えるぐらいの距離なら引越してもいいと言ってくれ

ました」

 桃田さんは俯いたまま、一つずつの言葉を自らの膿として吐き出していった。その様

は見るのも辛く、彼女の抱えていた痛みの大きさを汲み取れた。それでも、きっと私に

伝わったものなんてほんの一部にしかすぎないはずだ。桃田さんはどれだけの罰を自分

自身に刻んでしまったんだろう。大人の勝手の犠牲になって、その手を罪に染めてしま

っただけなのに。

 「それで海浜総合高校に来たんだな」

 「はい。ここなら誰も私の事を知らないから安心できるし、前と距離も遠くないから

クスリも買いに行けるし」

 桃田さんの話はそこで途切れた。そこまでが私たちの全く知らない真実だった。部屋

の空気は重く沈んで、ここでの息苦しい生活を感じられるようだった。私は何も言葉が

浮かばなかった。事態は私の許容範囲を超えていて、体の中をぐるぐると動いて落ち着

かない。どんな言葉を掛ければいいのか、どうしてあげればいいのか、私の頭じゃ計り

ようもなかった。

 「お金は全部クスリに使ってるのか」

 「大体そうです。そんな汚い金を残しておきたくないから、すぐに使います。打った

後に気分が良くなって、衝動買いしたりもしてるけど」

 稲田先生は息をつき、目を瞑る。目にしたことのないくらいに悩んでいる。先生の中

でも、予想を遥かに上回る状況だったんだろう。福山先生は瞳に涙を浮かべ、桃田さん

を見ている。私なんかより女性としての苦しみを分かってあげられるはずだし、その苦

悩さは表情から見れる。

 「どうして・・・・・・どうして、クスリに手を出した」

 搾り出すような稲田先生の言葉だった。もう、現時点で桃田さんは犯罪に手を染めて

いる。事前に食い止める事は無理だった。しかも、それは私たちが出会う前からになる。

不可能がより心を締めつける。

 「こうするしかなかったんです。こうしなきゃ、私はもうどこにも行けなかった」

 桃田さんには行き場所がなかった。誰にも頼ることが出来なかった。八方を塞がれた

密室で、この家で自分自身を貶めていたんだ。こうして誰かが向き合ってあげるまで、

きっとずっと。

 「前にも言いましたけど、言うなら別にそれで構いません。学校に言いつけるんなら

それでいいし、警察に突き出すんならそれでいいですから」

 「警察に事件にしてもらって、父親を逮捕して助けようとしても、あいつはまた私の

前に現れるかもしれない。もっと酷い目に遭うかもしれない。何も出来ないんだったら

放っておいてください」

 そう言い捨て、話は途切れる。沈黙が流れると、桃田さんは「今日はもう帰ってくだ

さい」と自分の部屋に入って、扉も閉めて篭ってしまった。私たちも今日はここで帰る

ことにした。桃田さんの言葉の通りにするわけじゃなく、今ここで結論を出せる内容で

はなかったから。部屋を後にする時に何か言葉を掛けたかったけど、あれだけ重い言葉

を続けられた後に私が何を言っても軽いものにしか聞こえないような気がして諦めてし

まった。

 帰り道、私たちは行きの道とは違う思いで気を沈ませていた。行きは「何がこの先に

待ってるんだろう」という緊張感で、帰りは「何という事もしてあげられなかった」と

いう失望感。あの部屋で待っていた真実は私たちの現実では計りきれない重さだった。

打ちひしがれた思いの中で必死に打開策を考えていく。今すぐにも、桃田さんを救って

あげないといけない。

 「先生、どうする気ですか」

 縋る思いで呟く。打開策なんて大きなことを思ってみても、私が思いつくようなこと

はどれも現実的には嵌まらない。所詮、私はまだ子供でしかない。なのに、桃田さんは

大人の欲望に傷つけられた。私がされていたらと考えると、ゾッと体が震える。それを

彼女は受けたんだ。何度も、何度も。誰にも言えないまま、その身体と心に傷を増やし

たんだ。

 「学校には言わないでください。警察にも。そんなことしても、桃田さんの心は救わ

れません」

 助けてあげなきゃいけない。身体だけじゃなく、心も。

 「そのつもりだ。ただ学校に伝えたところで、警察に渡したところで、きっとあいつ

は元に戻れない」

 学校や警察に事を任せても、おそらく桃田さんは救われない。多分、それらは彼女を

助けることをしてくれない。事件を解決する事を第一にして、真に助けてはくれないだ

ろう。強引な捜査や目先の処理で終わらされてしまうかもしれない。そんなことは許さ

れない。

 「でも・・・・・・後で大問題になりますよ」

 福山先生の言葉は尤もだった。私たちがやろうとしてる事は正常じゃない。とんでも

ないことを巻き起こすかもしれない。それでも、彼女の思いを分かってあげられる人が

やるべきなんだ。

 「俺はどうなっても構いません」

 稲田先生の言葉に曲がったものはなく、力強く感じられた。

 「私も覚悟は出来てます」

 福山先生の言葉も、温かみのある心強いものだった。この2人の生徒でよかったと本

当に思えた。これだけ生徒に対して向き合ってくれる教師じゃなければ、私も最初から

相談に行ってなかっただろう。きっと、一人きりで抱え込んだままで何も出来なかった

に違いない。



「ノーベルマン」HP
http://www.musictvprogram.com/novel.html