神話でなかった古事記

日本の歴史を知るために、いろいろ考えてきました。古事記に残されていることから、思いついた事を書いてみようと思います。

中国偏向の日本書紀 (5)

2016-10-13 11:08:24 | 古事記
四道将軍の今一人の丹波道主命も古事記に見当らない人物である。この人物は9代開化天皇の王子の日子坐王の更に
子供である。従って10代崇神天皇の10年にはまだ生れておらないと考えてよい。従って吉備津彦と丹波道主命が同
時に出陣することはあり得ない。
 古事記では丹波征伐したのは日下坐王で、日本書紀の彦坐王に該当する。日本書紀は丹波征伐の手柄を日下坐王
にしたくなかったので、仮空の人物を登場させたのである。
 古事記では孝霊天皇の御世に大吉備津彦と若建吉備津彦に吉備征伐をさせている。中国で倭国大乱が収ったのが
180年代で、私の16頁の年表では孝霊天皇の御世である。
 中国で倭国大乱とあれば、「大」は
天子や皇帝を意味する。大礼、大典、大葬がその例で従って倭国大乱とは日漢戦争を意味する。
 魏志倭人伝で魏と句奴国が戦ったのは、句奴国とは久米国のことで、ここは天皇軍隊の本拠地で、美作の久米郡
のことだった。これは従って日魏戦争で、この時も魏が大敗し時代は240年代だった。

私からの一言
①四道将軍の今一人の丹波道主命も古事記に見当らない人物である。この人物は9代開化天皇の王子の日子坐王の
更に子供である。従って10代崇神天皇の10年にはまだ生れておらないと考えてよい。従って吉備津彦と丹波道主命
が同時に出陣することはあり得ない。
 この部分は、正しいですか。どうも、この部分は、確かめようと思いながら、何故か、確かめたことが有りません。

古事記が間違っていて、日本書紀に書いてある方が、正しい事にはなりませんね。
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