三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

安土城跡に行って来ました。

2016-06-11 16:13:28 | 城郭滋賀
2016年6月7日(火)に安土城跡に行って来ました、本日の天気予報では午後からは雨なのでやはり早目にでて安土駅前で自転車を借りました、安土城・観音寺城・近江八幡で豊臣秀次の居城八幡山城を予定。
Dsc04300
織田信長が天下統一目前に建てた安土城です琵琶湖の畔・・・・今は湖が遠ざかっていますが当時は三方が湖ですね。
Dsc04310
安土城の縄張り図です、当時の革命的お城ですね、でもお寺見寺が同居したお城とは知りませんでした。
Dsc04357
大手門の石垣跡です、ここ安土城は石垣の山ですね。
Dsc04373
大手道入り口から山に向かい石段の道が伸びています、両サイドに各家来の屋敷があります。
Dsc04384
左側が羽柴秀吉の屋敷と言われています。
Dsc04397
秀吉の屋敷は二段に渡り在ります。
Dsc04401
なおも上ると左側に曲がりながらなをも上ります。
Dsc04402
曲がり角から下を見ました・・・・・。
Dsc04411
平らな所で分岐しています正面がお城、左側がお寺の方向です。
Dsc04413
黒金門が見えてきました、奥が二の丸の方です。
Dsc04419
門の正面が二の丸の石垣で右へ回り込みます。
Dsc04425
石段の途中に仏足石が置いてありました、集めた石の中に墓石仏像やらが混ざっているのです。
Dsc04430
石段を上ると左側が二の丸への階段正面は枡形広場で碑がありました。
Dsc04433
二の丸ですね。
Dsc04435
奥に織田信長本廟があります。
Dsc04443
本丸跡ですね。
Dsc04449
本丸跡から天主の石垣と登り口。
Dsc04452
天主への登り階段。
Dsc04453
天主です、此処が地下1階で周りの石垣が天主1階だそうです、今は崩れて低くなっているとの事、ここに5層7階のお城があり、織田信長の居住地とのこと。
Dsc04463
石垣の上から天主跡を見る・・・五角系どか。
Dsc04472
見寺跡と三重塔です、琵琶湖が眼下に見えますね。
Dsc04485
同じく見寺山門です、途中で雨が激しく振り出し、観音寺城へと急いだのですが観音寺城も山城で桑実寺の山門で雨の止むのを待ったのですが、靴の中まで濡れたので断念しホテルに帰りました、残念無念です。

彦根城に行って来ました。

2016-06-11 11:55:34 | 城郭滋賀
2016年6月6日(月)本日最後に借りた自転車で佐和山城から彦根城に行って来ました、彦根城の中堀をぐるりと自転車で見た後に内堀を回り、大手門橋近辺を見佐和山口表御門橋から城内へ、黒御門跡から玄宮園と見学しました。
Dsc04150
彦根城の縄張りです、琵琶湖を背景に内堀・中堀と二重の水堀が現存した国宝の現存天守です、右側に玄宮園楽々園の御庭もあります。
Dsc04153
外堀の周りを自転車で回りました、佐和山口・京極口・船町口と中堀側に入る道路があります、。昔は武家屋敷で現行は役所・学校です。
Dsc04158
中堀から見た彦根城天守です。
Dsc04161
此れは内堀です、石垣の高さが異なりますね。
Dsc04163
これは内堀と中堀が交差する山崎曲輪の山崎御門跡です、冠木門で情緒がありました。
Dsc04167
大手御門跡です、お城の横河ですね、向こう側は黒御門跡、駅正面がわが佐和山口の表御門跡です。
Dsc04172
彦根城縄張り図、上の橋は下側です。
Dsc04178
橋を渡り城内の石垣を見ました、石垣の上の石垣が登り石垣です・・・横に回り込めない仕組みで中国韓国様式です、伊予の松山城でも見られる数少ない石垣です。
Dsc04179
表御門跡です正面入り口ですね。
Dsc04187
橋を渡り右側から急な階段を上ります、大切岸で左側は鐘の丸、右側下は表御殿跡です。
Dsc04189
坂を上ると大堀切で掛橋が掛けてあります、先程の大手御門から登ると向こう側へ出ます。
Dsc04199
橋をくぐり回り込むようにすすみます。
Dsc04205
橋の向こう側が天秤櫓です、左右同型なのでこう呼ばれます、長浜城大手門を移築したとか。
Dsc04221
少し進むと太鼓門と続櫓があり、ようやく本丸へとなります。
Dsc04231
5国宝一つの彦根城天守で現存天守12個の一つです、これも大津城からの移築とか。
Dsc04232
木の関係?で付櫓・多門櫓が見えずですね。
Dsc04233
左側に回り込みます。
Dsc04241
ほぼ横に回り込みました。
Dsc04245
本丸広場から見た琵琶湖がわです。
Dsc04250
なをも回り込み本丸から西の丸へ出ました。
Dsc04255
西の丸の端にある、三重櫓と続櫓です。
Dsc04260
西の丸から見た彦根城天守です、左側が附櫓です、高い石垣・入母屋破風・高欄廻縁・唐破風・切妻破風でお城らしいですね。
Dsc04276
天守最上段から見た琵琶湖と西の丸の三重櫓です。
Dsc04306
黒御門側の急峻な石垣と井戸曲輪。
Dsc04318
お城脇の大名回遊式庭園、玄宮園の魚躍沼と鶴鳴渚・鑑月峯です。
Dsc04327
同じく玄宮園の臨池閣です。
彦根城は明日の予定でしたが、明日は天気が悪い予報なので無理して回りましたので疲れました、明日は安土城・観音寺城・八幡山城を出来れば回りたいでえすね。


佐和山城跡に行って来ました。

2016-06-10 18:21:01 | 城郭滋賀
2016年6月6日(月)に琵琶湖東側周辺のお城巡りをしました、明日は雨模様の為出来るだけ沢山回る予定です、長浜城・小谷城に行きJR北陸線の河毛駅から此処彦根駅に再びレンタル自転車を借りて佐和山城跡の裏って側龍潭寺へ行き、佐和山城跡に行って来ました。
Dsc04000
図の上の方から切通し・西の丸・本丸・千貫井・隅石垣周辺を見てきます。
Dsc04087
龍潭寺の門から境内脇の墓地を抜けて急な山道へ入ります。
Dsc04088
佐和山城主石田三成の像です、関ケ原で敗れこの城も落城したのです、三成に過ぎた・・・島左近と佐和山の城と言われたのがこの城です。
Dsc04093
墓地脇の急坂を上ると尾根にぶつかります、右側へ進みます。
Dsc04095
なおも上ると塩硝櫓入り口の西の丸跡へ出ます、三段に分かれた曲輪です。
Dsc04098
二段目の西の丸広場です。
Dsc04101
三段目の西の丸広場の案内図でこの左側脇の方に二の丸・三の丸があるみたいです、本丸へは正面の脇を上ります。
Dsc04111
本丸への虎口です。
Dsc04115
本丸の碑です。
Dsc04116
本丸広場です。
Dsc04118
本丸脇から彦根城が良く見えますね。
Dsc04122
千貫井・石垣方面です。
Dsc04129
本丸の土塁に隅石垣が二個残っていました・・・・此処は落城後佐和山城を破却し彦根城築城にリサイクルしたのです・・・・小谷城・長浜城からも移築したみたいです。
城郭の遺構が少ないのは残念ですが山中なので雰囲気は伝わりました、今日は疲れましたが彦根城が待っています。


小谷城跡に行って来ました。

2016-06-10 12:00:07 | 城郭滋賀
2016年6月6日(月)に浅井三代・浅井三姉妹の小谷城跡に行って来ました、JR北陸本線の河毛駅より駅のレンタル自転車で城址を見学、うれしいことに朝早くからオープンしかも見所まで説明を受け行く前からワクワクします。
Dsc03900
小谷山は西尾根(朝倉軍の曲輪)・東尾根(浅井軍の曲輪)真ん中の清水谷が浅井家の居住地からなっています東尾根を見学。
Dsc03947
河毛駅方面から見た浅井軍と織田軍(虎御前山)の配置図で直線で500m4年間の戦いの場所です、駅の案内の方に頂きました。
Dsc03948
駅から城に行く途中の小谷城跡です、東尾根は向こう側のヤヤ平坦な尾根沿いですネ。
Dsc03963
追手道入り口から山中に入ります、急な登り口が続きます・・・・結構な登りですよ。
Dsc03972
金吾丸跡にでました・・・昔佐々木六角との戦いで、朝倉方が味方して作った曲輪、この時の恩が朝倉にあり信長との同盟破棄に繋がりますね。
Dsc03974
金吾丸跡を下ると番所跡~山王丸跡までが連続した山城の縄張りとなります。
Dsc03977
番所跡・・・小谷城の入り口で昔は石垣での構えとか・・・・長浜築城で持っていかれたとか。
Dsc03981
番所から清水谷・・・・織田軍がいる虎御前山が目の前に対峙しています。
Dsc03991
脇の道(横矢がかり)を上ると御茶屋跡・御馬屋があります、此処は水がありました。
Dsc03992
図は下の方が御旅屋跡・真ん中が御馬屋・上が桜馬場で突き当りに黒金門になります。
Dsc04002
右が桜馬場方面で正面が黒金門跡です。
Dsc04004
桜馬場で横に2段で織田軍の見晴らし拠点とか。
Dsc04020
黒金門を上がると井戸があり大広間最大の曲輪です・・・・此処で徳川秀忠夫人お江が生まれたとか。
Dsc04024
大広間の奥が本丸(鐘の丸)天守。
Dsc04026
天守です。
Dsc04032
天守の裏側が大堀切で中丸と区分けされています。
Dsc04044
本丸を回り込み、大堀切から登ると中の丸跡へと出ます、三段の広場からなり石垣で構築してありました・・・石垣は殆ど長浜築城で持っていかれたみたいです。
Dsc04046
中の丸の図です。
Dsc04050
さらに上に京極丸・小丸(浅井久政)と続きます、この京極丸に羽柴秀吉軍が清水谷から急峻な崖を夜襲で上り本丸と小丸を分断落城となりました。
Dsc04055
小丸跡です、浅井久政が自刃、ちなみに浅井長政は黒金門よこの赤尾屋敷にて天正元年(1573)9月1日に自刃・・・・ここに浅井家は滅亡・・・・女子がしっかりと生き延びました。
Dsc04057
いよいよ標高400mに位置する山王丸入り口です、小谷城の詰め丸、石垣で固めた虎口を二重に備えた作りです、今も右側の脇に5mの石垣が現存します。
Dsc04060
此れが現存の石垣です・・・秀吉軍が見落とした????。
Dsc04061
山王丸跡です、此れを過ぎて下ると六坊・月所丸・・・清水谷への下りと大嶽(おおづく)への登りとなります。
この後、佐和山城・彦根城を見たいので虎御前山には行かず下山しました、素晴らしい山城ですこの辺り戦国絵巻の遺構が沢山ありますネ。

草津・長浜城跡に行って来ました。

2016-06-09 15:34:47 | 城郭滋賀
2016年6月5日(日)から8日(水)にかけて滋賀県琵琶湖周辺を巡ってきました、まず草津・長浜城跡に行って来ました。
Dsc03000
滋賀県の草津に3泊しそこを拠点に琵琶湖周辺のお城を巡りました、草津は東海道と中山道の合流地点です、、この角が合流点トンネルが中山道でトンネルの上は草津川の天井川(平地より川が上を流れて居ます、右側と手前が東海道です。
Dsc03001
角に碑があり、右東海道・左中山道とあります。
Dsc03002
トンネル側から見た左側と正面がわが東海道です。
Dsc03003
東海道にある本陣です、皇女和宮も休まれたとか、新選組土方歳三も慶応元年に泊まったとありました。
Dsc03884
東海道の突き当りにある立木神社です。
Dsc03891
6日(月)朝早く、長浜に行きました、羽柴秀吉の長浜城をまず見に行きました。
Dsc03895
長浜駅前を琵琶湖がわに行きます、豊国公園内にある長浜城です、模擬天守ですね、朝が早いので中に入れず城の周りから見てきました。
Dsc03899
城を右回りに見ます、まず駅前正面から。
Dsc03903
少し右側へ。
Dsc03913
琵琶湖です、こちら側は木が多く城が見えませんでした、太閤井戸が水の中にありました。
Dsc03918
それでも回り込み横から見た所です。
Dsc03936
本丸の広場脇から見た所です、織田信長の家来で浅井長政を滅ぼし12万石の城持ちを許されここに城を築いたのです・・・・・此れからJR河毛まで行、小谷城・彦根に戻り、佐和山城・彦根城を見ます、長い1日となります。