メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

平成29年 長崎平和祈念式典(2017.8.9)

2017-08-10 16:40:57 | テレビ
昭和20年8月9日午前11時2分 原子爆弾が炸裂した

放射線、熱線、爆風が人々に襲いかかった
爆心地から1kmにいた人々はほぼ即死
その年だけで7万人以上が亡くなったと言われる

あれから72年






<浦上天主堂>





爆風で倒壊し、1万2000人の信者の約7割が年内に亡くなった
生き残った信者は、その後、教会を再建
今も被爆した信者は500人いる

今日もこの後、ミサが開かれ、犠牲者を追悼する

信者たちは「体験者がいなくなっても、あの日の記憶を未来に伝えたい」と被爆遺功の保存に取り組んできた

倒壊した当時の天主堂の一部



被爆前は「東洋一の大聖堂」と呼ばれた美しい教会だったが
爆風の直撃を受け全壊 鐘楼も下の川で発見された

解体の話が何度もあがる中、保存したいと訴え、去年10月、原爆遺跡となった

 

11時2分に合わせて、教会内で信者たちが黙祷を捧げる



被爆者の一人 白井洋子さん 77歳



5歳の時、爆心地から2.3kmの自宅で被爆
精神的ショックで当時から前までの記憶を失っている



唯一の記憶があの日の光景
焼け野原になった周囲、「水を・・・」と言う人々の顔が今も頭から離れない
この72年間、その記憶と向き合えず、人に話すことを避けてきた

転機となったのは今年4月



被爆者とともに、戦争で爆撃を受けたヨーロッパの教会を巡った
そこでありのままを話す被爆者を目の当たりにし
その熱意は若い世代にも届いていた



白井さんも自らの凄惨な体験にも、平和を伝える力があると気づいた
未来のためにメッセージを伝えなければならないと平和活動に参加することを決意した


<被爆マリア像>





72年前、倒壊した教会から見つかった
爆風などにより顔が焼け焦げている

これをスペインのゲルニカに届けた



1937 無差別爆撃
世界で初めて大規模な無差別爆撃を受けた場所
街は壊滅し、1600人が犠牲になった



2017年4月 サンタマリア教会
爆撃から80年にあたる今年、木彫りで再現したマリア像を現地に届けた






***


<活水中学・高校 平和祈念集会>



被爆した時、旧鎮西学院中学校は倒壊
教職員、生徒、142人が犠牲になった



今日は全校生徒が登校して、平和をテーマにした弁論などが行われる



折鶴を手向けることが毎年の行事となっている

 

移転したこの学校には、被爆した校舎の一部が今も残されている
6年前まで、被爆した校舎がそのまま使われていた
老朽化で取り壊しが決定し、一部を残して欲しいと声があがり、今でも定期的に清掃して保存している




平和学習での弁論
先月から1ヶ月かけて原稿を仕上げてきた
テーマは「自分にとっての平和」

長崎に生まれ育ち、これまで見たこと、聞いたこと、感じたことをまとめた
どう発表すれば、みんなの心に届くのか、原稿を読む練習も続けた

弁論本番

“現在、被爆者の方々は年々減少しています
 だからその方々の話をたくさん聞いて、平和のバトンを受け継ぎ
 身近な人に伝えていけたらと思います”



「平和学習部の活動」
県内で唯一、平和についてのボランティア活動などをしている



高校生1万人署名活動



街の人から核廃絶の署名を集めて、毎年、国連に届けている(素晴らしいなあ

『長崎平和絵本シリーズ6 ふりそでの少女』松添博 作・絵
被爆者が当時の体験を描いた 海外にも伝える活動をしている



47人の部員は7~9日の3日間でさまざまな活動をこなした




***


<「平和公園」での式典の模様>

式典の遺族席はすでに満杯



式典の進行は高校生が務める




被爆者歌う会「ひまわり」による合唱
長崎の被爆者47人からなる合唱団

 

最年長の田川照子さん 92歳



20歳の時、爆心地から1.4kmの病院で被爆
入院していた兄嫁を背負って、裏山に逃げた
歌うたびに、焼け野原になった長崎を思い出す

もう二度と 作詞・作曲 寺井一通

被爆者歌う会「ひまわり」は、学校を回ったり、講演などを行っている


原爆死没者名奉安
この1年間に亡くなられた被爆者と、新たに確認された原爆死没者の名を記した名簿を遺族代表4人が納める

 

名簿には3551人の名前がある
昨年までの方々と合わせると17万5743人となる


市議会議長による式辞


献水
水を求めて亡くなった人たちを慰めるために水を捧げる遺族代表、被爆者代表、学生代表
長崎の東西南北の水と平和の泉の水

 

平和公園にある「平和の泉」の石碑に書かれている文字



「のどが乾いてたまりませんでした。
 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
 どうしても水が欲しくて
 とうとう油の浮いたまま飲みました。」


平和公園・原爆資料館


献花




<今年7月「核兵器禁止条約」が採択された>



核兵器を公的に禁止する条約は世界初
採決の際には、被爆者の貢献が大きかった

一方、アメリカなど核保有国は条約に参加しなかった
唯一の被爆国である日本も参加せず、被爆者を中心に国内外から批判の声が相次いだ

なぜ広がる なぜなくせない “核兵器”ってなんだ!?@週刊ニュース深読み

今年の式典には、世界58カ国の代表が出席することになっている
核保有国5カ国も含まれている

条約の採決の際、中心となって動いたのはオーストリアやメキシコなど核兵器を持たない多くの国々
核兵器を持つ国々が歩み寄らなければ「核廃絶」は実現できない


被爆国であると同時に、アメリカの核の傘に守られている日本に対し
その橋渡しの役割も期待されている

日本が非核化にどうリーダーシップを発揮するのか、改めて世界から問われている


(暑そうだな
 会場には安らかな音楽が流れてるのね


黙祷
全員が起立して11時2分に黙祷が捧げられる
黙祷の間ずっと平和の鐘の音がカランカランと鳴っていた




長崎市長による「長崎平和宣言」



国連などをはじめ、ネットを通じて全世界に発信する
(それはいい試みだ やっとITが平和的な役目を果たせるね

市長の隣りには手話の人がいる
外国の方には通訳はないのかな?

“人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。
 語るためには思い出さなければならないからです。

 それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、
 人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 世界中の全ての人に呼び掛けます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。
 戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。 ”




鳩さんが一斉に放たれた


被爆者代表・深堀好敏さん(88)による「平和への誓い」

 

深堀さんは16歳の時に被爆 2つ年上の姉を失った
その後、40年にわたり被爆地の写真の収集をしてきた

言葉を超える力 原爆写真 深堀好敏の軌跡
「写真は強い訴求力を持っている。言葉を超える力があると感じるんですよ」

“長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。
 ようやく辿(たど)りついた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。

 その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。
 あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。

 涙があふれ出るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。
 ここ平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。

 たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。
 あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、
 得体のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。

 なんと恐ろしいことでしょう。
 私は「核は人類と共存できない」と確信しています。
 地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。
 原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。


 私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、
 これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。
 原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、
 世界の恒久平和と核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います。”



児童合唱
城山小学校児童50人が歌う



子らのみ魂よ 作詞 島内八郎 作曲 木野普見雄
めぐりきぬ この月 この日
思い出は 白雲の かなた
ひらめきの またたく ひまに
声もなく 空しく 散りし
先生よ 子等の み魂よ


来賓の挨拶 安倍晋三



“唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を絶え間なく積み重ねていくこと。
 それが今を生きる私たちの責務です。
 わが国は非核三原則を堅持し、双方に働き掛けを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。

 被爆の悲惨な実相に触れ、平和への思いを新たにする。
 若い世代が、被爆者の方々から伝えられた体験を語り継ぐ。政府として、そうした取り組みをしっかりと推し進めてまいります。

 核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が
 意義あるものとなるよう、積極的に貢献してまいります。
 原爆症の認定について、引き続き一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。”

(他人事のように聞こえる・・・あの原稿は自分で考えて書いただろうか?

条約についての言及はなかった


国連事務総長の挨拶
中満泉事務次長が代読
今年3月、日本人女性として初めて国連軍縮担当のトップに任命された



(彼女は英語でスピーチを始め、これまで意味が分からなかっただろう
 外国のトップにもキチンと呼びかけないとねと思ったら、
 日本語で代弁しますと説明しただけで、あとは日本語だった
 でも、よく見たら、イヤフォンで同時通訳を聞いているのかな



“ニューヨーク国際連合本部の総会会議場のすぐ外に、
 1945年に原爆によって崩壊した浦上天主堂で見つかった、焼けただれ、傷ついた聖アグネス像が立っています。
 この像は、核兵器の恐怖と破壊力を、私たちに静かに、しかし永遠に伝えています。

 近年、核兵器のない世界への道は、数多くの難題に直面しています。
 20年にわたり、多国間軍縮交渉は停滞し、残念ながら、多くの費用をかけて、核兵器の近代化が進められています。

 そして近年においては、核兵器廃絶への方策を巡って、各国の意見の違いが拡大してまいりました・・・

 2017年8月9日、国際連合事務総長、アントニオ・グテーレス。”


長崎県知事 中村法道 挨拶



純心女子高校の学生による合唱

「平和の泉」には千羽鶴が飾られている
今日、ここを訪れた人々が奉納した

毎年、この日に合わせて、全国からたくさんの千羽鶴が長崎に送られ、メッセージも添えられている
「核の無い、平和な世界になりますように」という文字が映された

千羽鶴

被爆50周年の記念合唱曲として制作された
歌詞は全国から募集し、そこから選ばれた千葉県の横山鼎さんの作品
曲は長崎市出身の作曲家・大島ミチルさん(純心女子高校は母校)

 

平和への誓い新たに
緋の色の鶴を折る
清らかな心のままに
白い鶴折りたたみ
わきあがる熱き思いを
赤色の鶴に折る


 



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