哲学的(育児)日記

テツガクテキって……? まぁ、深くは追求しないで。

トイレにて

2006-01-31 17:34:23 | 子供の領分
オムツ生活を送るおチビは、トイレトレーニングもまだなので、自身がトイレに行くという習慣はない。だがなぜかおチビは人のトイレには必ずついて来る。まだおチビが赤ん坊だった頃、おチビ一人を残してトイレに行くとおチビが泣くので、自分が用を足す時に連れて入ったのが最初で、それ以来おチビは人のトイレに必ずついてくるようになった。こは私にだけというのではなく、家族の誰のトイレにもついて入る。たまに入れてもらえずに、トイレのドアの前で泣いていることもある。
小さい子供は,トイレに行くのを最初は怖がるものだ。こうしてトイレに入ることに慣れておけば、いざおチビをトイレに座らせる時も抵抗がなくなるかも知れない。そんな目論見もあって、トイレに行く時は必ずおチビに一声かけることにしている。
「おかあはトイレに行くけど、Aも行く?」
するとおチビは決まって「うん!」と言って、自分が先頭に立ってトイレに入る。トイレには、おチビ用の折りたたみ式補助便座が置いてあるが、この踏み台部分がおチビが腰掛けるのにちょうど良い高さなので、ここがおチビの指定席だ。トイレに入るなり、おチビは便器の蓋を開けるようにこちらに促すと、自分はそそくさと定位置に腰を下ろす。そして「鍵をかけろ」とドアの取っ手を指差し、こちらの用が済むのが分かると、トイレットペーパーを指差して、仕舞にはご丁寧にズボンまで上げてくれようとするのだ(だがこれは、身長と力が足りないので実際には果たせないのだが)。おチビが一緒に入るようになって以来、ゆっくりトイレに座っていることができなくなった。
さらに今日は、新たな発見があった。いつものように便座に腰を下ろしていると、おチビが何かを指さして「とうとう、とうとう」と言う。「とうとう」とは夫のことだ。なんだろうとおチビが指差すものを探すと、それはどうやらウォシュレットのボタンのようだった。
「このボタン?」
指差して聞くと、おチビは「うん」と言う。そして再び「とうとう」と繰り返した。さてはおチビ、夫がこのボタンを押すところを目撃したらしい。
「そう,おとうがこれ使ってるの」
「うん」とおチビが頷いた。すると今度は、また同じ方を指差しておチビが「かあかあ」と言うではないか。見るとそこにはウォシュレットのブルーのボタンの隣りにピンク色のビデのボタンがある。
「このボタンは、かあかあなの?」
「かあかあ、かあかあ」
そうだと言うように、おチビはしきりにそう言った。確かに、夫が使うボタンではない。でもおかしいなあ。ビデを使って見せた覚えはないんだが。

プール検定

2006-01-30 18:22:24 | Lesson
先週木曜から昨日の日曜日まで、娘は実質4連休を過ごし、今朝とうとう学校へと出かけて行った。それだけ休んでも風邪はまだ完全には治っていないようだったが、これ以上休んでいても仕方がない。それに今日は、木曜日に休んだプ-ルの振替日だったのだ。
この一週間はスイミングの2ヶ月に一度の検定日で、早く進級したい娘にとってこの検定を逃すのは大変辛いことだった。これを逃すと3月まで進級のチャンスはお預けとなる。学校を休むことは万々歳の娘も、この検定だけはどうしても受けなければならなかった。
ごねることのない娘だが、学校を休んだ木曜日、スイミングに休みの電話を入れた時はさすがに堪えたようで、恨みがましく一言ぽつりと「プール行きたいな」とつぶやいた。
「学校休んでプール行く人がありますか」
そう言いながらも、娘の心のうちは痛いほど分かっていた。熱もほとんどないし、検定だけは受けさせてやろうかと心が揺れたが、娘の咳を聞いて思いとどまった。これで体調をさらに悪化させるなど本末転倒ではないか。電話では、スイミングの検定は30日まで受けられると言っていた。今は風邪を治すことが先決だ。そうして練習日振り替え期限の昨日まで娘の様子を見ていたが、完治しないまま駆け込みで振替申し込みをしたのだ。
そして今日。娘は学校から帰るなり「Hちゃん、検定受かったんだって!」と叫んだ。同じスイミングに通うクラスの友達が、木曜日に受けた検定で一足先に合格したと聞いたらしい。
「絶対はずせないじゃん! 落ちたらHちゃんに抜かれちゃうよ」
Hちゃんは、娘より2月ほど後にスイミングに入って、今は同じクラスということだ。娘には娘なりのメンツというものがあるらしい。
「じゃあ,がんばって検定受かってね」
まだほんの少し残る咳が気になったが、もう娘を止めることは出来まい。そう言ってやる気満々の娘を送り出した。
娘が出かけた後、おチビの相手をしながら夕飯の支度をするも、何となく娘のことが気になっていた。あれほど意気込んでいたけれど、体調が万全でないところに検定を受けて、満足な成果を上げられるのだろうか。しょんぼり肩を落として帰ってくる娘の姿が脳裏を掠めて、少し暗い気分になる。いや、こちらの体調が悪いせいで、ナーバスになっているだけだ。娘を信じて待とう。
5時15分、エントランスのチャイムが鳴った。帰ってきた娘の表情が何だか暗い。
「水着を洗濯かごに入れておきなさーい。検定はどうだった?」
出来るだけさり気なく、娘に声をかける。聞いても娘は即座に答えない。やや、ダメだったのか?!
「どうだった,検定?」
気を取り直して再び訪ねると、娘は一言「受かった」。
なんだよー、だったら最初からそう言えよー。この娘、親をたばかったか。
「良かったね、またHちゃんと同じクラスで」
「ほんと,良かったよー」
そう言うと、娘は濡れた水着を置きに行った。それにしても、あの元気の無さげな表情は,親をたばかるだけのものだったのだろうか。そのことが気になったが、戻って来るなり娘がこう聞いてきた。
「お母さん,お母さんはどうだと思った?」
「どうって?」
「Kが検定受かると思った?」
この娘、おかしな質問をする。
「Kなら大丈夫だと思ってたけど、体調が十分じゃなかったから、それでどうかなと思って心配したよ」
それを聞いて、娘は初めてにっこりした。子供は,親が思ってもいないことを気にするものらしい。

秩父へ

2006-01-29 18:21:20 | おでかけ
今日は、秩父へドライブに行った。昨日も遠出をしたばかりで物好きなことだが、風邪が治りきらず外で遊べない娘たちが丸1日家でくさっているところに居合わせるのは、こちらが辛かった。幸い娘の熱は平熱に戻っており、あとは少し出る咳が収まれば良いところまで来た。おチビの熱っぽさもなくなったので、秩父へ湯治に行くことにしよう。今日も仕事の夫を仕事場に送った帰り道、ふとそう思い立った。
「温泉? いいねえ~」
今日1日何をしようかと頭を悩ませていた様子の娘に、温泉ドライブのアイディアを提案すると、娘は一も二もなく賛同した。風邪で湯治など、聞いたことはないが、まあ細かいことは気にしない。家に着くなり、子供たちは車で待たせたまま、タオルやら着替えやら途中の飲み物やらを鞄に放り込むと、車に取って返し、いざ出発だ。
今日は林道と山道が楽しい県道53号線ではなく、正攻法の国道299号線を選んだ。天気もよく暖かい行楽日和にしては、道は意外に空いている。いつの間にか走り慣れた秩父方面への道を、気分よく武甲温泉に向けて車を走らせた。武甲温泉は結婚する前に何度か訪れたが、子供が生まれてからは初めてだ。武甲温泉は,武甲山の麓にある単純硫黄泉で、横瀬町に日帰りで利用できる温泉施設があった。残念ながら泉温が低いのでかけ流しではないが、たしか露天風呂もあったはずだ。露天風呂が大好きな娘と行くには打って付けだろう。
「温泉、久しぶりだね」
後部座席の娘がウキウキとした声で言う。
「そう? このまえ箱根に行ったばかりじゃない?」
「あ、そうだった」
えへへ,と笑う娘。まったく、どこかへ連れて行っても子供の記憶などこの程度だ。とは言えこちらの好きで娘を連れ回しているのだからお互い様かも知れない。
「今日の温泉は露天風呂もあるよ」
「やったー!」
娘が露天風呂が好きな訳は、温泉好きと言う割にはかなりの熱がりで長く湯につかっていられないからだ。温泉に到着して、内風呂で程よく体を温めると、早速露天に出た。冬の秩父の空気はさすがに冷たいが、日差しは暖かくお湯がキラキラと光っている。
「気持ちいいねー」
「お父さん,来れなくて可哀想だったね」
たしかに、今家族の誰より温泉に浸かりたいのは夫かも知れなかった。この場に来られなかったのは気の毒だが、せめてこの娘の言葉を夫に聞かせてやりたいと思う。
「また,みんなで温泉に行こう」
そう言うと、それまでおとなしく抱かれて湯に浸かっていたおチビが「うん」と頷いた。

犬吠埼へドライブ

2006-01-28 18:20:13 | おでかけ
最近、週休一日が定着した夫は、休日になるとどこかへガス抜きをしに行かずにはいられない体質になってしまったらしい。今朝も「どこかへ行こう」と車を出したが、結局犬吠埼まで足を伸ばした。もう10日ほど続いている我が家女3人の体調不良で、今週末の外出は難しいかと思っていたが、夫のストレスの方がそれに勝っていたようだ。
正月過ぎて最初の給料日後の休日、北へ向かう道路は混んでいるようだったが(スキー渋滞?)、東関東道は寂しいくらいに空いていた。「昨日はおチビが熱っぽかったから、外をうろうろするのは無理」と釘を刺しておいたので、夫は専らドライブに徹するつもりなのだろう。途中、銚子港近くにある食堂で寿司とアジのナメロウという豪勢な昼食をとった他は、休みもせずにひたすら走る走る。その間、おチビはグウグウ眠り、娘もしりとりなどしていたが、そのうち飽きて寝てしまった。ここでよく寝て、風邪を治して欲しいものだ。娘2人の寝顔を見ながらそう思う。
「犬吠埼」は千葉県銚子市にある岬で、その突端に日本最初の回転式灯台がある。「いぬぼうさき」と入力したら「犬吠埼」と変換されたので「おや?」と思い、地図を見ているとやはり「犬吠埼」となっている。こちらはずっと「犬吠岬」と思っていたので、すっかり勘違いをしていた。この程度の知識だから訪れても有り難みがないが、この犬吠埼にある灯台は1874年に立てられたと言うから、出来て100年以上になる。陽光に白く照り映える外観は、それほどの風雪に耐えてきたようにはとても見えない。31.57mという建物の高さは、レンガ造りの建築物としては日本一だそうだ。残念ながら、この日は中に入らなかったのだが、99段の螺旋階段を昇って灯台上から海を眺めることも出来るらしい。
幸い風が止んで日差しも暖かかかったので、磯伝いに延びる遊歩道を散歩することにした。海へと続く階段を下ってゆくと、岩場の波打ち際まで降りることが出来る。それとは反対の方向へ続く遊歩道では、打ち寄せる波が砕けて道に吹き上げていた。あそこまで歩いて行ったら、全身びしょ濡れになりそうだ。磯を打つ波が珍しいのか、おチビが遊歩道の鉄さくに掴まって飽きずにじっと海を見下ろしている。そういえば、おチビがこうして海を見るのは初めてのことだ。
「波がザーザーって言ってるね」
そう話しかけると、おチビは嬉しそうに「うん」と言った。まだおチビが赤ん坊だった一昨年の夏、やはり房総にドライブに来たことがあった。その時おチビはずっと海の家で眠っていたが、今年の夏は海遊びが出来るだろう。
娘は岩場の間に貝のかけらを探したり、きれいな小石を拾ったり、打ち上げられた大クラゲを見つけて悲鳴を上げたりしてはしゃいでいた。この娘は、自然の中に放すと本当に生き生きとする。たったこれだけの遊びだが、来て良かったと思う。親の好みで普段は山ばかり出かけているが、こうして見ると海も良いものだ。

刺繍

2006-01-27 18:19:12 | 娯楽
今日も大事を取って、娘は学校を休んでいた。が、寝込んでいる訳ではないので、さすがに時間を持て余してしまった。しょうがないので、刺繍をさせてみることにする。先週末、近所のHちゃんのお家でミサンガを作ったのが気に入ったらしく、娘はそれを作るための刺繍糸を欲しがっていた。だがミサンガばかり何本も作ったところで所詮ゴミになるだけなので、どうせならもう少し手先を使うことにチャレンジしてみるのも良いだろう。100円ショップで、色とりどりの刺繍糸が数束セットになったものを買い、使っていなかった夫の白いハンカチを探し出す。鉛筆で簡単な図案を描き、丸い刺繍枠をはめると、娘が興味津々で覗き込んできた。
「じゃあ,刺繍糸を用意しようか」
糸を適当な長さに切って、6本取りの糸を1本1本に分けてゆくのは意外に手間のかかる作業だ。細い糸が縒り合わさっているので、無理にほどこうとするとあっという間に絡まってしまう。
「刺繍糸は撚ってあるから、それをすこし反対向きに撚るとほどけやすくなるよ」
もともと手先を使うことが好きな娘は、すぐに夢中になり刺繍糸と格闘し始めた。途中何度か糸を絡ませ「キー!」と奇声(?)を上げながらも、解けた糸を再び束ね刺繍針に通すまでやってのけた。
「じゃあ,最初は簡単なステッチね。ステッチの幅が同じになるように、ステッチとステッチの間に隙間が出来ないように気をつけて」
不揃いなステッチを、慣れない手つきでチクチクと刺していた娘も、小さな図案をいくつか刺すうちに要領を得たようで、「今度は自分で図案を描く!」と葉っぱやスイカの絵を描き、糸を選んで刺し始めた。
「ねえ,お母さん、これどうやって刺すの?」
半月型のスイカの果肉部分を赤で塗りつぶしたい娘に、今度はサテンステッチを教える。
「なかなか上手じゃない。ちゃんとスイカに見えるよ」
そう褒めると、娘は嬉しげに笑った。
「刺繍,すっごく楽しい。また今度、ヒマになったらやろうっと」
‘すっごく楽しい’と‘ヒマになったらやる’は表現としてどう受け取っていいか一瞬迷うところだが、まあ世の中には‘手慰み’という言葉もある。刺繍とはまさに、そうした場合には打ってつけの作業なのだ。


娘、初の早退

2006-01-20 18:18:07 | 健康第一
昼過ぎ、おチビを昼寝で寝かしつけていると、リビングで電話が鳴った。が、後もう少しでおチビが寝入りそうという微妙な時は、‘只今取り込み中’と電話は無視させて頂くことにしている。かけてきた人には申し訳ないが、こういう時はおチビ優先だ。
漸くこれでおチビも眠りに落ちたとベッドをそっと離れたとき、再び電話が鳴る。何だか嫌な予感がするぞ。そんな気持ちで受話器を取ると、娘の通う小学校の保健室の先生からだった。
「Sさんのお宅ですか? Kちゃん、熱が38.9℃あるので、お迎えに来て下さい」
初のお迎え要請だ。驚いた。今朝の娘は少し咳をしており、表情もなんだか冴えなかったが、学校を休むほどではないだろうといつも通り送り出したのだ。それが保健室から呼び出しとは、どうやら娘の体力を買いかぶりすぎていたらしい。ふと気になって携帯を見ると、2件も非通知電話が入っているではないか。こんなところでも嫌な予感が的中だ。何故気付かなかったんだろう。急いで出かける支度をしていると、物音で気付いたのかおチビが目をこすりながら起きたきた。仕方ないのでおチビにも上着を着せ、車に乗り込む。判断を誤ったり、何かに気付かなかったり頭が回らないのは、この後体調が悪化するというサインかも知れない。これは気をつけなくてはと、少しぼうっとする頭を振ってぎゅっと目を閉じる。事故を起こさないようにと、いつもよりハンドルを握る手に力が入った。
車なら、学校へは1分とかからない。校門脇に車を着けると、おチビを抱っこして、昇降口から靴下のまま校舎1階の一番奥にある保健室へと急いだ。リノリウムの床が冷たいので、自然と足が小走りになる。保健室のドアをノックし中に入ると、紅い顔をした娘がベッドに横になっていた。
「どうした、大丈夫?」
視線だけこちらに向けた娘は、なんだかしょげ返っている様子。体調が悪いというよりも、そのことで心細い気分になったようだ。
「Kちゃんのお母さんですか? 熱を測ったら38.9℃あって。お家でゆっくり休ませてあげて下さい」
40代くらいの保健の先生が、やって来てそう言った。こちらは3度も電話を無視したことが後ろめたかったが、先生の気さくな感じはそれを全く意に介していないという風で、少し救われた気がした。懇ろに礼を言うと、既に用意されていたランドセルを担ぎ、娘を連れて保健室を後にした。
まだ5時間目の授業中でしんと静まり返っている廊下をそっと歩いて昇降口まで来ると、娘が靴は教室にあると言う。取りに行かせると、娘は靴を手に勢いよく駆け戻ってきた。
「なんだ、元気そうじゃない。これなら5時間目の授業を受けてから帰っても良かったんじゃない?」
「うーん、でもちょっと頭が痛いかな」
熱のためか頬を赤くして娘はそう言うと、車に乗り込んだ。調子の良い娘のことだ、一度早退がしてみたかったに違いない。

箱根

2006-01-15 18:17:12 | おでかけ
今日は箱根へ日帰りドライブに行ってきた。
箱根へ行くのは何年ぶりだろう。箱根は大好きだが、如何せん休日の箱根は道が混む。結婚して移動の手段が車となってからは、殊に渋滞嫌いの夫の意向で、近くを通ることはあっても箱根そのものが目的地になることはなかった。それが何を思ったのか、夫が急に「箱根でも行こうか」と言い出したのだ。珍しいこともあるものだと思いながらも、このチャンスを逃してなるものかと、一も二もなく賛成する。「温泉がある」と聞いて、娘もすっかり出かける気になったようだ。 
その日の朝の思いつきで出かけるのが我が家の常だが、この日も出かけたのは午前10時半。それが午後の1時には箱根に居たのだから驚きだ。「正月明けは、意外に道が空いてるんだ」と夫は得意げに言った。なるほど確かに箱根とは思えない道の空き方だ。箱根湯本駅周辺はさすがに若干混んではいたが、その先の道はガラガラだった。だが、残念ながら芦ノ湖は小雨交りの天気。小田原はよい天気だったのに、やはり箱根は山なのだ。遊覧船は諦め、雨の振る元箱根を避けて桃源台まで車を走らせると、幸いこちらはまだ曇り空だった。
「ロープウェイに乗ろうか」
「乗る!」
夫の誘いにすかさず叫んだのは、乗り物好きの娘。早速、車を無料駐車場に停め、桃源台駅で大湧谷までの往復切符を購入するとロープウェイに乗り込んだ。
9人乗りのゴンドラは、家族貸し切り状態。生憎の天候で見通しは利かないが、それでももと居た方を振り返れば芦ノ湖を望むことが出来た。このロープウェイ(箱根ロープウェイ)は、芦ノ湖側の桃源台駅から、大湧谷を頂点にその先早雲山を結ぶ、箱根観光の重要な足の一つだ。時間があれば箱根湯本に車を置いて、登山鉄道で強羅まで上りケーブルカーで早雲山へ、その先はロープウェイで芦ノ湖に抜けても楽しかったに違いない。天気がよければ遊覧船に乗り、元箱根からバスで湯本に戻る。おチビがもう少し大きくなったら、次に箱根に来た時はそのコースにしようと心に決めた。
硫黄の香り漂う大湧谷駅は、「谷」というのに標高が1044mもある。晴れていれば良い眺めであったろう展望レストランで遅めの昼食をとると、歩いて数分のドライブインまで名物「黒たまご」を買いに行くのは雨降りなので諦めて、再び下りのロープウェイに乗った。少し急ぎ足なのは、帰る前に温泉に浸かるためだ。時計は午後3時半を指している。日帰り入浴にはギリギリの時間だ。
桃源台に来る途中目にした「家族貸し切りOK」という看板をたよりに、「山越旅館」という温泉宿を訪ねると、宿泊客の入浴時間一歩前で間に合うことが出来た。露天風呂もあったが、おチビも居ることなので暖かい内風呂を貸し切りにしてもらう。
「わーい,温泉だー!」
すぐにのぼせる割には温泉好きの娘が、小躍りしている。最初警戒していたおチビも、姉のヨロコビぶりを見て安心したようで、危なっかしく湯船の中を浮かれて歩き回り、危うく溺れそうになった。飛び込みで入った温泉宿だったが、姥子の天然温泉は全く申し分がない。大人5人がゆったりくつろげるほどの広さの内風呂の縁に、夫はのびのびと仰向けに横になっていた。
「家族貸し切りじゃなきゃ、こんなことできないよなー」
確かにそうだ。そして、言うまでもなくウチの風呂でもこんなことは出来ない。
温泉で暖まった身体は、信じられないことに帰宅してもそのままだった。温泉に入るとはこういうことかと、改めて思い知る。また行こう。素晴らしきかな、箱根。

お父さんを迎えに

2006-01-14 18:15:00 | 子供の領分
今日も出勤だった夫が、午後8時には上がれるから迎えに来てほしいと連絡が入った。
車で15分ほどのところにある夫の仕事場は、電車で行くとなぜか1時間かかるというミステリースポットにあるので、まだ子供が起きている今日のような日は車で迎えに出ることになる。
時計を見ながら夕飯の支度をし、おチビに上着を着せ娘を促し、8時ちょっと前に仕事場に到着できるように車に乗り込む。途中国道から混雑を避けて脇道に入り、2つほど信号で止まりながらも、予定通り2分ほど前には仕事場の前に到着した。到着直前に、娘に携帯で「もうすぐ着くよコール」も入れさせてある。ああ、スムーズに事が運んだ時の気持ちよさよ。だがこんな日に限って、夫は時間を過ぎても現れない。
「まだ来ないねえ。遅いなあ」
仕事場の門が見える道路の反対側のいつもの脇道に車を停め、車内の窓から娘と2人で夫の姿を探す。
「うん、そうだねえ」
そういえば、まだおチビが生まれる前、娘が保育園に通っていた頃は、夜の10時にこうして毎晩夫を迎えにきていたものだった。大抵夫は時間には現れたが、時には何の連絡もなく15分やひどい時には30分も待ちぼうけを食わされたこともある。人を迎えに呼んでおいて、しかも自分の指定した時間に現れないとは何たることかと、その時は娘と一緒に大いに文句を言って暇をつぶしたものだった。
「お父さん、遅い! コラー!何してるんだー!ガー!」
怒っているようで(「ガー!」も本当にそう言っている)、どこかそう聞こえない娘の文句だ。 
「しょうがないから、お父さんを置いて帰っちゃおうか」
冗談でそう言うと、今度は娘は「それはかわいそう……」と我に帰って本気になるところがまた可笑しい。この悪習(?)は娘が小学校に上がる直前、おチビを妊娠してその臨月を機に幕引きとなったが、それまでの5年間よく続けたものだと懐かしく思い出した。
「お父さん,まだ来ないね」
門を見つめながらそう言う娘に「しょうがないから、お父さん置いて帰っちゃおうか」と言って娘を見る。ハッと黙ってしまうと思いきや、今日の娘は違っていた。
「お父さんは、電話を切ってから靴を履き替えたり、階段を下りたり、出てくるまでいろいろ大変なんだよ。帰ったらかわいそうだよ」
驚いた。娘よ。1年もしない間に随分成長したものだ。

ハイチュウ

2006-01-12 18:14:00 | おもしろことば
「ハイチュウ」と聞くと、森永のソフトキャンディーが先ず最初に浮かぶが、この「ハイチュウ」はそうではない。これは有潤語の一つで、たとえば欲しがっていたお茶をおチビに与えた時、またおチビが手の届かない物をこちらが取って渡してやった時、おチビは「ハーイチュウ~」と言う。状況からして、お礼の謂であると推察される。なぜ「ハイチュウ」なのかは良くわからないが、あるいは「サンキュー(Thank you)」が元になっているのかも知れない。まだ舌足らずだからこうなるのか、それともおチビの耳にはそう聞こえたのか、いずれにしてもおチビにとっては「ありがとう」という言葉を真似るよりも、こちらのほうが恐らく簡単なのだろう。だが何かしてやった時にこのおチビののんびりとした「ハーイチュウ~」を聞くと、思わず和んでしまう。こう言う時の本人は至ってまじめなところが、なおのこと良い。
ジョン万次郎が‘What time is it now’を「掘った芋いじるな」と聞いて200余年、その語の正確な発音は問わず、とりあえず‘耳に聞こえた通りに’覚えるというのは、コミュニケーションツールとしての外国語を学ぶのに一つの有効な方法だ。考えてみれば、子供は全く未知の言葉を前にしている異邦人のようなものだ。しかも先行する母語を持たない特異な立場でおチビが‘Thank you’を「ハイチュウ」と聞き取ったとしたら、それはそれで上等というものだ。却って意味に左右されないその音の自由さは、聞いているこちらの言語観を気持ちよく破壊してくれる。いずれおチビも成長して、日本語のシステムに同化してゆくだろう。それが正常な成長というものだし、その土台がなければ幸福な社会生活を営むことは困難だ。だがそうなる前の貴重なこの時期、おチビから繰り出される音と意味との愉快なコラボレーションを、こちらは密かに楽しむとしよう。

 ほったいもいじるな

 関係ないけど、とても楽しいブログ見つけました。

再び風邪

2006-01-11 18:11:48 | 健康第一
久しぶりの早起き生活が応えたのか、朝から寒気と頭痛がする。年末の風邪はもう治ったはずだったが、乾燥するこの時期、風邪の菌などそこら辺にウヨウヨしているだろう。おチビを抱えて寝込むことは出来ないので、風邪は引き始めが肝心と今日はおチビを巻き込んで朝寝することにした。娘を送り出してから、夫を車で仕事場に送って帰ってくると、上着を脱ぎながらおチビに言う。
「さーて、朝寝しようか」
おチビが「うん」とうなずくと、二人して服のままゴソゴソとベッドに潜り込んだ。最初はヒヤッとした布団も、おチビとくっついていると直に暖かく快適になった。体調が悪いこともありすぐにとろとろと寝入りそうになるが、見るとおチビも同じようにウトウトしている。こちらが眠ってしまい、取り残されたおチビがグズったらどうしようという心配はどうやら無用だったようだ。あるいはおチビも、今日は朝寝がしたい気分だったのかも知れない。朝からよく寝る日がたまにあるのだ。今日から娘は通常の5時間授業なので、帰宅は3時を過ぎるだろう。休み明け早々娘には大変なことだが、起きる時間を気にせず休むことが出来るのは、こちらとってそれだけで有り難かった。
それにしても年末に引き続き,再び風邪を引くとは何たる不覚。正月以来の休み気分が抜けないから、こんなことになるのだ。気分の悪さから、そう自分に向かって悪態をつく。いや、娘の学校が始まる以前に夫の仕事が始まってもう1週間になるから、モードは既にウィークディだ。けれどもエンジンの回転数が上がりきらないのは確かだった。生活は日常に戻っても、頭の方はやはり休みボケなのか。いや、そもそも自分にはウィークデイと休日の明確な境界などないのであって、あるのは‘夫の’休み明けであり、‘娘の’休み明けだけなのだ。……そんなことをつらつらと考えるうちに、いつの間にか意識がなくなった。
結局,午前中いっぱい朝寝をし(目が覚めたのは、おチビが寝ぼけておっぱいでグズッたからだ)頭痛は収まったが、午後は床を起き出したもののどこか寒気が抜けないままだった。おチビも1日オトナシく過ごしたが、お腹が緩いところを見ると、どうやらおチビも風邪気味だったらしい。可哀想なことではあるが、しかしこちらの体調がすぐれない時に下手に元気で騒がれるのでなくて正直助かった。エンジンが温まらないのは、きっと体調のせいだろう。午前中ゆっくり眠ったからか、そう気を取り直す元気だけはなんとか出てきた。今は粛々とこの風邪を追い払って、また自分の日常を取り戻そう。

2学期後半

2006-01-10 18:10:42 | Schule
今日から娘の2学期後半が始まった。
‘2学期後半’とは耳慣れない言葉だが、T市の小中学校は2学期制なのでとりあえずこう呼んでおいた。が、年明け以降の期間が、実際どういう名目なのかは不明だ。
学校嫌いの娘は、2日ほど前から2学期後半の始まりを嘆いていたが、意外にも朝は自分から目覚め、朝食もしっかりと摂って元気に出かけて行った。久しぶりの朝起きで、遅刻するのではないかという不安が、娘にとっては却って良い緊張をもたらしたようだった。学校が嫌いと言うが、家族とだけの時間に飽きて、そろそろ友達とも遊びたい気分になっていたようだったから、休みが明けて結構なことだ。何しろ今年度の冬休みは、12月23日の天皇誕生日から、年が明けて1月9日の成人の日まで、たっぷり18日間もあったのだから。
娘ではないが、こちらも昨晩ばかりは少々緊張して床に就いた。休みとなると,どうも気が緩んで普段より1時間はのんびり過ごしてしまう。この休みボケの身体が、急にまた6時半起きの生活に戻れるかはかなり怪しい。目覚ましをセットし、念のため携帯電話の目覚ましもセットして、午後11時には灯を落とした。だが娘同様やはり前夜の緊張が効いたのか、目覚ましが鳴る少し前に目が覚めた。人の体とは不思議なものだ。不規則な生活を送っている自分の体内時計はかなり狂っているはずなのだが、よほど疲れていない限り狙った時間に目が覚める。タイマーで電源がON になったようなところが、ちょっと気味が悪い。
それにしてもこの長期の冬休みは、娘にとっては初めての経験だった。保育園時代の正月休みは、あってもせいぜい一週間。休みに入る前は、この長い休みを娘に一体どう過ごさせたものかと思いあぐねもしたが、いざ休みになってみると、クリスマスに年越し正月とイベントが続いたこともあり、意外に退屈する暇がなかった。もう少しやり残したことがあったのではないか。アイススケートや映画(「ハリーポッター 炎のゴブレット」!)など、折に触れ行きたいと娘は言っていたが、まだおチビが小さいという理由でどちらもまだ果たせずにいた。せめて映画くらいなら、なんとかなったのでは?
だがそんな想いも、娘が「行ってきまーす」と元気よく出かけ、ドアの閉まる音が収まった後の静まり返った部屋で独り(いや、おチビがいるから2人だ)になると、スウッとどこかへ消えてしまった。窓から暖かな朝の日差しがキラキラと差し込み、思わず「うーん」と伸びをする。ああ,この静寂。漸く静かな日常が戻ってきた。

あけぼの子供の森公園

2006-01-09 18:09:30 | おでかけ
今日は、昨日立ち寄った「あけぼの子どもの森公園」へ再び出かけた。あの後、ムーミンの家がすっかり気に入ってしまった娘は、「明日もここに来たい!」と翌日の予定を決めてしまったからだ。
「Kね、飯能に住んだら、夏休みは毎日ここにくるんだ。お母さんは、Kが遊んでる間、本を読んでればいいよ。あ,でも自転車で来れるかな」
まだ飯能に住むと決まった訳でもないのに(一度は決まりかけたのだが、また不確定になってしまった)、娘の頭の中では、勝手な夢がむくむくとわき上がって抑えきれないようだった。朝、夫にその話をすると、娘がそれほど気に入った公園が見たくなったのか、早速出かけることになった。
ムーミン屋敷がある「あけぼの子供の森公園」は、一見テーマパークのようだが、実は飯能市が建設した公共施設だ。平成9年に開園したと言うから、出来てもう9年になる公園なのに、市の公園のためか大した宣伝もされず、こちらも友人に教えられるまでその存在に気付きもしなかった。キノコを二つ合わせたような外観を持つムーミン屋敷は、地下室から展望階段までの5層構造。内階段の他に、2階と3階をつなぐ外階段もある。材質は無垢材と塗り壁。至る所にある変形小窓は全て木枠で木製の鎧戸が付いており、キッチンのシンクはちゃんと水も出る。構造にも素材にもこれほど凝った造りの施設が無料で利用できるとは、全く驚きだ。3階部分のムーミンの部屋(子供部屋)は、子供がよじ上ったり潜ったり隠れたりすることの出来るスペースがあり、どの子供もこの部屋へ来ると大喜びではしゃぎ回っている。かく言う娘も、この階が一番のお気に入りらしい。さんざんあちらに上りこちらに潜りして足が冷えると、1階の暖炉に暖まりに行く。所沢市より3℃は寒い飯能も、この暖炉があれば快適だ。この暖炉は、12月から3月上旬まで休日を中心に火が焚かれているそうだ。円形の建物に天然素材の内装は見ても触れても心安らぐ造りで、娘が「ずっとここに居たい」と言うのも何となく分かる気がする。
とはいえ、いつまでもそこに居るのは大人にはさすがに手持ち無沙汰なので、未練たっぷりの娘を連れて、他の施設ものぞいてみることにした。公園には、ムーミン屋敷の他に、これまたムーミンの世界から出てきたような資料館や小さなホールなどがある。今日はたまたま伝承遊びのイベントが開かれており、羽根つきやコマ回しやけん玉などが楽しめるようになっていた。これは夫の得意分野で、コマ回しやけん玉など、その腕前を披露しては大いに娘の称賛を浴びてすっかり気を良くし、いつの間にか一緒になって遊んでいる。保育園時代にさんざんコマ回しをした娘は、あっという間に糸を巻いては器用にコマを回した。こちらも負けじと挑戦したが、昔取った杵柄、何度か失敗するうちに漸く回すことが出来、なんとか面目を保つ。
「これから凧作りをするので、作りたい人はこちらに集まってくださーい」
施設のスタッフが数人、材料を手にホールにやって来た。凧と言っても、ハガキ2枚分ほどの大きさの紙に2本の紙の足を張り、中心よりやや上に糸を通すだけの簡単なつくりのものだ。早速名乗りを上げた娘と並んで、おチビもマジックを手に取り、凧に絵を描く。小さないびつな丸ばかり描いた凧ができた。
凧ができた者から、外へ出て飛ばす。小さな凧なので、糸を持って走らなければ上がらないが、娘が走ると凧はその後を追うように足をなびかせて上がった。
おチビも負けずに走ったが、糸が長いのかスピードが足りないのか、凧は地面を引きずられるだけだ。それを見た夫が、おチビの凧を手に取ると、おチビを抱っこして走る。
「あ,上がった,上がった!」
娘が歓声を上げる。それに応えるように、おチビがキャッキャッと笑った。

父親不在の休日に

2006-01-08 18:06:42 | おでかけ
昨年暮れから始まった夫の休日出勤は、年が明けてからもまだ続いていた。男40ちょっと手前の働き盛り、仕事があるのは有り難いことだが、休日しか父親と顔を合わせることが出来ない子供たちは寂しい思いをしているかも知れない。世の中そんな家庭はいくらでもあると言えば、もちろんその通りだ。思い起こせば自分が子供の頃は週休1日の時代、父親が週に2日と家に居ないのは当たり前だった。かと言って、自分が父親の不在をそこまで寂しく思った記憶は、正直言ってない。貴重な週1日の休日を子供と一緒に過ごす、その当時にしては珍しい子煩悩な父親であったせいもあろうが、いずれにせよ父親とはいつも仕事で忙しく、家を空けるのが当たり前の存在だと思っていたのだ。とすれば、週休2日に慣れた子供たちも、暫くこの父親不在に違和感を感じるだろうが、いずれそれにも慣れてしまうのだろう。それはそれで、何だか少し寂しい気もする。
子供は慣れても、慣れないのはむしろこちらだ。おチビに加え、学校が休みで朝から家にいる娘2人の‘構ってくれ攻撃’を、一手に引き受けなければならない。‘休日もウィークディ’どころか、平日以上の過重労働が待っている。この労働を少しでも歓びに変えるため、今日は夫を送ったその足で、そのままドライブに出かけた。
「今日は、どこに行くの?」
「山梨に行く時に通った山道を走ろうかと思うんだけど」
昨年暮れに、これも父親不在の折、気晴らしに山梨にドライブしたのだが、その時は体調がすぐれなかったので、中央高速ではなく秩父から山梨市へ抜ける‘雁坂トンネル’を使いちんたら走ったのだった。(だが結局、それがきっかけでこちらは風邪が悪化した)
「やったー! あの道大好き!」
「でも、今日は山梨までは行かないよ。秩父の手前の山道だけ」
「うん、いいよ」
誰に似たのかは言わずもがなで、娘は山道のドライブが大好きだ。前回走ったのは県道53号線という、入間川の上流沿いを走り正丸トンネルを抜けた先の国道299号に出る道だった。山間の古い農家や渓流を横目に、時にはすれ違いも困難な曲がりくねった急坂を上り下りするのは、山好きにはそれだけでも十分楽しいドライブになる。おチビはと言えば、途中のコンビニで買ったイチゴポッキーを姉から分けてもらい(奪い?)、これも楽しげな様子。こちらは後部座席から聞こえる子供たちの楽しげな声を耳に、山の景色を堪能できるのだから、こんなに快適な時間の過ごし方はない。
帰りは国道299号にぶつかったところで、それを飯能市街へ向けて折り返す。所沢へ戻る途中、飯能市にある「あけぼの子供の森公園」に立ち寄った。なんでもこの公園には‘ムーミン谷’の様子が再現されているらしいという話を以前友人から聞いて、一度のぞいてみようと思っていたからだ。車を停めて、公園入り口から坂を上ると、程なく本の挿絵通りのかわいらしいムーミンの家が見えてきた。煙突からは煙が立ち上っているという念の入れようだ。
「なに、あれ!」
娘が興奮気味に叫ぶと、ムーミンの家に向かって走り出す。建物内には自由に入ることが出来るようになっていた。早速入ってみると、小さなキッチンとその奥にリビングがあり、暖炉には火が焚かれていた。なんとあの煙は本物だったのだ。
「上に行ってくるね!」
そう言うなり階段を駆け上る娘。それに遅れてなるものかと、あわてて階段を上ろうとするおチビの手を取る。
「今度はお父さんと一緒に来ようね」
そう言うとおチビが「うん」と大きくうなずいた。これは夫に良いお土産が出来た。

おチビの言語感覚

2006-01-07 18:05:40 | おもしろことば
今年に入って、おチビの言語感覚に少し変化が見え始めた。「言語感覚」とは耳慣れない言葉だが、便宜的な造語だ。ある言葉が特定のモノを指し示すのだということの意識、あるいはモノそのものから離れて言葉を使用することが出来る能力、とまあそんなことを表していると思って頂きたい。
もちろんこれまでも、おチビにとって言葉とモノとは一致していたし、簡単な言葉ではあるがモノを指差して、たとえば鳥を指差して「コッコ、コッコ」と言うことはあった。ただこのような場合、言葉とモノとは必ずしも一対一に対応している訳ではなく、「コッコ」は「トット」に置き換わってもなんの不都合もなかった。だから自分が好きな食べ物はなんでも全て「じんじん(にんじん)」と呼び、動物なら象でもライオンでも、とりあえず「ワンワン」か「ニャーオ」で事足りた。
そんなおチビの言葉の発し方に、ある変化が見られるようになったのだ。夜寝ようとベッドに入り、いつものようにおっぱいを飲もうとしたその時だった。
「ぼーん、ぼーん」
しきりにおチビがそう言う。なんだろうと改めて様子を窺うと、どうもパジャマのズボンを指差してはそう言っているらしい。
「ああ、ズボンね」
そう言ってやると、おチビは嬉しそうに再びズボンを指差して「ぼーん、ぼーん」と言うと、満足した様子でおっぱいを飲み始めた。
何のことはない、ただズボンのことを「ぼーん」と言ったまでのこと。だが、そう言った時のおチビの満足そうな様子は、それまでの大雑把で時に場当たり的な発語とは何かが違っているように思えた。では、何が違うのか? その時のおチビの顔はどこか得意気で、まるで「これが‘ズホン’だってこと、私知ってるの」とでも言っているようだった。あるいはそれは、「ぼーん」という音と、指差されたズボンとの特別な関係について、おチビが理解していたという見方も出来るのではないか。これまで音と指示内容との結びつきはボンヤリと緩やかだったが、それが急に焦点が合って輪郭が鮮明になったとでもいうように、特定の音が特定の内容を指示するようになる。「アア」でも「オオ」でもなく、まさにそれが「ぼーん(ズボン)」であるということ、換言すればモノには‘固有の名前’があるということを、どうやらおチビは理解し始めたらしい。
モノに固有の名前があるということについて、私たちはあまり注意を払わない。なぜならモノに名前があるというのは当たり前のことだからだ。例えば「これはペンです」なんて表現は、今時英語の例文にだってならない。だが、おチビにとって「ぼーん」は何か新しいことを意味していた。それは単にモノの名を呼ぶという行為を超えて、意味を所有する喜びに満ちていたと思うのだ。あるいは知っているという意識そのものが喜びを伴って、モノの名を呼ぶ行為を下支えし、あるいはまたその原動力となっているのかも知れない。

一年の計は

2006-01-06 18:03:52 | 子供の領分
よく「一年の計は元旦にあり」と言う。本当は「一日の計は朝にあり一年の計は元旦にあり」と言うのだそうで、何事も最初が肝心ということの譬えらしい。
こちらは昨年の暮れからひどい頭痛がする風邪を引き、正月は実家で寝込んでいたので、肝心の最初から先の思いやられるーとはいえ変な気負いのない気楽なー元旦だった。娘は娘で、冬休みは宿題らしい宿題がなく、これまた気楽な正月を謳歌していた。が、若い者があまり気楽ばかりではいかがなものかと思い、試しに娘に「一年の計」を尋ねてみる。
「Kはね、‘雲梯(うんてい)’」
さらりと答える娘。こちらの配意は余計なお世話というわけだ。だが何故‘雲梯’か。‘雲梯’とはご存知の通り、公園や学校の校庭にある梯子を横に渡したような固定遊具のことだ。そういえば娘の1学期の通知表で、この雲梯だけが‘がんばろう’だったのを思い出した。それにしても、かつて娘が保育園に通っていた頃にも‘太鼓橋’という、雲梯を小型にしたような固定遊具があったが、娘はそれが大好きで、夕方迎えに行くとよく太鼓橋にぶら下がっていたものだ。なので1学期の通知表の‘雲梯をがんばろう’は意外な気もしたが、小学校の雲梯は背が高く、先の梯子へ手を延ばすのが怖いというのが娘の言い分だった。恐がりの娘ならありそうなことだ。
「じゃあ、がんばって練習しないとね」
「うん」
新年から苦手に取り組もうとは、なかなかの心意気。こうなってみると、自分の‘一年の計’はなんだろうと、急に気になってきた。これまでは新年を迎えると、それなりに今年1年の目標らしきものを思い描いてきた。だがおチビが生まれてからというものそちらに掛かり切りで、とても自分の目標なぞ思い致すどころではない。目先のことで手一杯で、とても先のことまで目を配る余裕はないのだ。それでも娘が生まれた時には、先が見えないままに遮二無二突っ走ったものだった。その結果、大した成果も上げられず、ただ無理を重ねて身体を壊したりもした。あれから5年。あれに懲りて、今はそろりそろりと歩いているような気がする。今日はここまで歩けた、今日はまたここまで歩けたという具合に。まるでリハビリだ。だが、あの頃は暗闇の中、見えもしない先ばかりを見ようと焦っていたが、今は目の前をゆっくり眺めることが出来ているように思う。育児とは、よくも悪くも近視眼的なものなのだろう。将来について目標を定めることは大事だが、今この目の前の時間を見失わずにいることも、同じように大切に違いない。おチビを見ていると、そんな気がしてくる。これまで自分が当たり前と思って住んでいたのとは全く違った世界を、おチビは垣間見せてくれているように思うのだ。哲学とは、世界や人間存在の根本原理を探究する学などと偉そうなことを言っているが、自分はどれほど人間について知っていただろう。今だって知りはしない。だが、おチビと過ごす時間から漏れてくる光に、何かがつかめそうな気がしてくるのだ。その何かを自分のものにした時、ようやくもう一段先の梯子に手が伸ばせる。そんな漠然とした感覚がある。雲梯にエイと手を伸ばす娘の姿と、今の自分の姿がシンクロする。ただ今は、焦らず一歩一歩、まずはよろけずに立てる足の感覚を取り戻そう。
目標とも何ともつかないこの曖昧な感じを掴んだら、あとのことは一先ず棚上げにしておくことにして暖かい布団に入る。あるいはこの正月が気楽だったのは、風邪のせいというより年のせいだったのかも知れない。