SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
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Other “あづみ野” Stories

2006年11月15日 19時54分58秒 | 高橋多佳子さん
★ショパンの旅路 検 屮汽鵐匹箸琉Α廖船離▲鵑肇僖雖
                   (演奏:高橋 多佳子)
1.ピアノソナタ 第2番 変ロ短調 作品35「葬送」
2.即興曲 第2番 嬰ヘ長調 作品36
3.ポロネーズ 第5番 嬰へ短調 作品44
4.タランテラ 変イ長調 作品43
5.バラード 第3番 変イ長調 作品47
6.ノクターン 第13番 ハ短調 作品48−1
7.3つの新練習曲
8.前奏曲 嬰ハ短調 作品45
                   (2002年録音 スタインウエイ使用)

高橋多佳子さんのサインは14日の紀尾井のコンサートの際にいただいてホヤホヤのものです!

“あづみ野コンサートホール”における高橋多佳子さん(以下“多佳子さん”)のリサイタルは、既に記事にしたとおり大変にステキなもので、私をとても幸せな気持ちにさせてくれるものでした。
そこまでならば「まこと期待通りであった」といえば済んだかもしれませんが、この安曇野行脚では本当に思いもよらないもうひとつの成果がありました。
それは多佳子さんを囲む素晴らしい皆様と出会えたことです。それにリサイタル翌日には−後述しますが−望外の体験までさせていただくことができました。
感謝の気持ちを込めて、記事にまとめてご紹介させていただきたいと思います。
後半に、予告したとおり安曇野での体験を踏まえてオーディオ談義を展開してみたいと思います。



まずは、“あづみ野コンサートホール”にて。。。
長谷川館長ご夫妻。
詳しいプロフィールはHPをご覧いただくとして、熱い思いが安曇野の地にベーゼンドルファーのピアノと素敵なコンサートホールをもたらし、多佳子さんのコンサートをはじめ数多くの企画を実現されています。とても親切にしていただきました。私のように思わず感謝したくなるような出会いのきっかけを、これまでにいくつも作ってこられたのだと思います。
本当にありがとうございました。

また、F女史にはたいへんご無礼をしてしまったと恥じ入っております。
あろうことか(後で聞いたのですが)日本ベーゼンドルファー社のやんごとなきかたに向かって、ベーゼンドルファー社が先立って発売した高級スピーカーの講釈を垂れてしまいました。(爆!)
でも、東京ハイエンドオーディオショウのデモで聞いたVC2の音色は、とても素晴らしいものだという感想はウソ偽りありませんのでひらにご容赦を。。。
また、くだらないオヤジギャクをかましてしまったことも重ねてお詫びをぉぉぉ〜〜。
スミマセンでしたぁぁぁ〜。
磐田市の日本ベーゼンドルファー社の本社にあるという、コルトーと遠山慶子さんが相対で弾いたという連弾用ピアノ(?)はぜひ見てみたいものです。
こんなお話が伺えたことを大変に嬉しく思っています。ありがとうございました。

リサイタルのときお隣で、宿泊場所までお車で送ってくださったTさんにも御礼を。。。
昨年の多佳子さんのコンサートもお聴きになってらっしゃるらしく、「昨年は荒削りなド迫力の、今年は緻密に彫琢され完成された“展覧会の絵”を楽しんだ」とか。。。
このうえなくウラヤマシイと思わせられました。
ド迫力のバーバ・ヤガーは渋谷のタワレコで聴きましたが、あのベーゼンドルファーでのド迫力ってどんなんだったんだろう。。。
でも、宮谷理香さんとデュオでのくるみ割り人形を聴いたことを羨ましがっていただいたのであいこかな・・・
オーディオにも明るくていらっしゃり、興味深いお話を伺えました。ありがとうございました。

そして、Uさん。
日曜日にはご自宅までお邪魔させていただき(しかも送迎つき!)、素晴らしいシステムで多佳子さんの音源をはじめとするさまざまなソースを聴かせていたうえに、多くのことをご教示いただきました。
その全てが私にとってとても重要な情報であり、お宅で聴かせていただいた音は鮮烈に記憶に残っています。
実は、これまで永くオーディオの情報を見聞きしてきましたが、本当にオーディオを楽しんでこられたかたのパフォーマンスに直接触れたことはありませんでした。
素晴らしい音楽再生に触れさせていただいたばかりか、私に分かるようにご説明をいただけたこと、言葉に尽くせないほど感激しています。

また私が「これまで途方もない分量のクラシック音楽のディスクを耳にし海外のスター奏者の演奏に感嘆しつつも、高橋多佳子さん始め真摯に自分の芸術に取り組んでいる“我が国の”奏者にこそより深い共感を覚えるようになった」と申し上げたところ、賛意を示していただいたことは最も嬉しい瞬間でした。

生の演奏会を聴くことの大切さ、ソースにおける雰囲気情報がいかに大事かということを実際の音とともに明らかにしていただいたことで、自分がどのような音を志向してディスクを耳にしていったらいいのかをイメージするヒントをいただけたような気がします。
本当にありがとうございました。

もしも私がどんなシステムで聴かせていただいたかご関心おありのかたがいらっしゃれば、ステレオサウンド別冊の管球王国第42号で特集されている2名の愛好家のうち、安曇野氏在住のUさんの紹介記事をご覧ください。
ご自宅のリスニングルームで、自作の管球アンプを用い“世界にここにしかないスピーカー”を駆動されています。アルテックの4発のウーファーのサウンドを土台にオンケンのホーンなどで構成される高能率スピーカーの威力はすごいです。まさに打ちのめされました。まさに「部屋になじんだ音」という感じでしょうか。とても自然な音で、こういう音をノーカラーレーションというのかと思いました。
U様のようにとても自然に音楽再生に臨まれている皆さんはこんなレベルで音を聴いていらっしゃるのかと思うと、もう少し居住いを正さないといけないなと。。。

というのは、私は今までいろいろなスピーカーを聴いてきましたが、無意識に聴こえない音をイマジネーションで「ある」と思って聴くのが当たり前になっていました。逆に出すぎた音は頭の中で補正してという作業をするのも当然のことと思っておりました。
このブログでも、実演を聴くのはディスクを聴くときのイマジネーションの引出しを増やして深く豊かに聴けるようにする目的があるといい続けてきたとおりです。
ところが、このシステムの前では、眼前にある音が全てでまったくストレスがない。。。
少なくとも頭の中で何かを足したり引いたりしなくてもよいのです。とてもスムーズに音が発せられているのでかかっている曲の要請がない限り、サウンドは声高にその個性を主張することもありません。まさに音が出ているのではなく、部屋とともに「そこにある」という感じでした。
ピアノぐらいならそこで鳴っているといわれても信じられるくらい。
最も驚かされたのはプッチーニのオペラで、カレーラスの歌はどこまでも伸び弦楽器群はまさに「織り成す」というサウンド、コントラバスが弾み、ティンパニもオーケストラサウンドに溶け合いながらその輪郭がいささかもぼやけない。。。 私のこれまで聴いたシステムであったなら、たとえ全部聴こえたとしても「ギュー詰め」という印象を免れないものになってしまったに違いありません。
ピアノ演奏における多佳子さん同様、音楽再生に関してUさんにはまだ登るべき高み・課題があることが見えているのだろうと思いますが、私にはここまで登り詰めることができるのかと思わせられるばかりでした。
いまどきの言い方をすれば、相当「パネエ」取り組みをしないと足元にも及ばない。。。まぁ、競争じゃありませんからできることを楽しんでボチボチやっていくしかないのですが。
なんか、Uさんのお宅で鳴っていたような自然な音楽を雰囲気良く再生できるシステムを入手・ブラッシュアップすることは、私がハンマークラヴィーアソナタやらラフマニノフのコンチェルトを弾きこなせるようになるのと同じくらいの難易度があるようにも思えてしまいます。

そのUさんも先だってまでは私同様会社勤め、いえ私など比較にならない重責を担われてきた方です。そんな環境の中で機器の自作、トランスのオーダー・調整など気の遠くなるような過程を経て今の音にたどり着いておられる訳で、私も先ほども述べたように無理はできないとはいえ、どうせやるならエクスキューズなしで取り組まなくちゃダメじゃないかと痛感しました。
私が「知るは好むにしかず」のレベルだとすると、Uさんは間違いなく「好むは楽しむにしかず」の境地をいってらっしゃる。
今さら「半田鏝を持とう」などと思うことはありませんが、所有する機器をあらゆる手段で状態をいい方向に追い込んでいく中でできることは努めて実現したいものだと。。。“道楽”であっても勇気を持ってやりたいことをやり楽しい人生の時間を積み重ねたいと思います。


さて、実はUさんは多佳子さんの要請を受けて安曇野でのリサイタルを録音されています。多佳子さんは今後の演奏会の勉強の材料にするおつもりだったようです。そしてこの記録は多分すでに紀尾井での演奏に生かされ、これから先の演奏の中にもきっと生かされていくに違いありません。

録音はPCM方式とDSD方式の2系統で行われており、両方式の音を聴かせていただくことができました。行き届いたシステムで聴くと方式の違いにより音の“質感”が違うことがハッキリと分かる。。。

余談ですが多佳子さんにはPCMのディスクのみ届けられています。が、私は双方の音源を聴くことができました。「多佳子さんでさえ聴いていない音源を。。。」と思うと理由もなく頬が緩む私はやはり小市民。。。(余談終わり)

まだ真新しい実演の記憶のうちに録音と照らしあわせてみて、実演の印象を再確認することができたところがある反面、実演では印象に残ったのにフィードバックでは顕著に聴き取れなくなっていたところが思いのほか多いことに驚かされました。
以前の感想を述べた記事で、「あのとき」「そのとき」と断ったのはこのためです。再生音を聴いたときに、印象が変わったことは実は少なくありません。
このことから「座席の位置による音の変化、ホール全体の雰囲気などはいかに精密な録音装置でも同じ感想をもたらすように収録することができない」といえるのではないかと思うのです。仮に“収録”ができたとしても視覚情報などは不足しているため、同じ感興をそそられるところまで行かないのではないでしょうか?
総括すれば、「目から入った情報・会場の雰囲気情報は一度限りのものであり、演奏中の奏者・聴衆と共有した思いはそのときに味わいつくすほかない」ことが証明されたと感じた、ということになります。

実演が“一期一会”であるという確信は、早くも紀尾井のリサイタルに臨んだ際の私の態度にフィードバックされました。その場をいかにしてより楽しいものにするかと考えたところ、自分の興味本位に、それこそ全ての音を“舐めるように”聴くのではなく、演奏者を信じて応援するような気持ちで聴くとよいのではという思いに達しました。実践したところ、果たして自分も楽しめる幸福な聴き方ができたと思います。


ところでUさんのシステムでは、安曇野リサイタルの音源からモーツァルトK.333とアンコールのラ・カンパネラ全曲、ラフマニノフのソナタは第1楽章、展覧会の絵からは冒頭のプロムナードを聴きました。
ここでは高橋多佳子というピアニストが、いかにひとつひとつの音にそれぞれの役割を演じさせようと働きかけているかが改めて実感できました。
実演に触れているときはひとつの所作に耳目が行ってしまうと、並行してあるいはわずかに後に施されている演奏上の仕種などを聞き漏らしてしまうんでしょうかねぇ。。。
振り返ってモニター的な聴き方をさせていただいたことで、多佳子さんの演奏ではひどくたくさんのことを一度に成し遂げようとされているものだと仰天するとともに、聴き逃していたことに気づくことができてホッとしました。

それら実演の音源とあわせ、多佳子さんの“新譜”と小山実稚恵さんが弾くラフマニノフのソナタの第1楽章(ソニー盤)、上原綾子さんの弾く展覧会の絵冒頭のプロムナード(エアチェックされたものでポーランドの“ショパンの家”でのライブ録音)聴き比べさせていただきました。
それぞれの奏者の解釈の違いもさることながらここでは録音の質感をテーマに聞き、Uさんと意見を交わさせていただいたのですが、結果として私には「演奏している場の雰囲気の再現」というテーマ俄かに浮上してきたのです。

そしてそれは、聴きなれたディスクの再生時に決定的に実感されることとなりました。
それはUさん所有のトライエム盤“ショパンの旅路 検糞事冒頭の写真はエクストン盤の私の同じディスク)”からピアノソナタ第2番第1楽章、私が持参していたトライエム盤“ショパンの旅路 后匹らバラード第4番をかけていただいたとき、“トライエム盤”と“エクストン盤”(オクタヴィアでリマスターされた盤)のサウンドの差が話題に上りました。
新譜をはじめとするエクストン盤では、多佳子さんのピアノの音をヴィヴィッドにクローズアップして“分かりやすく”提示してくるのに対して、トライエム盤はヴィヴィッドさはわずかに後退するものの録音会場であるワルシャワ・フィルハーモニー大ホールのロケーションをより自然に感じさせるような雰囲気で鳴ることに気づいたのです。

もちろんこれはどちらが良いとか優れているという話ではありません。
多佳子さんも仰っているようにディスクは演奏家だけで製作されているものではなく、ディレクターやエンジニアの作品でもあるわけですから、そのかたがたの音への指向が当然に反映されるでしょう。殊に新譜の場合“渾身の一撃”というアーティストの強い意志が希求されているわけですから、ストレートアヘッド(言い過ぎはわかっています。トライエム盤のサウンドの傾向との比較論)な音はまったくコンセプトに沿った選択であり、見事に要請にこたえているともいえます。それはそれで素晴らしいことです。

でも私としてはトライエム盤の雰囲気も捨て難い。
U様の機器で聴けばちゃんと違いがわかってしまうのだから。。。
いつか私の“システム”と“聴く耳”がいまよりも成長した暁には、そのときの気分によって“クローズアップ”・“雰囲気”をチョイスして楽しみたいものです。
というわけで、トライエム盤を手に入れられるようなんとか手を尽くしてみよう。。。


いまひとつ私が思ったことは、ディスクが製品として出来上がったときの音は、アーティスト&ディレクター・エンジニアがモニタースピーカーからフィードバックされた音を聴いて決められている訳で、使用されている機器の性格に大きく影響されているのではないかということ。
それが自宅で聴くときの装置と違うという時点で、同じ再生音が耳に届くということは事実上ありえなくなる。。。(もちろんまったく同じ音で聴かなければならないという命題はどこにもありませんし、それを目指したら多様性のないシステムになってしまう。。。)

実は紀尾井ホールのリサイタル終了後、多佳子さんから新譜のディレクターであるオクタヴィアレコードのOさんをご紹介いただき、何をしゃべったらいいか分からないまま(!)「これからもいい録音をお願いします」とご挨拶させていただきました。(私に言われるまでもなく当然にやってくださってますけど。。。)
その際にお伺いしたところでは、新譜録音時のモニタースピーカーは私が予想していた“B&W802”ではなく、“GENELEC1031”とのことでした。
このモデルは既に次世代機種にモデルチェンジしているから、もはや手に入りません。

こうなると家で再生するときに目指す音のベクトルを決めるために、市販のディスクではなくマスターを一度“GENELEC1031”で聴くことができると一番いいんだけどなぁ。。。独り言です。

とにもかくにも、現状を思えばそれ以前に「せんとあかん」ことは山積しているのでそれを片付けないうちに何を言っても「ちゃんちゃらおかしい」のですが。。。
本当にさまざまなテーマに気づかせていただいたUさんに改めて感謝申し上げます。
ありがとうございました。


なおUさんのシステムで聞いたショパンの葬送ソナタ第一楽章は、ホールの雰囲気をよく伝えるとともに、ショパンの魂の叫びを伝えるかのようでした。殊に中低音が我が家で聞いているものとまったく違う。自然でありながら神秘的で深い音、そして主題をリピートした際にさらに深い音色になっているところなど、多佳子さんの施したわずかな工夫すらあまねく再現していることが実感できました。
演奏・再生ともに文句なし。実はこんな音が詰まってたのねぇ〜って感じでした。
もちろん、この曲だけでなくディスク全体を通して多佳子さんの素晴らしい演奏が繰り広げられていますよ。
私にとってのスタンダードになってしまっているので、最高の演奏としか感想が述べられないのですが。。。
ただ、葬送ソナタの前奏の終わりから右手単音の第一主題がでるところまでの拍がどうしても取れない。いつも出だしだけ“???”となってしまう。。。
どぉしてなんだろぅ???
テーマディスクですから、一応ちょっとだけ思うところを書いてみました。

ともあれ“たいへんなものを聞いてしまった。エライことになった”というリサイタルでの銅鑼の音の印象は、そのままU様の家のサウンドを聴いての印象にもあてはまることとなったのでした。
まずはトライエム盤の物色からですねぇ。。。
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