トゥ・リアへの道 (HP準備用暫定ブログ)

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鬼の居ぬ間のなんとやらw

2007-05-16 20:53:38 | Weblog

ある方が俺の居ない間にサンディタさんなる方がこんなことを言ってたと報告してくださいましたw

>その方は浅薄なインド・ヨーガの知識と現世的な価値観でしか批判出来ない人だと聞きましたが。
確か古参で尊師に可愛がられていたけれども、結局二回下向した未成就者だそうですね。 このblog内の投稿を見る限りでは、嫌悪剥き出しでオウムや尊師を否定する事でしか 今の自分の立場やプライドを守れない人のように見受けられましたが・・・・ |
200704-30 22:20:37 | サンディタ #n6aQJcd6


浅薄なインド・ヨーガの知識ねぇ。
よござんすよ。
浅薄でもw
俺から見るとオウムのインド・ヨーガの知識なんて薄っぺら過ぎて吹けば飛ぶようなものだし(ティッシュより軽いw)、その意味の深い理解は無いし、本質的な理解なんて生じちゃいないんだからw
で、「現世的な価値観でしか批判できない人と聞いた」と、別の方の判断を鵜呑みにする浅薄なお人柄の方が何か言いたいのでしょうか?w
下向したこと=何か重大な過ちでも犯したかの如くに言っておられますが、

ハッキリ申し上げておきましょう。

 
俺はグレートカルマを持っている!

別に魔境になった訳ではありませんよw
ヒマラヤの霊統につながることが出来た。
「この道こそサマディに繋がる。解脱に繋がる道」という確信が今回のインド行きでさらに強くなった。
心の内側に生じている平穏がさらに安定してきた。

これらのことと、オウムに関わっていながら、麻原の後継とそて育てられた過去がありながら、正しい道を見出せたことの絶対的な自信と安心感が自らのグレートカルマを確信させるに至っているのです。

オウムにいながら事件に巻き込まれていない。
下向は今考えるとグレートカルマゆえ。
いろいろな必然的な偶然が俺を守っていたように思います。

俺は再三再四に渡って「麻原のここが間違っている。ここは肯定すべき」と繰り返しています。
完全否定をしているわけではありません。
そのことも読解できないようですし、また俺の今の立場?

そんなものがどこに?w


つまりサンディタさんは自分の尺度でしか相手を測れない、即ち、相手に自分を投影しておられる。
これは、サンディタさん自身がオウムや尊師を肯定する事でしか 今の自分の立場やプライドを守れない人だということの現われですw

サンディタさん。

薄っぺらすぎるよw


30 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2007-05-16 21:13:27
>つまりサンディタさんは自分の尺度でしか相手を測れない

↓サンディタさんの自分の尺度の見解がこれ

______________________
>サンディタさんが真実をありのままにごらんになりたい方なのでしたら、
>ご本人のブログをちゃんと拝見されてから、再度判断していただきたいと思います。

実は少し拝見させて頂きました。
多少はまともな受け答えも御座いましたが、中にはこんな物も御座いました。
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Unknown (シヴァの喜び)
2007-03-21 13:30:56
おやおや。
仕事で忙しかったのでネットできなかったらこんなコメントがw

軽くナマス斬りにしておきます。
論ずるにも値しない程幼稚なコメントではありますが。

>2chに返信しても、まるで話にならないので、ここの方なら分るかもと考え返信をします。Unknown (シヴァの喜び)2006-11-30 13:20:15の方に関して。
一見オウム、アーレフの教義を理解しているようですが、これは所詮信徒レベルです。一応いろいろ書いているということはそこそこ勉強なさったのかもしれませんが、

相手の素性を確かめてから話をなさった方がよろしいかと思われます。
それがないからあなたは単に感情に任せて発言をしている愚か者であることが容易に理解されます。
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本題には一切触れず、プライドで相手を見下して中傷してらっしゃいますね。  
まるでA派を彷彿とさせる幼稚なコメントだと感じられます。
| 200705-01 06:38:32 | サンディタ #n6aQJcd6 URL
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Unknownさん (シヴァの喜びだった者)
2007-05-16 21:25:39
・・・。

そのコメントの下には本題が書かれていて、それをナマス斬りにしてあったはずですが?????


この人、

もしかして相手の文章を全部読まずに推測だけでこんなこと書いてる?


だとしたら・・・・

かなり憐れな人物だと・・・

合掌
返信する
Unknown (Unknown)
2007-05-16 21:30:38
>そのコメントの下には本題が書かれていて、それをナマス斬りにしてあったはずですが?????


そうそう、それに何故そこをピックアップするかな~
って思った。
返信する
シヴァの喜びだった者さん (白龍)
2007-05-16 22:27:50
野田さんのブログでは丁寧なご説明ありがとうございました。
今日のブログ記事に関係なくて申し訳ないのですが、
四念処の瞑想について、少々質問させてください。

オウムで身の瞑想の時、
やたら「我が身これ不浄なり」を主張していましたが、
これって正しいのでしょうか?

本来身体の動作を観察するとか、
身体の構成要素を観察するとかいうのが、
その瞑想の本質ではないかと思うのですが、
どうも、我が身の不浄さばかりを強調しすぎて、
潜在意識に「汚らしい身体」というデータを植え付け、
自らの体を嫌悪するようなデータを植えつけているのではないかと思うのです。

ネットで四念処を検索したらこんなのが出てきました。

「(A)身において身をくりかえし観察する(循身観)
(イ)坐し、入出息に念を立てる。 (参照= 出息入息法)
(ロ)自らの行住坐臥を知る。
(ハ)常に自らの行動を知る。<<以上の三つは、現代の禅でも実践するよう指導される>>
(ニ)不浄観(ホ)四界観(ヘ)死体観<<現代では、これら3つは実践しない>> 」

不浄観は現代では実践しないと書いてあります。
現代にはそぐわないということなのでしょうか?

サマナの生活環境の汚さや、
若くて病気にかかったり、死亡するサマナが多い現状をみると、
「我が身これ不浄なり」のデータのせいではないか、
などと勘繰りたくなります。

シヴァの喜びだった者さんは、これに関してどう感じますか?
返信する
白龍さん (シヴァの喜びだった者)
2007-05-16 22:59:05
>オウムで身の瞑想の時、
やたら「我が身これ不浄なり」を主張していましたが、
これって正しいのでしょうか?

正しい正しくないの前に現代人に合っているか?
という問題があると思います。
またインド行ったら分ると思いますが、かなり衛生観念が日本と違います。ましてや釈迦牟尼が生きていた時代・・・なので「わが身さえも不浄のもの」としないといけなかったのではないでしょうか?

ちなみにヒマラヤヨーガでは身体は神殿。と教えます。
その上で「私はボディではない」とサティを入れていきます。


>本来身体の動作を観察するとか、
身体の構成要素を観察するとかいうのが、
その瞑想の本質ではないかと思うのですが、
どうも、我が身の不浄さばかりを強調しすぎて、
潜在意識に「汚らしい身体」というデータを植え付け、
自らの体を嫌悪するようなデータを植えつけているのではないかと思うのです。

恐らくは釈迦牟尼は「わが身は不浄。それ故に身体は私自身ではない。私はボディではない」としたかった。あるいはそこが口頭伝授されていたのではないかと。
あくまで俺の考えですが。


>ネットで四念処を検索したらこんなのが出てきました。

「(A)身において身をくりかえし観察する(循身観)
(イ)坐し、入出息に念を立てる。 (参照= 出息入息法)
(ロ)自らの行住坐臥を知る。
(ハ)常に自らの行動を知る。
(ニ)不浄観(ホ)四界観(ヘ)死体観 」

不浄観は現代では実践しないと書いてあります。
現代にはそぐわないということなのでしょうか?


ふむふむ。
サティを重視したやり方なのですね。
これが本来の四念処の、というよりはもっとも本質的な四念処なのではないでしょうか。

ちなみに「私はボディではない」これをサティとともに(ロボットのように繰り返すのではなく意識的に)念じていくなら肉体とのコネクトが弱まってきて、肉体のセンセーションに邪魔されない良い瞑想が出来るようになりますよ^^
これだけでも瞑想の時間が延びていきます。


>サマナの生活環境の汚さや、
若くて病気にかかったり、死亡するサマナが多い現状をみると、
「我が身これ不浄なり」のデータのせいではないか、
などと勘繰りたくなります。

シヴァの喜びだった者さんは、これに関してどう感じますか?


まさしくその通りなのではないかと。
明らかに「わが身不浄なり」の、四念処の本質を理解していない状態での実践結果だと思います。

良薬も使い方を間違えると毒薬です。
これは行法や瞑想法、法則と呼ばれるものもそうです。
返信する
Unknown (白龍)
2007-05-16 22:59:46
ちょっと消えた部分があったようですので、
もう一度貼ります。

(A)身において身をくりかえし観察する(循身観)
(イ)坐し、入出息に念を立てる。 (参照= 出息入息法)
(ロ)自らの行住坐臥を知る。
(ハ)常に自らの行動を知る。<<以上の三つは、現代の禅でも実践するよう指導される>>
(ニ)不浄観(ホ)四界観(ヘ)死体観<<現代では、これら3つは実践しない>>
返信する
それと。 (lull。)
2007-05-16 23:13:06
>サマナの生活環境の汚さや、
若くて病気にかかったり、死亡するサマナが多い現状をみると、
「我が身これ不浄なり」のデータのせいではないか、
などと勘繰りたくなります。

「聖無頓着」
何度、聖無頓着とだらしないは違う!
と、言った事か・・・。
返信する
シヴァの喜びだった者さん (白龍)
2007-05-16 23:16:26
>ましてや釈迦牟尼が生きていた時代・・・なので「わが身さえも不浄のもの」としないといけなかったのではないでしょうか?

なるほど。

>ちなみにヒマラヤヨーガでは身体は神殿。と教えます。
>その上で「私はボディではない」とサティを入れていきます。

これならしっくりいきますね。

>サティを重視したやり方なのですね。
これが本来の四念処の、というよりはもっとも本質的な四念処なのではないでしょうか

やはりそうですか。

>良薬も使い方を間違えると毒薬です。
>これは行法や瞑想法、法則と呼ばれるものもそうです。

その通りです。
やはり、修行と言うのは、一つ一つ慎重に確認しながら、
進める必要がありますね。
返信する
Unknown (シヴァの喜びだった者)
2007-05-16 23:42:52
>その通りです。
やはり、修行と言うのは、一つ一つ慎重に確認しながら、
進める必要がありますね。


ヒマラヤ聖者たちは言います。

ゆっくりゆっくりだ!慌てるな!

と。

全てにサティを入れながら進めるならば、無意識に流していかないようにするならば、100%ここにる状態で修行に励むには

恐るべき慎重さと用心深さが必要なのです。

返信する
聖無頓着 (篠澤教授に三千点)
2007-05-16 23:45:33
単なる「ズボラ」を聖無頓着と言い張ってただけのような・・・
ひじりの部分は抜け落ちてただの無頓着なだけでしたね。
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