タイ語、漢字を使って覚えるの?



2015年4月下旬にタイトルを変更。

はじめに・・・

 従来の健康ブログ時に記事を書いていて、何故か、そろそろ外国語でも勉強した方がより良いかなーと思いつきまして、以来ちょこちょこと続けてきましたが、なんとなく、ある事を覚えると別の事を忘れてしまうモードに入ってしまったようで、知識量が停滞しつつあるような感じになりました。

 そこで、本ブログを外国語学習ブログに変更して、自分の備忘録的にまとめておこうかなと思いまして・・・。

 しかしながら、少し飽きたのか内容を増やしすぎたのか、書くのに手間がかかるようになり、時間がとれない時は、別ブログ「単語帳の素材?」にてライトな記事を書くことにしました。

 なお、健康ブログ時代の記事は、コチラの 入り口 からどうぞ。

利用教材について (1) まとめ

2016年05月02日 | 利用教材

 教材の話をしておかないと、なんとなくブログをやめられそうもないので、久しぶりに、寂れているコッチの方に書いておこう。

 細かい話は後にすることにして、今回は全体のまとめという感じにしよう。

 

 以前にも触れた気がするけど、タイ語に挑戦するのは、今回が2回目。前回はかなり前で、新聞やテレビ番組を理解するということろまでは届かず、途中で使う機会もなくなり、挫折。

 2回目を始める前は、旅行者用のサバイバル会話は大体覚えていたけど、タイ文字はほとんど忘れていて、 とが mと nの音に対応する子音字というのはかろうじて記憶に残っていたけど、どっちがどっちだったっけという程度であった。

 現在も「読む・聞く」を中心でやっているので、話す・書くというのは、かなりの課題が残っているところ。特に、話すについては、もともと音痴なので、かなり訓練しないといけないのだが・・・。また、読むについても、ドラマ・映画のタイ語字幕は早すぎて、まだ読めないレベルにある。

 教材については、いつでも撤退できるようにするため、なるべくお金をかけずにやろうということで、独学でやることにして、なるべく早く動画サイトのタイ・ドラマやネット上のタイ語の新聞記事を活用する方向で考えていたところ。

 あと注意としては、いまだにタイ語より英語能力の方が上なので、英語関連の教材も活用しているので、英語がかなり苦手な人には、この教材の記事はあまり参考にならないような気がしている。


 教材の選び方については、現在は、
       手に取ってパラパラめくってみて面白そうなもの
を使うのが一番良いような気がしている。なので、都会にある大きな本屋さんに年に1、2回行ってみて、実物をみて選択するのがよいのではないだろうか。独学でやっていてつまらない教材を使うと、興味が持続せず、長続きしないように思われる。


【分野別の整理】

〔文字〕 B1、01、03。
〔辞書〕 B2、B3、0506、09、1013

〔文法〕 B4、07。
〔語彙〕 B2、B3、03、04、10、13。

〔読解〕 (短文) 01、09
     (長文) B5、11、07、12
〔聴解〕 01、07、08

(注1)番号に対応する教材については、下記のリスト参照。
(注2)下線部は、現在でもよく使っているもの。


【リスト】

ア.<以前に購入済みで、今回利用したもの>

B1- 水野潔・水野ワーサナー「聴いて、話すための - タイ語基本単語2000」、語研、1989年(使ったのは 19-34頁、205-221頁辺り)。
B2- 冨田竹二郎編「タイ・日-日・タイ小辞典」、国際学習社、1991年(タイ日部分は、発音記号順の並び)。
B3- "Modern English-Thai Thai-English Dictionary"、ไทยวัฒนาพานิช、2534(1991)年(ポケット型の辞典)。
B4- 佐藤正文ほか「実用タイ語会話 1」、泰日経済技術振興協会、1991年。
B5- サオワラック・スリヤウォンパンサーンほか「実用タイ語会話 2」、泰日経済技術振興協会、1991年。


イ.<今回利用・購入したもの(利用開始・購入順)>

01- タイ語学習サイト「タイリンガル」の「タイ文字が最速で読める講座」(URLは、http://www.tlin.jp/thaimoji01.php )。
02- 水野潔「今すぐ話せるタイ語単語集」、ナガセ、2002年。
03- 加川博之「旅の指さし会話帳 (1) タイ 第二版」、情報センター出版局、2003年。
04- 須崎祐司・近藤和人「ビジネス指さし会話帳 (3) タイ語」、情報センター出版局、2005年。
05- ウェッブ・ベースのタイ語辞書(現在は主に次の5つのサイト:"Thai2English.com"(タイ英)、"thai-language.com"(タイ英)、"冨田竹二郎 タイ日辞典"、"dictionary.sanook.com"(タイ英)、"ごったい")。

06- Tianchai Iamworamate "Thai-English Dictionary of 88,000 Words"、รวมสาส์น (1977)、2547(2004)年。
07- 斉藤スワニー・三上直光「中級タイ語総合読本」、白水社、2005年。
08- 動画サイトのタイ・ドラマ(最初に見たのは "คุณหนูฉันทนา" 2552(2009)年放送)。
09- Group Jammassy「日本語文型辞典(タイ語版)」、泰日経済技術振興協会、2554(2011)年。
10- 岡滋訓「音で引く・タイ日実用辞典 第2改訂版」、ボイス、2011年。

11- "สนทนาอังกฦษเก่ง เป๊ะเว่อร 3,500 ปรัโยคฮิต 54 สถานการณ์ฮฮต"、Se-Education Public Company、2558(2015)年(台湾の英会話教材 "Everyday English Conversation"(2011)のタイ語版)。
12- ウエッブ上のタイ語の新聞記事(現在は主に "เดลินิวส์" 。かつては "matichon" も)。
13- 藤崎ポンパンほか「日タイ⇔タイ日ひかがな辞典」、TLS、?年。


ウ.<現在読んでいる途中のもの>

14- ตะวัน ปทุมเพชร "เก่งพูดอังกฦษในที่สาธารณะ" (English Public Speaking)、อินส์พัล、2558(2015)年(タイ語で書かれた英語の教材で、スピーチ関連)。

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動詞 สิ้น (sîn、つきる)

2015年05月21日 | 動詞編

 先ずは、前回記事で触れた、動詞 หาย (hǎai、なくす・うせる)を用いた例文の解説から。
(ア) เขาหายกลัวเป็นปลิดทิ้งเมื่อพบว่าเสียงที่ได้ยินเป็นเสียงเคาะประตูของเพื่อน
 構文としては、เขาหาย...という柱に เมื่อ 〜 以下の時を表す副詞節がついた形だろう。

 直訳は、
  〈彼は、怖いのがすっかりなくなった、ことに気づいた時に、聞こえた音が知り合いがドアをノックする音であるという〉
みたいな感じだから、
  「物音は知り合いがドアをノックした音だと気づき、彼はすっかり怖くなくなった。
という感じだろうか。
 単語については、กลัว は「怖い」、พบ は「会う」という意味でよく使われるが、ここでは「見つける、気づく」の意味だろう。
เป็นปลิดทิ้ง で「完全に、すっかり」の意味かな。(更に分解してみると分けがわからなくなったのだけど、しいて言えば) ปลิด で「殺す」、ทิ้ง で「捨てる」みたいな意味がそれぞれあるようなので、殺して捨ててたので完璧、という感じなのだろうか?
動詞 หาย は、ここでは前回記事の(1)の「なくす」という意味なのだろう。



(イ) เมื่อสถานการณ์ยืดเยื้อมาถึงขนาดนี้แล้ว การล้อมคอกหลังวัวหาย ก็ถือว่าดีกว่าปล่อยให้เหตุการณ์บานปลาย
 構文としては、เมื่อ 以下の時を表す副詞節がまずきて、การ... ก็ถือว่า 〜 というのが続いて、これは「การ(で始まる名詞節)は、〜とみなせる」という感じだろう。
 語句については、ยืดเยื้อ で「続く、長引く」、บานปลาย で「増大する、発展する」("to escalate"。分解すると、บาน で「咲く」、ปลาย は「終わり」の意味があり、元々は末広がるみたいな感じか)。ปล่อยให้ 〜は、以前にどこかの記事で触れたような気がする。
名詞節 การล้อมคอกหลังวัวหาย は、 วัวหายล้อมคอก ということわざ(สุภาษิต)から来ているようで、意味は、その直訳だと「牛が消えてから牛房で囲う」みたいな感じか(ล้อม で「囲う」、คอก で「馬房、牛房」)。損害が出てからその防止策を考えるという趣旨のことわざようだが、日本語だと、何にあたるのだろうか?(「後の祭り」が近そうだけど、ちょっと違うような・・・。「物には時節」というのがあるらしいが・・・)

 直訳すれば、
  〈既に状況がこのようにまで長引いてきた時は、牛が消えた後で牛房で囲うのは、こととみなせるだろう、ほっておいて状況を発展させるより良いという〉
みたいな感じだから、
  「既に状況がこのように至っては、牛がいなくなった後で牛房で囲う式の対応でも、ほっておいて状況を悪化させるよりは良いだろう。
となる感じだろう。動詞 หาย は、よく分からないけど、前回記事の(3)の「消える」という意味なかな(別にもとれそうだが・・・)。



 さて、表題の動詞 สิ้น に入ろう。
この単語の一番多くみかけるのは、名詞で「終わり、末」という意味の使い方だろうか。例えば、สิ้นสัปดาห์ といえば「週末」、สิ้นเดือน は「月末」、สิ้นปี は「年末」。類似の単語はปลาย(終わり)で、少し幅があるような感じで、ปลายเดือน で「月の終わりごろ、下旬」、ปลายปี は「年の終わりごろ」。
 
 動詞 สิ้น(ソースア・サライ・ノーヌー・マイトー sin)に対応する日本語動詞は、「つきる、尽きる」と思われる。


(1) 先ずは、一定のお金・時間などがつきる〜という趣旨で、「(お金・時間などを)かける」という意味がある。
  〈つきる+お金〉( สิ้นเงิน )で「(お金を)かける、費やす」。


(2) ある事柄がつきて、終わりが来るという趣旨で、「(事柄が)終わる」という意味がある。
この場合は、สุด (終わる)という単語と一緒のことも多いだろう。例としては、
  〈事件+つきる[+終わる]〉( คดีสิ้น[สุด] )で「(事件が)終わる」。


(3) ある事柄がつきて、完了するという趣旨で、「(事柄が)完了する」という意味がある。
この場合は、เสร็จ (完了する)という単語と一緒のことも多いだろう。例としては、
  〈仕事 [+終わる]+つきる〉( งานการ[เสร็จ]สิ้น )で「(仕事が)完了する」。


(4) ある種の資源がつきるという趣旨で、「(資源が)無くなる」という意味がある。
この場合、無くなる原因の動作を表す動詞と一緒に使われる傾向がある。例としては、
  〈つきる+命〉( สิ้นชีวิต )で「(命を)なくす」、
  〈使う+お金+つきる〉( ใช้เงินสิ้น )で「(お金を使って)なくなる」。

 

 最後に、動詞 สิ้น を用いた例文については、以下のとおり。例によって、解説は次回記事にて。
(ア) แต่วันนี้ลุงใสสิ้นแรงกายแรงใจ แค่ยกพายกรีดน้ำก็ยังไม่อยากทำ

(イ) จงใช้มันต่อๆ ไปด้วยความภาคภูมิใจจนสิ้นอายุขัยของมัน

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動詞 หาย (hǎai、なくす・うせる)

2015年05月20日 | 動詞編

 先ずは、前々回記事で触れた、動詞 หมด (mòt、なくなる)を用いた例文の解説から。
(ア) ซื่อกินไม่หมดคดกินไม่นาน

 ซื่อ (sʉ̂_ʉ)は「正直な、誠実な」、คด はその反対で「うそをつく」の意味。
内容は多分、タイのことわざみたいなものだろう。

 直訳すると、
  〈正直には、食べて尽きることはないが、うそつきには、食べるのは長くはない〉
みたいな感じだから、かなり意訳して
  「誠実な者には、いつも必ず良いことがあるが、不誠実な者には、良いことは長続きしない。
という感じかな。日本語だと、「正直の頭に神宿る」あたりが近いのだろうか?
いずれにせよ、動詞 หมด は、ここでは前回記事の(1)の「無くなる」という意味なのだろう。


(イ) ชาวสวนจำหน่ายไม่หมดต้องทำเป็นมะม่วงกวนเก็บไว้รับประทานได้นาน ๆ

 構文としては、ชาวสวน...ต้องทำเป็น 〜 というのが柱で、ชาวสวน の後と、มะม่วง の後にそれぞれ関係詞 ที่ が省略されているという感じだろう。
 ชาวสวน は「園芸をする人」で、จำหน่าย は「販売する」かな。タイには、禁酒日(より正確には酒販売禁止日。仏教系祭日など)というのがあるけど、その際の店先の掲示で、話し言葉的な ขาย (売る)てはなくて、จำหน่าย の方だったものをみたことがある)。
ทำเป็น は「〜になるように作る」。กวน は元の意味は「混ぜる」(例えば、ไข่กวน で「スクランブル・エッグ」)。

 直訳すると、
  〈販売してなくならなかった園芸をする人は、になるように作らなければならない、混ぜて保存して長く食べることができるマンゴーに〉
みたいな感じだから、
  「販売しきれなかった果樹農家は、保存して長期間食べられる調製したマンゴーに加工しなければならない。
のような感じだろうか。กวน は、保存のためにという趣旨を踏まえれば「調製する」という感じだろう(タイのコンビになどでは、砂糖に混ぜて(漬けて)脱水して乾燥させたようなものをよく見かけるような)。
いずれにせよ、動詞 หมด は、ここでも同じく前回記事の(1)の「無くなる」という意味なのだろう。


 ついでに、上記の ไว้ の別の見方について、少し述べておこう。上記文の後半の動詞連続のあたりを一般化すれば
  [ที่] ทำ ... ไว้ทำ 〜
というような使われ方をしている。この場合は、〈・・・しておいて、〜する〉みたいな趣旨なので、ไว้ の後に เพิ่อ が省略されていると考えることもできると思われる(目的を誘導する ไว้ )。すなわち、和訳では
  「〜するために・・・する」(英語だと、"[that] do ... [in order] to do 〜")
というような意味になる感じだろう。この認識で直訳すると、
  〈販売してなくならなかった園芸をする人は、になるように作らなければならない、混ぜて保存しておくマンゴーに、長く食べることができるように〉
みたいな感じだろう。最終的な意味としては、上記の動詞連続と考えた場合とほぼ同じなので、読解する際には、どのようにしても(動詞連続としても目的をを誘導する ไว้ としても)、余り違いはないけど、
  「〜するために・・・する」 ──→ ทำ ... ไว้ทำ 〜  
と整理しておけば、作文する際に役に立つのではないだろうか。


 さて、表題の動詞 หาย に入ろう。
  動詞 หาย(ホーヒープ・サラアー・ヨーヤック hǎai)に対応する日本語動詞は、「なくす・うせる、無くす・失せる」と思われる。

 動詞「なくす・うせる」から連想されるべき言回しはには、
 血の気がうせる
などがあろう。


(1) 先ずは、「(物などを)なくす」という意味がある。
  〈なくす+物〉( หายสิ่งของ )で「(物を)なくす、失う」。また、
  〈物をなくす〉( ของหาย )で「なくした物」、
  〈なくす+身体〉( หายตัว )で「行方不明である」。
 これも、ここの項に入れるへきかな?(違うなら、後述の(5)だろう)
   〈なくす+怒る〉( หายโกรธ )で〈怒るのをなくす〉となり、据わりがわるいので「怒るのを止める」の訳へ。


(2) 病気をなくすという趣旨で、「(健康状態が)よくなる」という意味がある。
  〈なくす+痛み〉( หายเจ็บ )で「(健康状態が)よくなる、(痛み)がなくなる」、
  〈なくす+病気〉( หายป่วย )で「(健康状態が)よくなる、(病気が)治る」。


(3) 血の気がうせる、とあるように、「(症状などが)消える」という意味がある。
  〈腫れ+うせる〉( อาการบวมหาย )で「(腫れが)消える、なくなる」、
  〈雲+うせる〉( เมฆหาย )で「(雲が)消える、なくなる」。


(4) 疑問などがうせるという趣旨で、「(疑問などが)晴れる」という意味がある。
  〈誤解+うせる〉( ความเข้าใจผิดหาย )で「(誤解が)晴れる、なくなる」。


(5) 天気などの継続している状態がうせるという趣旨で、「(状態が)止む」という意味がある。
  〈雨+うせる〉( ฝนหาย )で「(雨が)止む」、
  〈風+うせる〉( ลมหาย )で「(風が)止む」。


 最後に、動詞 หาย を用いた例文については、以下のとおり。例によって、解説は次回記事にて。
(ア) เขาหายกลัวเป็นปลิดทิ้งเมื่อพบว่าเสียงที่ได้ยินเป็นเสียงเคาะประตูของเพื่อน

(イ) เมื่อสถานการณ์ยืดเยื้อมาถึงขนาดนี้แล้ว การล้อมคอกหลังวัวหาย ก็ถือว่าดีกว่าปล่อยให้เหตุการณ์บานปลาย

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二重動詞 動詞+ไป (離れて・完了・継続)

2015年05月19日 | 二重動詞

 動詞 หมด (mòt、なくなる)を取り扱ったところで、よい機会なので少し脱線しておこう(要は、今回は手抜きをしようということかも・・・)。

 หมด という動詞は、何かとくっ付いて出てくることがあり、よく見かけるのは、例えば前回記事でもふれた
  หมดแล้ว 「もうなくなった、既になくなった」
だろうか。あと、たまに見かけるものの中には、หมดไป という二重動詞の形もあるだろう。ไป の意味としては、上記の แล้ว と同様に完了の表したものとなっている。

 このような動詞 ไป は、補助動詞とか呼ばれることもあるようだけど、とりあえず使われ方をまとめておこう。主に3つの意味があるのだろうか。
(1) ออกไปเข้าไปเอาไป など。
(2) หมดไปแตกไป など。
(3) ต่อไปพูดไป など。


(1)については、「(離れて)行く」みたいな意味(英語で言えば "away" という感じ)を補う ไป となっていて、上記例示は、それぞれ「出て行く」、「入って行く」、「連れて行く」という意味合いになるのだろう。また、このような ไป の場合、文脈上の理由や言回しの流れから、必ずしも訳出しておく必要のないこともあるだろう(1番目は「出る」、2番目は「入る」のままとしておく)。


(2)については、完了を表す ไป で「・・・してしまう」みたいな意味になるのだろう。上述の例示でいえば、それぞれ「なくなってしまう」、「割れてしまう」という感じだろうか。
ただ、日本語で「〜てしまう」とした場合、完了の意義が後退して、予期せぬことが実現したという意義が前面に出すぎることもあるので(例えば、「負けてしまう」)、その時は単に「・・・した」みたいな感じに訳した方がいいのかもしれない。
泰泰の解説だと、このような ไป は、
  แสดงว่าเสร็จสิ้นไปแล้ว (仮訳:既に完了してしまったことを表す)
と説明されているようだ(ここでの ไป も完了を表すものだけど、แล้ว も一緒に使われている)。

 もう少し例を出しておくと、
(ア)น้ำมันหมด     (イ)น้ำมันหมดไป
(ウ)แก้วแตก       (エ)แก้วแตกไป
(オ) อ่านหนังสือ   (カ)อ่านหนังสือไป

(ア)は「ガソリンがなくなる」、(イ)は「ガソリンがなくなってしまう」、
(ウ)は「コップが割れる」、(エ)は「コップが割れてしまう」、
(オ)は「本を読む」、(カ)は「本を読んでしまう」
というような感じとなるのだろう。

 完了を表す二重動詞のパターンだと、完了を表す มา のパターン
  動詞+ มา (ここで มา は「・・・して来た」の意味)
がよく知られているけど、個人的には、完了を表す ไป の方が使用頻度が多いのではないかと感じている。
想像するに、完了を表す มา の印象が強いのは、サバイバル会話の初歩で、挨拶代わりの表現ということで、次を習うからではないだろうか。
  ไปไหน    (pai nǎi)     「どこへ行くの?」
  ไปไหนมา (pai nǎi maa)  「どこへ行ってきたの?」


(3)については、継続を表す ไป で「(続けて)行く」みたいな意味になっている。上述の例示でいえば、それぞれ「続けて行く」、「話し続ける」というような意味になるのだろう。
印象の強さということで言えば、ต่อไป と聞くと、先ずは「次の」という意味が思い浮かぶのではないだろうか。そうであれば、それは多分、次のようなBTS(バンコク市内の高架鉄道線)の駅に到着する度に聞かせられる、印象的な車内アナウンス(タイ語と英語)のせいではないだろうか。
  สถานีต่อไป [駅名] (sàthǎanii tɔ̀ɔ pai [駅名])
  The next station is [駅名].

 

追記)
 書き忘れたので、追記しておこう。上記(1)と(2)の区別は、細かく言えば、必ずしも明確でないこともあるだろう。例えば、
  ทุกคนหมดไป
とあれば、〈皆、いなくなって(離れて)いった〉ともとれるし((1)の場合)、〈皆、いなくなってしまった〉ともとれることもあるだろう((2)の場合)。
まあ、訳したときに、大きく異なるわけでもないので、細かすぎる点を気にしても仕方がないということで・・・

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動詞 หมด (mòt、なくなる)

2015年05月18日 | 動詞編

 まずは、前回の動詞 เลื่อน(lʉ̂an、ずらす・うごかす)を用いた例文の解説から。
(ア) การลงคะแนนเสียงเลือกตั้งทั่วไปจะต้องเลื่อนเวลาออกไปหากปรากฏว่าผู้สมัครรับเลือกตั้งคนหนึ่งคนใดเสียชีวิต

 構文としては、เลื่อน を動詞とする文に、หาก 以下の条件節(条件を表す副詞節)が付いた形といえるだろう。
内容としては、公職選挙に関する法律レベルにあるべき規則だと思われるけど、日本では、聞いたことがない内容だけど、タイにはあるのだろうか?

 直訳してみると、
  〈総選挙の投票は、延期しなければならない、もし明らかになった場合には、立候補者の誰か一名が命を失ったということが〉
みたいな感じだろうから、
  「総選挙の投票は、立候補者のいずれか一名が死亡したことが明らかになった場合には、延期しなければならない。
という意味だろう(タイのドラマを動画サイトで見ていると拳銃を撃つ場面が多いように感じるので、これも拳銃所持の許可がわりと簡単に手に入るという社会情勢を反映しているのだろう思っている。仮に、このような法律の規定がタイにあるならば、接戦の選挙戦だと無投票当選をねらって刺客を放つというのも簡単にできそうな気もするので、そういったことを防止する規定なのかもしれない)。
動詞 เลื่อน は、ここでは前回記事の(3)の「延期する」という意味なのだろう。

 語句については、いずれもよく使われるものだが、การลงคะแนนเสียง(票を投じること)で「投票」、เลือกตั้งทั่วไป(一般の選挙)で多分「総選挙」、ผู้สมัครรับเลือกตั้ง(選ぶのを受けることに応募した人)で「立候補者」、เสียชีวิต で「命を失う」。

(イ) เณรเคาะประตูได้ยินเสียง "เชิญ" เลื่อนประตูออก เห็นหลวงพ่อกำลังนั่งจิบชาอ่านหนังสือพิมพ์

 構文としては、〈 เคาะ して、ได้ยิน して、เลื่อน して、เห็น した〉というダラダラした文という感じたろう。

直訳してみると、
  〈小僧は、戸をノックして、「どうぞ」という声が聞こえて、戸を動かし出して、見えた、偉い僧侶が座ってお茶をすすり新聞を読んでいるところ〉
みたいな感じだから、
  「戸をノックすると『どうぞ』という返事が聞こえたので、小僧が戸を開くと、高僧が座ってお茶をすすりながら、新聞を読んでいるのがみえた
という感じだろうか。動詞 เลื่อน は、ここでは前回記事の(1)の「動かす」という意味なのだろう。
語句については、เคาะ は「たたく、ノックする」、หลวงพ่อ で「尊敬すべき僧」、จิบ で「すする、味わう」。



 さて、表題の動詞 หมด に入ろう。
この単語は、サバイバル会話では、重要なものといえるだろう(逆に言えば、いまままで紹介した単語は、その用途では何にも役立たないということだ)。

 役立ちそうな場面としては、二つが思い浮かぶ。一つは、物を買うのに価格交渉をしている場面。一つでは値段が思ったほど下がらないようなら、数量値引きを求めるわけだ。気に入った商品が複数あるならば、指差して次のように言うわけだ。
  ทั้งหมดเท่าไร ครัว/คะ (全部でいくらですか?)
ここで หมด は、副詞の意味(「全て」)で使われているのかな。

 もう一つは、屋台で人気のメニューの昼飯を食べるような場合だ。自分がよく行くところだと、注文が通ると、普通は何かそれらしい返事があるか(例えば、จ้า とか。書かれたところをみたことないので声調は不正確かもしれない)、あるいは座って待てという趣旨で、空いている席を指さされることが多いような気がする。で、注文がはじかれる時は、多くの場合は、次のように言われるわけだ。
  หมดแล่ว

  さて、動詞 หมด(ホーヒープ・モーマー・ドーデック mòt)に対応する日本語動詞は、「なくなる、無くなる」と思われる。

 動詞「なくなる」から連想されるべき言回しはには、
  資金がなくなる、夢がなくなる
などがあろう。


(1) 先ずは、資金がなくなる、とあるように、用意していた資源が利用されてなくなるというような趣旨で、「(物などが)無くなる」という意味がある。
この場合、無くなる原因の動作を表す動詞と一緒に使われる傾向がある。例としては、
  〈使う+紙+なくなる〉( ใช้กระดาษหมด )で「(紙を使って)無くなる」、
  〈売る+本+なくなる〉( ชายหนังสือหมด )で「(本が売れて)無くなる」。


(2) 人がたち去りいなくなるというような趣旨で、「(人などが)いなくなる」という意味がある。
この場合、無くなる原因の動作を表す動詞と一緒に使われる傾向がある。例としては、
  〈人+去る+なくなる〉( คนไปกันหมด )で「(人が去り)いなくなる」。


(3) 一定のお金・時間がなくなるという趣旨で、「(お金・時間を)使う」という意味がある。
  〈なくなる+時間〉( หมดเวลา )で「(時間を)使う、費やす」。


(4) 能力など不定形のものがなくなるというような趣旨で、「(能力・機会などを)失う」という意味がある。
  〈なくなる+自信〉( หมดความเชื่อมั่น )で「(自信を)失う」、
  〈なくなる+機会〉( หมดโอกาส )で「(機会を)失う」。


(5) なくなった後の状態を表現することを重視する趣旨で、「(権限などが)ない」という意味がある。
  〈なくなる+権利〉( หมดสิทธิ )で「(権利が)ない」。


 上述のサバイバル会話の話に戻ってみよう
自分がタイ語学習に挑戦するのは今回で2回目なのだけど、1回目と2回目の間は相当の間隔(5年以上)があって、その間は、かなり適当なサバイバル会話しかできなかったのだ。
2回目を始める直前の時期には、前者の表現は覚えていたけど、後者は意味が思い出せなかったのだ(よく行く屋台だったので、おばちゃんの表情でなんとなく趣旨はわかったので、そこの屋台では ข้าวมันไก่(鶏油飯)しか食べないから、回れ右して・・・)。


 最後に、動詞 หมด を用いた例文については、以下のとおり。例によって、解説は次回記事にて。
(ア) ซื่อกินไม่หมดคดกินไม่นาน

(イ) ชาวสวนจำหน่ายไม่หมดต้องทำเป็นมะม่วงกวนเก็บไว้รับประทานได้นาน ๆ

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動詞 เลื่อน (lʉ̀an、ずらす・うごかす)

2015年05月16日 | 動詞編

 最初は、前回記事で言及した動詞 เดือด を使った例文の解説から。
(ア) คุณนายกำลังเดือดสาวใช้คนใหม่

 คุณนาย は、英語で言えは"Madam, Mrs."にあるる語で、日本語だと「ご婦人、奥様、夫人」とかだろうか( นาย だけだと、この文脈だと"Mister, Mr."の趣旨)。สาวใช้ で「家政婦、お手伝い」の意味。

 全体としては、
  「夫人は、新しい家政婦に怒っている。
という意味だろう。動詞 เดือด は、ここでは前回記事の(3)の「怒る」という意味なのだろう。


(イ) หญิงสาวนั่งขบเขี้ยวเคี้ยวฟันอยู่บนรถตลอดทางที่มุ่งสู่ธนาคารศรีสยาม สำนักงานใหญ่ พอถึงที่ อารมณ์ก็เดือดได้ที่เช่นกัน  ไม่ทราบว่าห้องทำงานของคุณกฤตินอยู่ชั้นไหนคะ

 小説か何かの一節で、3つの文からなるようにみえる。
最初の文で、นั่ง は「(乗り物に)乗る」という感じだろうか。ขบเขี้ยวเคี้ยวฟัน は、「歯ぎしりをする(ほど怒る)」という意味(ちなみに、ขบเคี้ยว は共に「噛む」という意味。เขี้ยว は「犬歯」)。มุ่งสู่... で、「・・・へ向かう」という意味か。ศรีสยาม は固有名詞(架空の銀行の名前)。
พอ ではじまる文中の เช่น は何だろう(誰か教えてほしいところ。余りピンと来ていないのだけど、辻褄を合わせると、動詞で「(性格などを)よく知っている」という感じか・・・)。
ไม่ทราบ ではじまる文で、กฤติน は人名。

 直訳してみると、
  〈若い女性は、乗って歯ぎしりするほど怒っていた、車の上でずっと、スリィサイアム銀行本店に向かっているところ。/到着するとすぐに、気分が高まった、よく知っているように。/知らなかった、クリィティンさんの仕事の部屋がどの階にあるのか〉
みたいな感じだから、
  「若い女性は、スリィサイアム銀行本店に向かうに車に乗っている間ずっと、ひどく怒っていた。着くとすぐに、いつものように気分が高まってきた。しかし、クリィティンさんの職場が何階にあるのかは、知らなかった。」(仮訳)
という意味だろうか。動詞 เดือด は、ここでは前回記事の(2)の「高まる」という意味なのだろう。


 さて、表題の動詞 เลื่อน に入ろう。

 この動詞は、昨年勉強ノートを見返すと、このシリーズで扱っている動詞の覚え方で2番目に取り扱った単語のようだ(すっかり忘れていた)。なので、もう少し早めに記事にしておくべきだったのだろう(最初に記事にした ค้าง が2番目だとばっかり思っていて・・・。1番目は ตั้ง なのだけど、これはいずれ終わりの方で・・・)。

 この動詞は、一時期、謎の動詞という位置づけだったのだ。タイ文字が少し読めるようになってからタイに行く機会があると、看板などの文字が妙に気になって、長らく立ち止まって読み込んでしまうということが多々あった。
店先のドアに何かタイ語で表示があることがあるのだが、日本で言えば、「押」「引」とかの字が入ったヤツだ。タイ語の押す・引くなら、単語集でも最初のほうに出てきていたのでそのうち分かったのだけど・・・
 時間がかかったのが、この เลื่อน である。当時買ったばかりの分厚いタイ英辞書で引いてみても、その部分だけ何故か英訳がなかったのだ。わずかに、タイ語で動かすみたいな意味だとの短い説明があるのみで、よく理解できなかったのだ。「『ドアを動かす』という意味ならば、ドアを押すや引くも、その一種だよな。押すは、前に動かすだし、引くは、後ろに動かすだし」とか思ったりして・・・。当時まだ、タイ文字のタイプができなくて、ネット上のタイ語辞書とかは使えなかったのも一因だろう。


 結局よく分からないけど、 เลื่อน は動詞で意味は多分「横に引く」という感じかなと思っていると、タイ語と英語との両方の表示を書いてあるドアに出会ったのだ。ここで初めて言いたい意味が、英語の動詞「slide」だと分かった訳だ(日本だと、「スライド」なんていう表示はあるのだろうか、あるいは矢印の表示で済ませているのか? よく分からんな)。
 しばらくすると、เลื่อน には、昇進するとか、延期するとかいう意味があることが分かり、困ってしまった訳だ。意味合いが増えると大脳のメモリー不足で覚えられないためだ。そこで เลื่อน の項を辞書で引いて、どうやって覚えたら良いものかと思案していると・・・。時間がかかって、ようやく、元の「うごかす」でよいと気がついたわけだ(その後、เดิน の方を「うごかす」にしたので、こちらの動詞は「ずらす・うごかす」に変更。また、เลื่อน は名詞だと「そり」の意味があり、滑らせるの意味合いをも含む「ずらす」としっくりくるし)。


 与太話はさておき、動詞 เลื่อน (サラエー・ローリン・サラウー・オーアーン・ノーネーン・マイエーク lʉ̀an)に対応する日本語動詞は、
  「ずらす・うごかす、[漢字なし]・動かす」
と思われる。

 動詞「ずらす・うごかす」から連想されるべき言回しはには、
  机をずらす(うごかす)、日程をずらす(うごかす)
などがあろう。


(1) 先ずは、机をずらす(うごかす)、とあるように、「(物を)動かす」という意味がある
 泰泰の解説だと、
  เคลื่อนหรือย้ายจากที่เดิมโดยลักษณะอาการต่างๆ เช่น ลาก เสือกไส ยกขึ้น กดลง. (仮訳:引きずる、押しのける、持ち上げる、押し下げるなどのいろいろな形態によって元の場所から動かし、又は移動させること)
となっているようだ。例としては、
  〈ずらす+椅子〉( เลื่อนเก้าอี้ )で「(椅子を)ずらす、動かす」。


(2) 役職をうごかすという趣旨で、「昇進する」という意味がある。
ここでは、何故か、降格するといった悪い方向の場合は含まないらしい。例としては、
  〈ずらす+役職+ペン...〉( เลื่อนตำแหน่งเป็น... )で「(・・・に)昇進する」。


(3) 日程をずらす(うごかす)、との言回しにあるように、「(日時などを)変更する」という意味がある。
この場合、延期すると訳しているような場合もあるようだけど、泰泰の解説をみると、日時の後倒し(延期)の他、日時の前倒しも含むようだ(明確に区別する必要があるなら、それぞれ เลื่อนให้ช้าลงเลื่อนให้เร็วขื้น となる模様)。
例としては、
  〈ずらす+pen+火曜日〉( เลื่อนเป็นวันอังคาร )で「(火曜日に)変える」、
  〈ずらす+pai +もう3日〉( เลื่อนไปอีกสามวัน )で「(3日間)延期する」。


 動詞 เลื่อน を用いた例文については、以下のとおり。例によって、解説は次回記事にて。
(ア) การลงคะแนนเสียงเลือกตั้งทั่วไปจะต้องเลื่อนเวลาออกไปหากปรากฏว่าผู้สมัครรับเลือกตั้งคนหนึ่งคนใดเสียชีวิต

(イ) เณรเคาะประตูได้ยินเสียง "เชิญ" เลื่อนประตูออก เห็นหลวงพ่อกำลังนั่งจิบชาอ่านหนังสือพิมพ์

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動詞 เดือด (dʉ̀at、わく)

2015年05月15日 | 動詞編

 先ずは、前回記事で取り上げた動詞 ถอด を用いた例文の解説から。
(ア) แผลแบบนี้ต้องรอให้ถอดเล็บแล้วปล่อยให้เล็บยาวขึ้นมาใหม่

 構文としては、แผลแบบนี้ が文の主題になっていて(主題倒置)、残りは、แล้วの後で切れる重文(二つの文)の構造だろう。
前者の文の動詞は、รอให้... (・・・して待つ)、後者の動詞は、ปล่อยให้... (・・・するようほうっておく)かな。แล้ว については、偶に見かける使い方だけど、泰泰の解説だと、
  พูดคล้อยตามข้อความต้น (仮訳:先立った内容に従うように言う)
ための แล้ว にあたるだろうか。
ยาวขึ้นで「長くする、伸びる」の意味。
状況としては、例えば、医者が患者(聞き手)に解説している場面だろうか。

 直訳すれば、
  〈このような傷は、爪を外して待って、新たに爪が長くなるようにほうっておかなければならない。〉
みたいな感じだろうから、
  「このような傷は、爪をはがして、新しく伸びてくるのを待つしかない。」(仮訳) 
となる感じだろう。動詞 ถอด は、ここでは前回記事の(1)の「(身体から)外す」という意味なのだろう。


(イ) หญิงสาวคิดจะแจ้งเกิดโดยถอดยกทรงเต้นในงานสงกรานต์ แต่วิธีนี้กลับแป๊ก เพราะนอกจากจะไม่ได้เกิดแล้ว ยังโดนข้อหา
อนาจารอีกด้วย


構文としては、หญิงคิด... แต่วิธีนี้กลับแป๊ก  เพราะ 〜 という感じだから、「女性が・・・と考えたが、その方法は กลับแป๊ก した、なぜなら〜」という構造だろう。
แจ้งเกิด は「有名になる」(แจ้ง は「通報する」みたいな意味のことが多いけど、「一般に知らせる」(to make known publicly)みたいな意味もあるらしい。เกิด は「生じる、起こる」)。ยกทรง は、直訳するとスタイルを持ち上げるという感じなので補整着かと思ったら、主には「ブラ」の意味だった。
กลับは、ここでは「かえって」と訳しておくとよい使い方だろうか。แป๊ก は、英語の"back"の音訳で、"to back, backfire"(逆行する、裏目に出る)らしい。
ข้อหา は「嫌疑、容疑」、อนาจาร は「わいせつ」の意味。

 直訳してみると、
  〈若い女性は、有名になろうと考えた、ソンクラーン祭りでブラを外して踊ることによって、しかし、その方法はかえって裏目に出た、なぜなら、有名にならなかった以外に、わいせつ容疑に出くわしたからだ〉
みたいな感じだから、
  「若い女性は、ソンクラーン(タイの新年祝い)の際にトップレスで踊って有名になろうと考えたが、その方法は裏目に出た。なぜなら、有名にはならなかったばかりか、わいせつ容疑で摘発されたからだ。
という感じだろうか。動詞 ถอด は、ここちらも同じく前回記事の(1)の「(身体から)外す」という意味なのだろう。



 さて、表題の動詞 เดือด に入ろう。
この動詞を一番よく見かけるのは、 เดือดร้อน という形ではないだろうか。意味は、「迷惑する、困る、イライラする」、「面倒な」というような意味だろう。

 動詞 เดือด(サラエー・ドーデック・サラウー・オーアーン・ドーデック dʉ̀at)に対応する日本語動詞は、「わく、沸く・湧く」と思われる。

 動詞「わく」から連想されるべき言回しはには、
  勝利にわく、怒りがわく
などがあろう。

(1) 先ずは、「(水が)熱くなる」という意味がある。
  〈水+わく〉(น้ำเดือด)で「(水が)沸騰する、熱くなる」。また、
  〈点がわく〉(จุดเดือด)で「沸騰点」。


(2) 勝利にわく、とあるように、「(ある種の感情が)高まる、高ぶる」という意味がある。
  〈気分+わく〉(อารมณ์เดือด)で「気分が高まる」。


(3) 怒りがわく、とあるように、「(人が)怒る」という意味がある。
  〈彼+わく〉(เขาเดือด)で「(彼は)怒る、腹を立てる」。

 

 先ほど少し触れた เดือดร้อน の話に戻ると、後ろの ร้อน という単語の方は「暑い、熱い」という意味でよく知られている。なので、元々は〈沸騰して熱い〉というような意味合いだったと思われる。現在では、そこから転じて「迷惑する」になったのではないだろうか。日本だと季節によっては、近づいていって「ポカポカしていいね」ということもあるのだが、タイは熱帯の国なので、いつも厄介者扱いで・・・

(と、書いてはみたものの、〈腹を立てて熱くなる〉ほどひどいので「迷惑する」ということのような気もしてた・・・)

 


 動詞 เดือด を用いた例文を示しておこう。例によって、解説は次回記事にて。
(ア) คุณนายกำลังเดือดสาวใช้คนใหม่

(イ) หญิงสาวนั่งขบเขี้ยวเคี้ยวฟันอยู่บนรถตลอดทางที่มุ่งสู่ธนาคารศรีสยาม สำนักงานใหญ่ พอถึงที่ อารมณ์ก็เดือดได้ที่เช่นกัน  ไม่
ทราบว่าห้องทำงานของคุณกฤตินอยู่ชั้นไหนคะ


 後者の文中 ขบเขี้ยวเคี้ยวฟัน は、「歯ぎしりをする(ほど怒る)」という意味。

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動詞 ถอด (thɔ̀ɔt、はずす)

2015年05月14日 | 動詞編

 前回記事の動詞 เดิน を用いた例文の解説から、はじめよう。
(ア) ไม่สำคัญว่าเมื่อวานเราเจออะไรมา แต่มันสำคัญว่าพรุ่งนี้เรา
จะเดินต่อด้วยกันอย่างไร


 構文としては、二つの文が接続詞 แต่ で結ばれた構造でそれほど難しくないけど、
  ไม่สำคัญว่า... แต่มันสำคัญว่า
と取り出しておくと、「・・・は重要ではないが、重要なのは 〜 である」といった表現をしたいときに役に立つのかもしれない。 มัน は代名詞、その内容は ว่า 以下の内容となっているようで、英語で言えば"it is important that 〜 "のitと同じ感じだろう。

 難しい単語はなさそうなので、直訳すると、
  〈昨日我々が何に会ったのかは重要ではないが、重要なのは、明日我々はどのように一緒に進み続けるのかということである〉
みたいな感じだから、
  「昨日何があったかは重要ではないが、明日我々がいかに一緒に進んでいくのかが重要な点である。」(仮訳)
となるのだろうか。動詞 เดิน は、ここでは前回記事の(8)の「進む」という意味のような気がする(「歩む」と理解して、抽象化した(1)の意味ともとれるかもしれない)。



(イ) บริษัทได้เตรียมน้ำมันสำรองเดินเครื่องปั่นไฟเพื่อให้การสื่อสารไม่ขัดข้อง

 構文としては、一見易しくないけど、(別の形にも整理できそうだけど、とりあえず)二重動詞 สำรองเดิน の前に関係代名詞 ที่ が省略され、 เพื่อ 以下に主動作の目的の説明があるという感じでみれば、เตรียม が主動詞となる分かりやすい構造と言えるのではないか。
สำรอง は動詞で「とっておく、蓄えておく」(to reserve)、เครื่องปั่นไฟ は「発電機」(ちなみに、ปั่นไฟで「発電する」、ปั่นで「回転させる、回転する」)、การสื่อสาร は「通信」の意味だろう。また、ขัดข้องは「欠く、不足する」みたいな意味。

 直訳すると、
  〈会社は、発電機を動かすのに蓄えておく石油を準備した、通信が欠かないように〉
みたいな感じだから、
  「会社は、通信が途絶えないように、発電機を動かす予備の石油を準備した。」(仮訳)
となるのだろうか。動詞 เดิน は、ここでは前回記事の(2)の「稼動させる」という意味なのだろう。



 さて、表題の動詞 ถอด 入ろう。
 動詞 ถอด(トートゥン・オーアーン・ドーデック thɔ̀ɔt)に対応する日本語動詞は、「はずす、外す」と思われる。

(1) 先ずは、身体からはずすという趣旨で、「(身の回り品などを)外す」という意味がある。
  〈はずす+服〉(ถอดเสื้อ)で「(服を)脱ぐ」、
  〈はずす+眼鏡〉(ถอดแว่นตา)で「(眼鏡を)外す」。


(2) 物品からはずすという趣旨で、「(物などを)分解する」という意味がある。
  〈はずす+機械〉(ถอดเครื่องจักร)で「(機械を)分解する」。


(3) 暗号鍵をはずすという趣旨で、「(暗号などを)解く」という意味がある。
  〈はずす+暗号〉(ถอดรหัส)で「(暗号を)解く、外す」。


(4) 本からはずしてくるという趣旨で、「(文章などを)分かり易く言い換える」という意味がある。
これはよく分からないのだけど、次のような感じか。

昔は本といえば、記録文書か仏経典のことだろう。前者は無味乾燥だろうから、外してくるものといえば、後者の一節であろう。昔の経典はパーリー語あるいはサンスクリット語だろうから、普通のタイ人的には一節を外してきただけでは意味をなさず、理解できる言葉で言い換える、意味は無視して発音だけまねる、深い意味を探す、というような活動をも伴ったのであろう(日本人で言えば、例えば、「論語」の一節を持ってこられても、漢文読み下し文とか現代訳とかがないとにわかには有難さがわからない、という感じだろうか)。
 例としては、
  〈はずす+文章〉(ถอดข้อความ)で「(文章を)言い換える、音訳する、解釈する、翻訳する」(to paraphrase, transliterate, interpret, translate)。


(5) 意匠・設計をはずしてくるという趣旨で、「(設計などを)模倣する」という意味がある。
  〈はずす+設計〉(ถอดแบบ(ออกจาก〜))で「(設計を)模倣する」。


(6) 役職からはずすという趣旨で、「(人を)解任する」という意味がある。
  〈はずす+人〉(ถอด+ sb. (+ออกจาก〜))で「(人を)解任する、追い出す」。


 次回記事で扱う予定の、動詞 ถอด を用いた例文を頭出ししておこう。
(ア) แผลแบบนี้ต้องรอให้ถอดเล็บแล้วปล่อยให้เล็บยาวขึ้นมาใหม่

(イ) หญิงสาวคิดจะแจ้งเกิดโดยถอดยกทรงเต้นในงานสงกรานต์ แต่วิธีนี้กลับแป๊ก เพราะนอกจากจะไม่ได้เกิดแล้ว ยังโดนข้อหาอนาจารอีกด้วย

ここで、後者の文中 แจ้งเกิด は「有名になる」、ข้อหาอนาจาร は「わいせつ容疑」の意味。

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動詞 เดิน (dəən、うごかす・うごく)

2015年05月13日 | 動詞編

 先ずは、前回記事の動詞 กำเนิด を使った例文の解説から。
(ア)  พระพุทธเจ้าได้ทรงกำเนิดในช่วงที่มีการแบ่งแยกเป็นชนชั้น
วรรณะต่าง ๆ


 構文としては、ทรงกำเนิด が動詞である単純な構造と言えるだろう。ทรง(soŋ)は動詞の前につけて王語・神仏語を作る語とされていて、主語 พระพุทธเจ้า は「仏陀」だから、それでよいのだろう。
関係詞 ที่ の節の動詞 มีの後が長いけど、全体が การ で名詞節化されていて、การแบ่งแยกเป็น・・・ で、「・・・として分けること、離すこと」のような感じだろうか。วรรณะ は「カースト」の意味。

 全体を直訳してみると、
  〈仏陀は、産まれた、という時期に、様々なカースト階級への分離隔離があったところの〉
みたいな感じになるから、
  「仏陀は、様々なカーストによる階級制があった時代に出生した」(仮訳)
となるような感じだろう。กำเนิดは、前回記事の(1)の「産まれる」という意味のようだ。


(イ)  กำเนิดพระแม่คงคานี้ปรากฏตีพิมพ์ในหนังสือศิลปะอินเดีย
เกือบจะทุกเล่ม


 構文としては、ปรากฏตีพิมพ์ が動詞の簡単な構造だろう。三重動詞だけど、最初のは「姿を現す」、残りは「発行する、印刷する」みたいな感じ。

แม่คงคา は「ガンジス川」の意味で、กำเนิดพระแม่คงคานี้ は、「このようにガンジス川を生み出したこと」という感じだと思うけど、何となくよく分からない。そこで、ガンジス川について調べてみると、インド神話によれば、王族(パギーラタ)が魂の供養のために、天上の川を神々の力を借りて地上に降ろしたものがカンジス川ということらしい。神話の世界の話だから、美術の絵的な題材となり易いのであろう。

 全体を直訳してみると、
  〈このようにガンジス川を生み出したことは、インド美術の本ほとんど全てに印刷され現れている〉
みたいな感じだろうから、
  「このガンジス川の出現は、インド美術の本のほとんど全てに描写されている」(仮訳)
となる感じだろう。กำเนิดは、前回記事の(2)の「〜が生じる」という意味のようだ。



 さて、表題の動詞 เดิน の話に入ろう。
 動詞 เดิน(サラエー・ドーデック・サライ・ノーネーン dəən)に対応する日本語動詞は、「うごかす・うごく、動かす・動く」と思われる。

(1) 先ずは、足をうごかすという趣旨で、「歩く」という自動詞としての意味がある。


(2) うごかすの意味に 則して、始動させるという趣旨で、「(機械などを)動かし始める」という意味がある。
  〈うごかす+機械〉(เดินเครื่อง)で「(機械を)動かす、始動させる」。


(3) 事柄をうごかすという趣旨で、「(人と)連絡をとる(ことによって事柄をうごかす)」という意味がある。
  〈うごかす+事柄+กับ...〉(เดินเเรื่องกับ...)で「(人と)連絡をとる」。


(4) うごかすの意味に則して、移動させるという趣旨で、「(物の場所を)動かす」という意味がある。
  〈うごかす+チェスの駒〉(เดินหมากรุก)で「(チェスの駒を)動かす、移動させる」。


(5) 自動詞うごくの方に移ると、道をうごくという趣旨で、「旅をする」という意味がある。
  〈うごく+道〉(เดินทาง)で「旅をする、旅行する」。


(6) うごくの意味に則して、稼動するという趣旨で、「(機械などが)動く」という意味がある。
  〈機械+うごく〉(เครื่องเดิน)で「機械が動く、稼動する」。
 この他、ちょっと毛色が違うような気もするけど、この項に分類できそうなものとして、
  〈腹+うごく〉(ท้องเดิน)で「下痢をする」。


(7) 商品がうごくという趣旨で、「(商品が)売れる」という意味がある。
  〈商品+うごく+良い〉(สินค้าเดินดี)で「商品がよく売れる」。


(8) 事柄がうごくという趣旨で、「(事柄が)進む」という意味がある。
  〈事態+うごく+早く〉(สถานกานณ์เดินเร็ว)で「事態が早く進展する」。



 次回記事で扱うものとして、動詞 เดิน に関連する例文を頭出ししておこう。
(ア) ไม่สำคัญว่าเมื่อวานเราเจออะไรมา แต่มันสำคัญว่าพรุ่งนี้เราจะ
เดินต่อด้วยกันอย่างไร


(イ) บริษัทได้เตรียมน้ำมันสำรองเดินเครื่องปั่นไฟเพื่อให้การสื่อสารไม่ขัดข้อง

ここで、後者の文中の ขัดข้อง は「欠く、不足する」みたいな意味。

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動詞 กำเนิด (kamnə̀ət、うまれる)

2015年05月12日 | 動詞編

 先ずは、前回記事の動詞 ทอด を用いた例文の解説から。再掲しておくと、
(ア)  โรงงานได้ทอดตัวยาวเหยียบไปทางทิศตะวันออก
จนริมทางรถไฟ


 最初の文は、構文については、動詞が ทอด 、目的語が ตัว で、後は修飾語がいろいろついているのだろう。
余り見かけない使い方なのは เหยียบ で、辞書によれば、ここでは「〜まで」という副詞的な意味だろう(なお、เหยียบ は動詞の意味だと、「踏む」となることが多いような)。จน は、同じく「〜まで」の意味で、前にある副詞節 ทางทิศตะวันออก の程度を表しているのだろう。

 

ということで、直訳すれば、
  〈工場は、自らを長く伸ばし、東の方向へ線路の端まである〉
みたいな気がするから、
  「工場は、東方向に長く、線路脇まで伸びている」(仮訳)
という感じだろうか。ここでの ทอด の意味は、前回記事での2番目の項
  腕をなげだす、との言回しがあるように、「(身体などを)伸ばす」という意味
にあたるだろう。

(イ)  เขานำเรือมาจอดทอดสมอไว้หน้าหาด ใกล้กระท่อม

 2番目の文は、直訳すれば、
  〈彼は、船を連れてきて止まり、碇を投げ置いた、小屋近くの浜辺の前に〉
みたいな気がするから、
  「彼は、船を止め、小屋近くの浜辺に碇を投げ込んだ」(仮訳)
という感じだろう。
สมอ は「碇(いかり)」、กระท่อม は「小屋」の意味。


 さて、表題の動詞に戻ろう。กำเนิด (kamnə̀ət)に対応する日本語動詞は、「うまれる、産まれる」と思われる。

 この動詞自体は、あまり意味の広がりがなくて、わざわざ記事にして解説する必要もないような気もしている。しかしながら、類似の他の動詞との関連ででみると、言及しておいた方がよいと思われる。

 それらの関連の動詞も含めて並べておくと、
  เกิด (生じる・起こる kə̀ət)
  คลอด (産む klɔ̂ɔt)
  กำเนิด (産まれる kamnə̀ət)
となるだろう。
 kamnə̀ət( กำเนิด )自体は、kə̀ət( เกิด )からの派生語らしく、別の例としては、damnəən( ดำเนิน )とdəən( เดิน )があるらしい (よく知らないけど、頭子音の後にamnを入れるような感じらしく、うろ覚えながら、クメール式の派生語の作り方にならったものということらしい)。
この中で汎用性の高いのは、「産まれる」という意味も併せ持つ เกิด で、この他に、出生に特化したものがあって、自動詞が กำเนิด で、他動詞が คลอด という整理になるだろうか。
英語の"Happy Birthday!"も สุขสันต์วันเกิด なのだろうから、覚えるのが手間なので、いろいろ単語を作らないでほしいところ。


 とりあえず、กำเนิด の動詞としての意味をみておこう。
(1) 先ず、「産まれる」という意味がある。

  易しい自動詞なので手抜きをして、例は、上述の「誕生日(産まれた日)」。

(2) 「〜が生じる、発生する」という意味も表現できる。この場合、มีกำเนิดมาจาก ・・・というような形をとることが多いのかもしれない。
   โลกกำเนิดมาจากดวงอาทิตย์ (地球は、太陽から発生した。)

(3) また、「〜を産む、作り出す」という意味も表現できる。この場合、ให้กำเนิด ・・・というような形をとることが多いのかもしれない。
  〈機械+うむ+電気〉(เครื่องกำเนิดไฟฟ้า)で「発電機」。


 動詞 กำเนิด を用いた例文については、また次回の記事にて。
(ア)  พระพุทธเจ้าได้ทรงกำเนิดในช่วงที่มีการแบ่งแยกเป็นชนชั้น
วรรณะต่างๆ


(イ)  กำเนิดพระแม่คงคานี้ปรากฏตีพิมพ์ในหนังสือศิลปะอินเดียเกือบจะทุกเล่ม

なお、前者の文で、วรรณะ は「カースト」、後者の文で、แม่คงคา は「ガンジス川」の意味。

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動詞 ทอด (thɔ̂ɔt、なげる・なげだす)

2015年05月11日 | 動詞編

 動詞 ทอด (トータハーン・オーアーン・ドーデック thɔ̂ɔt)に対応する日本語動詞は、「なげる・なげだす、投げる・投げだす」と思われる。

 動詞「なげる・なげだす」から連想されるべき言回しはには、
  腕をなげだす、身をなげる、視線をなげる
などがあろう。


(1) 「(食材を)揚げる」という意味がある。
 これについてはよく分からないけど、適当にこじつけておくと次のようになるだろう(かなり苦しいけど・・・)。
 『タイは、暑い。熱帯の国だ。クーラーもない時代に鍋に油を満たして揚げ物をするのは、かなりの苦痛だ。誰も揚げ鍋には近づきたくないし、近づいても必要最小限の時間としたい。そうすると、鍋に食材を投げ込むのがよさそうだ』というような感じで、昔、揚げ鍋に食材をほうり投げていて、それが転じて「揚げる」になったと。

 用例としては、
  〈なげる+海老〉(ทอดกุ้ง thɔ̂ɔt kûŋ)で「(海老を)揚げる」。また、
  〈魚を揚げる〉( ปลาทอด plaa thɔ̂ɔt)で「揚げた魚」、
  〈肉団子を揚げる〉( ลูกชิ้นทอด lûuk chíŋ thɔ̂ɔt)で「揚げ肉団子」。
  

(2) 腕をなげだす、との言回しがあるように、「(身体などを)伸ばす」という意味がある。
  〈なげだす+腕〉(ทอดแขน thɔ̂ɔt khɛ̌ɛn)で「(腕を)伸ばす、投げだす」、
  〈なげだす+脚〉(ทอดชา thɔ̂ɔt khǎa)で「(脚を)伸ばす、投げだす」。


(3) 身をなげる、との言回しがあるように、「(物などを)投げる、ほうる」という意味がある。
  〈なげる+サイコロ〉(ทอดลูกเต๋า thɔ̂ɔt lûuk tǎw)で「(サイコロを)投げる」
  〈なげる+橋〉(ทอดสะพาน thɔ̂ɔt saphaan)で「(橋を)かける」(これは多分、元来つり橋を念頭においたものの転用だろうということで、ここに)。


(4) 視線をなげる、との言回しがあるように、「(物などを)投げかける」という意味がある。
  〈なげる+影〉(ทอดเงา thɔ̂ɔt ŋaw)で「(影を)投じる」、
  〈なげる+視線〉(ทอดสายตา thɔ̂ɔt sǎai taa)で「(視線を)投げる、投げかける」。


(5) 「(面倒みているものなどを)投げだす」という意味がある。
  〈なげる+女性〉(ทอดผู้หญิ้ง thɔ̂ɔt phûu yǐŋ)で「(女性を)見捨てる」。


 動詞の意味ばかり並べても備忘録以上の意義がないような気もするので、今後は、言及した動詞を使った例文をあげておこう。

(A)  โรงงานได้ทอดตัวยาวเหยียบไปทางทิศตะวันออก
จนริมทางรถไฟ


(B)  เขานำเรือมาจอดทอดสมอไว้หน้าหาด ใกล้กระท่อม

ちなみに、สมอ (samɔ̌ɔ)は、「碇」の意味。詳しくは、次回記事にて。

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名詞 ขอบ (khɔ̀ɔp、端・縁)

2015年05月10日 | その他の単語

 黄金週間ということで、少しサボってしまったような・・・

 先ずは、前回記事のおさらいで、動詞 จับ を使った例文から。今日、本を読んでいてたまたま遭遇したものだ。
  พับไข่เจี่ยวครึ่งหนึ่งเมื่อขอบจับตัวหนาและเริ่มแข็ง

 さて、どういう意味だろうか。少し考えてみてほしい。

 

 ヒントは、これは料理法の解説の一節で、具体的には、オムレツ( ไข่เจี่ยว )を作っている場面のものである。

 更に、พับ は動詞。この動詞、自分の場合は単語集で覚えた単語にあたるけど、実際に使われているのを見るのは多分初めてのような・・・。เมื่อ は、接続詞で「〜する時」とかいう意味のもの。

 ขอบจับตัว は名詞節かな。個人的にはこのような場合は、関係代名詞 ที่ が動詞の前に省略されていると考えることにしている。
ตัว は名詞で、ここでは「本体」という感じだろう。

 

 例文の意味は後回しにして、本題の与太話へ。
 名詞 ขอบ(khɔ̀ɔp、「端・縁(ふち・へり)・周囲」の意味) には、思い入れがあるのだ。なぜなら、長い間ずっと、英語の"to thank"(感謝する)という意味の動詞だと思っていたからだ。"you"はタイ語で คุณ だから、"Thank you"に相当するのが ขอบคุณ だと。

 大きく違っていると気がついたのは、使い易くて語彙の豊富な辞書を買ったためだ。どこで読んだか忘れてしまったけど(適当な思いつきだったかも。最近忘れっぽくて・・・)、คุณ
  บุญคุณ
の趣旨らしくて( บุญ はタムブン(ทำบุญ)のブンでもある)、この単語の意味は日本語だと「恩、恩恵」とされることが多いようだが、もう少し広い意味を含むようで、タイ英の辞書によれば"favour, kindness, grace, bounty"となっている。ちなみに、泰泰の解説だと、例えば、
  ความดีที่ได้กระทำต่อผู้อื่น (仮訳:他人に対し行うことができる善良さ)
となるらしい。

 そうすると、ขอบคุณ というのは、タイ英のニュアンスの方が近いようで、
  edge of favour, or edge of kindness
という感じとなり、日本語的には(あなたの)「親切心の縁(ふち)、優しさの縁」ということになるのではないだろうか。
また、ขอบใจ については、"edge of heart"(心の縁)という感じか。

 そのように理解してみると、「どういたしまして」が
  ไม่เป็นไร (直訳は〈何でもありません〉)
となるのもしっくりくるような気がしてくる。 


 さて、冒頭の例文に戻ると、จับ の意味は、前回記事の4番目の意味で、
  細かな物が大きなものをつかむ、との趣旨で、「(細かな物が)つく」という意味
なのだろう。 ขอบจับตัว という名詞節全体では、〈本体についている縁〉という感じなので、「本体の縁(ふち、へり)(あるいは端、周囲)」という意味だろうか。本体とは当然に、ไข่เจี่ยว を指しているのだろう。

 

 冒頭の文は英文を訳したもの(タイ語で書かれた英会話教材中の解説文)なので、元の文を書いておこう。
  Fold the omelet in half when edge of it has thickened and become solid.

日本語での意味は、「オムレツの縁が厚くなり硬くなり始めたら、二つ折りにする。」いとう感じだろうか。


 ここでは"edge of it"が ขอบจับตัว と訳されているのだけど、どれ位勉強するとこのレベルの翻訳・作文力が付くのだろうか?

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動詞 จับ (càp、つかむ)

2015年05月02日 | 動詞編

 動詞 จับ (ジョージャーン・サラア・ボーバイマイ càp)に対応する日本語動詞は、「つかむ、掴む」と思われる。


(1) 身柄をつかむ、との趣旨で、「(犯人などを)逮捕する」という意味がある。
  〈つかむ+犯人〉(จับคนร้าย càp khon ráai)で「(犯人を)逮捕する、捕まえる」。


(2) 「(物などを)つかむ」という意味がある。
  〈つかむ+ナイフ〉(จับมีด càp mîit)で「(ナイフを)つかむ、手に持つ」。


(3) 何かの連続する状態をつかむ、との趣旨で、「(ある状態が)し始める」という意味がある。
  〈つかむ+熱〉จับไข้ càp khâi)で「(熱が)出る、出はじめる」、
  〈つかむ+さび〉(จับสนิม càp sanǐm)で「(さび)る、はじめる」。

 状態を表現するときには、前の状態からの変化を重視するか、状態の継続を重視するかで違いがあるとすると、この場合は、前者に相当するのだろう。
日本語で言うならば、「熱が出る」と「熱がある」(เป็นไข้ pen khâi)との違いという感じだろうか。


(4) 細かな物が大きなものをつかむ、との趣旨で、「(細かな物が)つく」という意味がある。
  〈埃+つかむ+目的語sth.〉(ฝุ่นจับ+sth. fùn càp+sth.)あるいは
  〈主語sth.+มี+埃+つかむ〉(sth.+มีฝุ่นจับ sth.+mii fùn càp)で「(sth.に埃が)つく」。


(5) 液体などがその物自身をつかむ、との趣旨で、「(液体などが)固まる」という感じの意味がある。
  〈มี+露+つかむ+自身〉(มีน้ำค้างจับตัว mii náam kháaŋ càp tua)で「(露が)たまる」
  〈มี+水蒸気+つかむ+自身〉(มีไอน้ำจับตัว(เป็นน้ำ) mii ?ai náam càp tua)で「(水蒸気が水として)凝結する」。

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二重動詞 ก่อสร้าง コーサーンなど 〈○○する〉

2015年05月01日 | 二重動詞

 動詞 ก่อสร้าง (kɔ̀ɔ sâaŋ) についは、従来、なんとなく違和感があったというか、「何やねん、コイツは!」という感じがしていたのだ。

 ก่อสร้าง は、動詞と動詞とがくっつきつつ動詞の役割を果たすもの(二重動詞)の一つといえるだろう。
タイ語の場合、単語に語形変化がないので(「孤立語」というらしい)、〈動詞+動詞〉という形(「動詞連続(構造)」というらしい)を妨げる理由もないし、というかむしろ、この形が頻繁に用いられているような気がするのである。



 二重動詞でよく見かけるのパターンは、次のようなものの気がする。
  พาไป จับขึ้น ไปรับ
最初の paa pai は、「・・・して〜する」という順番に動作を表すようなパターンで「連れていく」と、2番目のcàp kʉ̂ n は、つかんで上げる、すなわち「持ち上げる」と訳される感じだろう。
最後の pai rápは、(日本語からみると)主動作に目的が補足されたようなパターンで、迎えるために行く、「迎えに行く」となるのだろう。
これらと比較すると、冒頭の動詞は、どちらのパターンでもないような気がして、「何やねん、コイツは!」となった訳なのだ。



 もう一つ別の理由もあったような気がする。建てる系の意味の単語を最初に覚えたのは、とある単語集を使ってだと記憶しているのだけど、その単語集だと、先ず「สร้าง 建てる」の項が出てきて、関連として「ก่อสร้าง 工事する」と解説されているのだ。
この時点では「あー、そうですか。それぞれ覚えるしかないですねー」という感じしかしなかった。だけど、その後、読む経験を積んでいくと「工事する」では個人的にはしっくりいかなくなってしまったのだ(例えば、
  ก่อสร้างบ้าน kɔ̀ɔ sâaŋ bâan
とあると、家を改築する、の意味なのか、など)。
当時新たに購入したての分厚い辞書をひくと、
  สร้างก่อก่อสร้าง
のいずれにも「to build, construct 」(建てる、建築する)の意味があると知り、「何やねん、コイツは!」となった訳なのだ。冗長性がある表現は、記憶力が衰えているので、削れるところは削ってほしいところ、と思っていたのだ。



 その後、「何やねん、コイツは!」という違和感も、
  ก่อ - 〈起こす〉、สร้าง - 〈築く〉、ปลูก - 〈植える〉
との対応を並べておいて(ปลูกが入ってきたのは随分後だけど。〈建てる〉になりそうなタイ語動詞はなさそうかな)、しばらくしてから、ふとある時、
  ก่อสร้าง - 起こして築く、すなわち〈起築する〉(注:造語)
だなと気づいて、消えてしまった訳で・・・

 結局、このパターンは、語形変化のある日本語で言えは、
  「建てる」+「築く」 → 名詞化して「建築」 → スル動詞化して「建築する」
に類似しているなと整理することにした訳だ。。つまり、タイ語の二重動詞で、類似の意味の繰り返しパターンの場合は、日本語の「ある種のスル動詞」みたいなものだなという感じになったのだ。

 最近は、類似の意味の繰り返しの二重動詞は、けっこう気に入っている。
どちらかの単語の意味を知っていれば文意がとれる可能性があるし、片割れの見知らぬ友達を連れてきてくれて知り合いになれる可能性もあるし、辞書引きたくないときには「この単語は、二重動詞の片割れだろうから(と無理にでも思い込み)、調べなくてもマイ・ミー・パンハー(問題なし)だ」との言い訳にも使えるし、・・・


あと、ついでに書いておくと、ปลูกสร้าง(plùuk sâaŋ)という二重動詞もあるのだけど、意味は各自で調べてほしい。このブログ的には、次のような感じだろう。
  ปลูกสร้าง - 植えて築く、すなわち〈植築する〉(注:造語)


 最後に、「起築する」、「植築する」などを覚えても、記憶法としては、転がすことはできなさそうなので全く役に立ちそうもない、ということを念のため指摘しておこう。

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動詞 ปลูก (plùuk、うえる)

2015年04月29日 | 動詞編

 この動詞の意味内容は多分、そのまま覚えた方が早くて簡単で、記憶法としてまとめておく必要もないような気がするけど、前回・前々回の記事からの流れもあり、ここで一応触れておくことにしよう。

 動詞 ปลูก (ポープラー・ローリン・サラウー・コーカイ plùuk)に対応する日本語動詞は、「うえる、植える」と思われる。

 「うえる」という動作には、土地と植物(種、苗など)とが必要で、双方とも農耕民族には重要なものと言えるだろう。
 動詞「うえる」から連想されるべき言回しは、
植えつける
だろうか。

 

(1) 先ず、「(植物を)植える」という意味がある。
  〈うえる+木〉(ปลูกต้นไม้ plùuk tônmái)で「(木を)植える、育てる」。

 

(2) 下記の説明を踏まえると、「(建物などを)建てる」という意味もあるようだ。
  〈うえる+家〉(ปลูกบ้าน plùuk bâan)で「(家を)建てる、建築する」、
  〈うえる+テント〉(ปลูกเต็นท์ plùuk tent)で「(テントを)張る」。

 この意味については、泰泰の辞典によると、詳しくは
  เอาสิ่งต่าง ๆ มาปรุงกันเข้าเพื่อทําเป็นที่อยู่หรือที่พักอาศัย โดยวิธีฝังเสาลงในดิน
  (仮訳:土に柱を埋める方法により、いろいろな物を持ってきて滞在場所や住む場所として作り上げる)
ということになるらしい。

 なので、タイの伝統的な高床式の住居、あるいは縄文風の竪穴式の棲家でも作るイメージで、土の中に木製の柱(植物の死骸)を〈うえる〉とていう感覚(日本語的には「埋める」か?)でとらえたものなのだろう。
 上記(1)(2)からすると、動詞 ปลูก は地面から何か(生きている植物又はその死骸)が突き出た状態にすることと言えるのかもしれない。


(3) 植えつける、との言回し(複合動詞)に関連して、「(能力・考え方などを)養う」という意味がある。
  〈うえる+礼儀〉(ปลูกมารยาท plùuk maarayâat)で「(礼儀などを)教える、教える」。

 補足しておくと、この意味については、より詳しい泰泰の解説だと、
  ฝึกและให้การศึกษาระยะเวลายาวนาน
  (仮訳:長い期間にわたり訓練し、教育する)
ということになるらしい。

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