人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

普遍世界の夢

2016-11-19 11:50:20 | 哲学・思想
ここ、数十年間で爆発的に進化し、普及したものと言えば、OA機器、およびそれに伴うIT関連のものである、という事に異論ある人はいないと思われます。
私が前からずっと漠然と感じていることは、このキカイを媒介にして進行している現代社会の大きな流れというものは、何ものをも介さない我々自身の未来の有り様を先取りしたもので、やがてどっかでこの複雑に入り組んだ主客の転倒現象も入れ替わる時が有るだろう、というものです。
現在我々は、より高度で住みやすい社会をこれらのキカイに託したものの、悪しき衝動をはらんだ自由意志という、有史以前から造物主にとって真に好ましくない遺伝子が誤って”子たち”に植え込まれたか、キカイが勝手に突発的に進化、増幅し出して翻弄されている有様のようです。
このITを駆使した世界的なグローバル化の動きというものが、しばしば陰謀論のネタとして、取り上げられているのですが、ほとんどの陰謀論者というのは、その情報をネットで仕入れ、これまたネットで色々話を盛って発信しているのです。これ、昔から新聞、テレビを見、Hな事などを考えながら”3S政策はヤバイ!”と言っている向きと同じく、私がナンセンスこの上ないものと感じている事です。
私とて、こういう事をさせてもらっている以上、この恩恵には計り知れないものを感じている次第です。
この世界的規模のグローバル化の動きというものには、陰謀論者が夢想しているようなアリ塚を思わせる、権力によって統制された管理社会など、機械化された人間世界(これはある程度実現化しているか…)というものが映し出されています。
この恐るべき転倒をどう食い止めたらいいのか…しかし、私にはこの動きというものにある種の必然性を感じているのです。
何ものかが企図したのか、我々の集合意識の反映でか、この動きの淵源には人種、民族、宗教を超えた垣根の無い世界…普遍的世界…こうしたヴィジョンの実現というものがあったことでしょう。
そして…この普遍世界への希求は我々一人一人の内奥から来るのです。
私は一人一人…と言っているのであって、一般人とか国際人とか国民とか何教の信者とかいった、その他大勢のことを言っているのではありません!
政党の演説とか宗教のプロバガンダなど、”明るく住みよい社会の未来を約束します”とか”この教えは宇宙最高神のお告げです。これを信じれば宇宙の真理を体得出来ます”とか、その言説には如何にも流通普遍を思わせる煌びやかな言葉で溢れています。
だが…その普遍的なものを謳っているような言葉の裏に有るのは、全くそれとは似つかない相対の極限かと思われる、自分たち、仮想の天国の住人たち本位の独善的かつ誇大妄想的なものに過ぎません。凝り固まった思念に憑りつかれた人間には、如何なる垣根の超越も普遍性も意味をなさないのです。それらが超克されない限り、彼らに普遍世界は開かれないのです。
彼らが推進してやまないものは、自派の目差す天国の実現へ向けて、そのイデオロギーを周囲に拡散し、勢力を拡大していく事に有るのです。
彼らの目指す普遍世界というのは、どこまでも実現、達成、建設されねばならないものです。そして、これが過熱してくるといよいよテロをも辞さない様相を呈してきます。
彼らが見ている理想の普遍世界は虚像に過ぎないのです。それは如何なる実現化に向けての建設的努力によっても実現できません。
こうした試みは数多ある我々の歴史が証明しているところであり、そのあくなき破壊的衝動は現代世界を脅威に貶めているのはご存知の通りです。
だが我々の歴史は、我々の内面の神秘については知らなかった…
普遍世界は我々の本源において既に与えられているのです! それはまた、一人一人の人格の内奥と切り離されたものでは無いのです。
この個的なものと普遍的なものとの分かち難き互換性については、もどかしくも言い表す術が見つかりません。
我々のこの客観的現実で語られる普遍性というものは、この他の誰でも無いあなたや私の普遍性から分裂した、それ自体内実性を欠いたものばかりだったのです。
あなたがあなたであることと、私が私であることに一体どんな障壁が存在するでしょうか…
果たしてこの私の普遍世界というものは実現するのでしょうか?…それは取りも直さず、それがまさにこの見える現実に目の当たりにする、ということに他なりません。私には希求してやまないものが有る! これは一人一人の内奥から染み出てくる音信なのでしょう…それが過去幾多の人に蜃気楼の如く映し出されて、悲劇的な試みへと導かれていくのでしょう。
だが我々はもはや”やり主”たり得ません!
それは、それ自体が一にして普遍的なものの自己実現に依るのでしょう…。

















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