人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

主は私である

2017-05-14 11:18:42 | 独語
私は何でこうして書き続けているんだろう…
月15回くらいの更新を目標にやろうと決めたから?
やらなきゃいけないような気がするから?
正直、そう感じているところもある
だけど…
最初から薄々と感じてはいたが…最近よりはっきりしてきたことがある
これは…促されているんだ!

”私は神そのもの…私が主である”
こういうことを心のどっかで思っていて、それを発信してみようか、と正直思ったことも有る…何しろ、ハクが付くからね…
だが、もうそんなことは書けない…言えたもんじゃない…
これと方向軸は逆だが…”私はいない”とか…
私がそういう事書いていたとしたら…
それは…ウソだよ! 人も私も欺くことになるんだ
だって、そんなことただの一度だって私は促されていない、示されていないんだから…
私はOO…一体全体私は何だっていうのだろう、何になりたがっているというのだろう…
それとも、無や空に…なんでもなかったものになりたがっているのだろうか?
ああ…頭の中で”私はOO”が空回りするばかりだ…

”じゃ、お前がお前らしく感じている、そのままを書けばいいじゃないか…”
こ、これだ!…これだったんだ!
促されている、示されている…現実に、リアルに臨んでくるものがある!
ここに、現存しているんだ…このものあって、初めて開かれるんだ…私が…私の世界が…
何でこのもの無くして、”私はOOである”、などと言えようか!
”そうだ!…お前は今、リアルに何を感じている?…そのものをどう端的に言い表せばいいと思うか?”
 …この現に生きている私以上に私そのものであるもの…私以前から私でありつづける、原初なるもの…
深い意味も分からず、この言葉からくる衝迫させるものを受けて、そう書き続けている…
それは、現実に臨み、そして事に臨まずに居れない…
それは又、ハタラキである
ハタラキは生きている、生成してやまない創造そのもの
それは静止した存在ではない、形が無く、どんな枠、障りをも貫き、浸透してやまない
ハタラキに有って、私は生きざるを得ない
このものに在る時私は私で居られるのだ!
そして、私が何ものかになろうとすること、私が居るとか居ないとか、私が悟るとか、良いとか悪いとか…
あらゆる私の雁字搦め地獄から解放される…
主の現存に有って、思われていた私は消えて、まんまの私が現存する
私は主では無い!…”主が私なのである!”

どこへ向かうのかもしれずに、促されるままに書き続けている
そのことを通して、この永遠のはベールを脱ごうとしているのだろうか?
我が主は表に顕れ出ようとしているのか?
この何でもないものを使って…
そして、今日も私はタブレットに向かう…否、向かわざるを得ないのだ!






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