ウロ

木の洞に頭突っ込み独り言

選択

2017年01月07日 | リタイア
昨日久々にぶちきれ。

ぐちぐち旦那をいびった後
夜中に胃痛で目が覚めて つらつら考える。

そして今朝、娘が出て行った後話す。

「退職後 これからの生活を考えて
一緒に過ごす時間を大切にしようと思った。
一緒にご飯を食べて 一緒にお茶して 出かけて。
時間を合わせようとすれば 制約が出るのは当然だ。
私が『一緒』を意識したから今の生活になったわけで
あんたはそれを享受するだけだから
これらの制約を負担にばかり思うんだ。
私に縛られていると錯覚するんだ。
だから もう別々にしよう。
それでやってみて『一緒がいい』と切実に思えば
制約を束縛とは感じない筈だ」

私はもともと出不精だしひとりが好きなんだから
是非とも一緒したい!ってわけじゃないんだ とも言った。

何が何でもお出かけしたい人ならば
嫌々でも付き合って貰うだけで嬉しいんだろうが
私の場合は
相手が「行きたい」という気持ちでなければ
或いは「こうしたい」という気持ちでなければ
正直「どうでもいい」になってしまうのである。

そういう事をこんこんと説いた。

尤も中には己れの正当化がないわけでもない。
でも自分は自分の正しいと思う事を述べるだけだ。
相手も同じようにすればいい。
誰が正しいかなんて結局分かりはしない。

でまあ

「もう一回やってみて それでも駄目だったら
お前のいうように試してみよう」
だからもう一回今迄通りに運んでくれ。

となった。

どこまで分かってるんだか分からないが
自分の気持ちを整理するにもいい機会だった。

旦那はこれまでだって
私のおぜん立てに乗って来た部分がある。
子育ても家庭の雰囲気作りも。
私の理想とする形にもっていく上で
家族に課した制約は数多い。
その結果今がある。
その現在を渇望したのは私で 旦那じゃない。
でも旦那だって今現在に満足している(筈だ)。

自分が望んだ理想の形じゃないから制約ゆえの不便を
全部私のせいにする。

それって ただズルいってだけじゃん?

「自分で選んでみたらいいんだ」
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