33才でガーン ★肺がんの闘病と治療の記録★

2008年1月22日に33歳♂の私は末期の肺がんと診断されました。元気とやる気とプラス笑顔でがんばろう。

おたくなわたし 3/5

2008-10-26 15:54:07 | 自己紹介

表現型=遺伝+環境

要するに、双子ちゃんを違う環境で育てるとそれなりに人が変わってしまうという事なんだけど、私も遺伝子レベルでは、オタクだった気がする。


<ゲーム編>
ゲームは、いわゆる昔で言うポケットゲームが始めてでした。いってみれば任天堂DSのご先祖様ですな。DSみたいに本体とソフトなんて分かれてませんでしたけど・・・。「オクトパス」とか「ドンキーコング」とかにはまったモンです。流行のファミコンは小学校では買ってまらえず、もっぱらお友達の家で遊んでいました。そのたむろ場所も小学校、中学校と変わりいつしか、エロいマンガが置かれ、ついにタバコの吸い場所にもなってきました。たぶん、おそらく、大人の中には子供がなにをしても興味がない人がいると思いますが、そういう家がたむろ場所になると、いつのまにか、大きくなるにつれてタバコが登場します。そういう所で吸い始めるのが自然ではあるのです。少し脱線しましたが、やっとファミコンを買ってもらったのは確か中学校に入ってから。人の家では絶対にできないロールプレイングゲームができるようになりました。とは言ってもお兄ちゃんのファミコンなので、影でこそこそロールプレイングゲームです。ドラクエ2から始まり、セーブするのに暗号のようなものがなくなってのドラクエ3は、画期的でした。それほど、セーブするのに暗号は人泣かせでした。また、ドラクエ3にいたっては、地道に何時間でもやりこんだ覚えもあります。「まずは人の話を聞く事」「あきらめない事」「視点を変える事」「集中力」「達成感」を覚えるので、全ては否定しないでくださいね。そして、大学では、特に、真新しいゲームに興味もわかず、就職したらやっぱり仕事にいそがしく(でもちゃっかりプレーステーション2は持ってたりして・・・)最近子供達が大きくなって、再び任天堂DSとのお付き合いが始まるまで少しゲームから離れていました。ゲームといえば、ドラクエシリーズかファイナルファンタジーシリーズを覚えているんだけど、こまかなゲームの名前は覚えていないなぁ。桃太郎電鉄とかSDガンダムとか三国志とかバイオハザードはやった覚えがあります。
一方家庭用のゲーム機と相対するゲームセンター。お金が無かったので、子供の頃は、多少の出入りはするのもも、頻繁にはなかったです。逆に、今は、ジャスコに行く耽美に、息子の要求に答え、(カードゲームの)ドラゴンクエストだのを求め、ファンタジーアイランド(ゲームセンター)に足が向きます。嫁さんとするコインゲームも、UFOキャッチャーもやっぱり面白いし。時代時代でやるゲームは変わったり変わらなかったり・・・いまだに、嫁さんとテトリス勝負してたり。オタクでなくとも、やれば面白いし、やらなければつまらないもの、それがゲームなのではと思う今日この頃である。ましてや、皆でやるゲームは本当に楽しいですよね。

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