Mayumiの毎日綴る暮らしの日記

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大半を自費で賄っていた!伊能忠敬の作った日本地図

2017-06-13 12:12:37 | Weblog

日本測量にかかった総費用 総額12億円

「五十歳で測量・天文を志した伊能忠敬の資産は45億円!」

伊能忠敬と云えば、日本全国を歩いて測量し、正確な日本地図を完成させた人物として知られているが、測量家として活躍する以前には、実業家として名を成していた人物である。
延享二(1745)年、現在の千葉県山武郡に生まれた忠敬は、十八歳で現在の香取市佐原原の伊能家に婿養子となったが、同家は酒・醤油の醸造、資金業の他利根川の水運にも関わるなど、手広く事業をしていた。忠敬は、商人として手腕を発揮して、かなりの財産を築いた。五十歳の時に家督を長男に譲って隠居したが、この時の資産が三万両(現在の貨幣価値で45億円)あったと云うから驚きだ。
隠居を機に忠敬は一念発起して江戸へ出て、幕府の天文方・高橋至時に師事して測量・天文観測などを学び始める。その勉強は、まさに寝る間も惜しむほどの勢いだったと云う。やがて、忠敬は巨費を投じて江戸の自宅を天文観測所に改造。日本で初めて、金正の子午線通過を観測したりした。地球の円周に興味を持った忠敬は、浅草と深川から北極星を観測して、その緯度の差と両地点間の距離を基にその数字をはじき出した。しかし、「せめて江戸と蝦夷くらい離れた場所で観測しなければ正確ではない」と師匠の高橋至時から指摘され、それが切欠となって蝦夷地までの測量を決意するに至る。
寛政十二(1800)年、第一次測量を開始。時に忠敬は五十六歳。五十代と云えば、のんびりと隠居暮らしを決め込むか、下手ををすれば天寿を全うしていた様な時代に、冒険とも言える様な事業をスタートさせた忠敬の行動力には驚くほかない。
結局、忠敬の測量は十七年間、計10回に及んだ。測量は幕府の命であったが、幕府から完全に費用が出たわけではない。第一次測量では、観測器具も含めて約百七十両(同約2600万円)かかったが、幕府からの手当ては二十二両のみで、百五十両(同約2250万円)近くを自費で賄った。

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「幕府が出した観測費用は2割、不足の12億円は忠敬の自費」

幕府は忠敬の測量家としての腕を買ってはいたが、そもそも忠敬が私財で測量を行なおうとしていたので、その話に上手く乗ったと云うのが真実である。10回に及ぶ測量にかかった全費用はおよそ一万両(同約15億円)と推測されるが、幕府が出したおカネは2割程度で、残りの8割(同約12億円)は忠敬が私財を投じたと謂う。幕府は、資産家の忠敬にまさに、おんぶに抱っこだったと云うわけだが、それにも関わらず忠敬に、ちゃっかり薩摩藩の動向を密かに偵察するよう依頼していたとも謂われる。
文化十三(1816)年、忠敬七十二歳の年に測量が終了。
その間、踏破した距離は、彼が測量によって正確に割り出した地球の円周とほぼ同じだった。
測量終了の三年後、忠敬は七十四歳にして亡くなるが、作成途中だった日本地図を忠敬の手柄とする為弟子たちは、彼の死を伏せたまま地図作成を続行。没後三年の後、世に名高い『大日本沿海輿地全図』を完成させたのだった。

                                                    おカネでわかる世界の事件史
                                                                      自費で作った?伊能忠敬の日本地図

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